本の読み方/人生の中で手にすることの出来る本は限られている、ならば…
今日言いたいことを手っ取り早くまとめると、こういうことだ。
本を幾ら読んでも "必ず" 内容を忘れる
覚えるのは無駄、そもそも人間の記憶ってシステムとしてそんなに出来が良くない
だから、読んだ本を自分の身にしたいのなら、「戦略的な読み方」を選ぶ必要がある。
戦略的ってなんだよ。と思うだろうが、まぁそこがミソなわけですよ。
***********************************
「人は一生に何冊の本を読めるか」という話でよく上げられているのは、二万冊という数字だ。これは、
1年365日に1冊ずつ × 60年 = 21,900冊
という数字あたりから出されているようだ。しかし、実はこれは今となっては正確ではない。
なぜならマンガが入ってないからだ(笑) マンガ喫茶とか図書館とかハシゴして30冊くらい読んでますけどね、っていう。
こういうところに、旧来全とした「マンガは本と認めない」みたいな暗黙の了解が隠れてる気がして釈然としないです。あと雑誌も入ってない気がするんだよねー。マンガ雑誌だろうがファッション雑誌だろうが科学雑誌や業界雑誌だろうが、本は本なのに。
しかも、今や「本」という媒体は本の形をした物質だけではなく、電子書籍を含む電子データにもなっている。スマホで保険所のページに行ってインフルエンザの解説を読むのと、図書館で家庭医学の本をかりてきて調べるのの間に違いなど無い。なので、そもそも「本」の冊数で数えること自体、もはや正確ではなくなっていると自分は思っている。
と、まぁ細かいツッコミはいれつつも、一生の間に触れることの出来る情報媒体に上限があり、その数は意外と少ない、という点については異論はない。
たとえ「2万冊の本」が「5万件の、本を含む様々な情報媒体」に変わったところで、その数は書店に並ぶ本の総量や町の小さな図書館に揃えられている本の総冊数から見ると、すずめのなみだみたいな量である。
「だから一冊一冊を大事に読もう」という人もいれば、「できるかぎり沢山本を読もう」とか「良い本を選んで読みたい」という人もいるだろう。そこは人それぞれなのだが…
ここで冒頭の「戦略的な読み方」の話に繋がってくるわけだ。
まず一つの戦略が、本の中身は覚えない、ということ。
大量に読んでると細かい中身なんか忘れちゃうんである。当然。なので、でかい括りとして「xxの歴史の情報はxxっていう本に載ってた」とか「xxという戦争の記録はxxっていう本に載ってた」とかカテゴリーだけうっすら覚えておく。
パソコンOSでいうインデックス機能である。検索できりゃいい。何も貴重な脳リソースを使って本からデータをハードコピーする必要はないし、そもそも人間の脳はデータが勝手に劣化する仕様なので、オリジナルデータの本にリンク貼って参照しといたほうが安心だ(笑)
二つ目が、読んだらメモれ、ということ。
ぶっちゃけこのブログがそうなのだが。
どうせ人間は忘れてしまうものなので、何か本読んで得られたものがったり、面白そうな記事に出会ったりしたらとりあえず書いとけと。これだけで大分違うから。後日「あの何だっけ… あのクレオパトラとカエサルの戯曲でカエサルがロリコンくさいやつ…」とかなっても、書いとけば見返して「ああーそうだ、バーナード・ショウのやつだ!!」って思い出せる。書いとかないとモヤモヤしたまま、その記憶さえも消えていってしまうのですよ…
そして、最後。
「得られるものが無さそうだな」と思ったら、その本は躊躇なく途中で読むのを止める。
時間が有限で読める冊数にも限りあらばこそ。
おかしいだろ、ってところにツッコミ入れながら読むというのも一つの読み方ではあるが、それすら苦痛なレベルのやつは捨てて構わない。中の人も年間5冊くらいは大ハズレの本を買ってしまい、ガッカリしながら燃えるごみに出している。
ちなみに前の2つは学生の頃、指導教授に教わった技だったりする。
もしかしたら、もっといい方法はあるのかもしれない。だがいまのところ自分は、この方法で自分の引き出しの中身をいつも一杯にしておけている。
んで、いつも思うのだが、たぶん「読める本の上限」って、人生の時間という意味の制約よりは、自分の興味が湧く範囲の限界という部分が、大きいと思うんだ…。
そもそも興味ないジャンルの本って読まないからね。色んなものに次々興味が湧くタイプの人ほど、生涯に読む本の母数は多くなるんだと思うよ。なので、単純な冊数を気にするよりは、「読んで身になった冊数」「面白かった冊数」を積み重ねられるような読書ライフが送れればいいんじゃないかな。
本を幾ら読んでも "必ず" 内容を忘れる
覚えるのは無駄、そもそも人間の記憶ってシステムとしてそんなに出来が良くない
だから、読んだ本を自分の身にしたいのなら、「戦略的な読み方」を選ぶ必要がある。
戦略的ってなんだよ。と思うだろうが、まぁそこがミソなわけですよ。
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「人は一生に何冊の本を読めるか」という話でよく上げられているのは、二万冊という数字だ。これは、
1年365日に1冊ずつ × 60年 = 21,900冊
という数字あたりから出されているようだ。しかし、実はこれは今となっては正確ではない。
なぜならマンガが入ってないからだ(笑) マンガ喫茶とか図書館とかハシゴして30冊くらい読んでますけどね、っていう。
こういうところに、旧来全とした「マンガは本と認めない」みたいな暗黙の了解が隠れてる気がして釈然としないです。あと雑誌も入ってない気がするんだよねー。マンガ雑誌だろうがファッション雑誌だろうが科学雑誌や業界雑誌だろうが、本は本なのに。
しかも、今や「本」という媒体は本の形をした物質だけではなく、電子書籍を含む電子データにもなっている。スマホで保険所のページに行ってインフルエンザの解説を読むのと、図書館で家庭医学の本をかりてきて調べるのの間に違いなど無い。なので、そもそも「本」の冊数で数えること自体、もはや正確ではなくなっていると自分は思っている。
と、まぁ細かいツッコミはいれつつも、一生の間に触れることの出来る情報媒体に上限があり、その数は意外と少ない、という点については異論はない。
たとえ「2万冊の本」が「5万件の、本を含む様々な情報媒体」に変わったところで、その数は書店に並ぶ本の総量や町の小さな図書館に揃えられている本の総冊数から見ると、すずめのなみだみたいな量である。
「だから一冊一冊を大事に読もう」という人もいれば、「できるかぎり沢山本を読もう」とか「良い本を選んで読みたい」という人もいるだろう。そこは人それぞれなのだが…
ここで冒頭の「戦略的な読み方」の話に繋がってくるわけだ。
まず一つの戦略が、本の中身は覚えない、ということ。
大量に読んでると細かい中身なんか忘れちゃうんである。当然。なので、でかい括りとして「xxの歴史の情報はxxっていう本に載ってた」とか「xxという戦争の記録はxxっていう本に載ってた」とかカテゴリーだけうっすら覚えておく。
パソコンOSでいうインデックス機能である。検索できりゃいい。何も貴重な脳リソースを使って本からデータをハードコピーする必要はないし、そもそも人間の脳はデータが勝手に劣化する仕様なので、オリジナルデータの本にリンク貼って参照しといたほうが安心だ(笑)
二つ目が、読んだらメモれ、ということ。
ぶっちゃけこのブログがそうなのだが。
どうせ人間は忘れてしまうものなので、何か本読んで得られたものがったり、面白そうな記事に出会ったりしたらとりあえず書いとけと。これだけで大分違うから。後日「あの何だっけ… あのクレオパトラとカエサルの戯曲でカエサルがロリコンくさいやつ…」とかなっても、書いとけば見返して「ああーそうだ、バーナード・ショウのやつだ!!」って思い出せる。書いとかないとモヤモヤしたまま、その記憶さえも消えていってしまうのですよ…
そして、最後。
「得られるものが無さそうだな」と思ったら、その本は躊躇なく途中で読むのを止める。
時間が有限で読める冊数にも限りあらばこそ。
おかしいだろ、ってところにツッコミ入れながら読むというのも一つの読み方ではあるが、それすら苦痛なレベルのやつは捨てて構わない。中の人も年間5冊くらいは大ハズレの本を買ってしまい、ガッカリしながら燃えるごみに出している。
ちなみに前の2つは学生の頃、指導教授に教わった技だったりする。
もしかしたら、もっといい方法はあるのかもしれない。だがいまのところ自分は、この方法で自分の引き出しの中身をいつも一杯にしておけている。
んで、いつも思うのだが、たぶん「読める本の上限」って、人生の時間という意味の制約よりは、自分の興味が湧く範囲の限界という部分が、大きいと思うんだ…。
そもそも興味ないジャンルの本って読まないからね。色んなものに次々興味が湧くタイプの人ほど、生涯に読む本の母数は多くなるんだと思うよ。なので、単純な冊数を気にするよりは、「読んで身になった冊数」「面白かった冊数」を積み重ねられるような読書ライフが送れればいいんじゃないかな。