意外と知らない鳥類学者・蜂須賀正氏という人物。「絶滅鳥ドードーを追い求めた男」

タイトルになんか見たような名前があったのだけど「えっなんでドードー?」と思ってしまった。
徳島市内出身で蜂須賀家の話はよく聞いてたはずなのに、先代当主様が鳥類学者でドードーの論文を出してたとは全然知らなかったぞ…。



というわけで読んでみた。

ドードーの話は、最後の方には出てくるが全般的にあまり大きな比重は占めていない。これは「鳥」に魅せられた一人の男――旧阿波藩のお殿様、蜂須賀家の、貴族としての最後の当主である蜂須賀正氏の生涯を描いた物語。二度の戦争の時代を通じ、時代に逆らい、思うままに生きた人物の人生が、大河ドラマのような力作に仕上がっている。「世間知らずの坊ちゃん学者」だし「破天荒」だし、次から次へと冒険に手を出し家庭を顧みない。スキャンダルの多い人生で、のちには爵位も返上させられている。しかし、その人生には、一種の憧れのようなものを抱かずにはいられない。

彼の生きた時代は、藩がなくなっても殿様は殿様として、華族として、一般庶民とは違う生活をしていた頃である。そして、日本がなんとかして「列強」と肩を並べようとしていた時代でもある。日本は、今よりも内に閉ざされていた。海外留学が出来るのは一部の富豪のみ。そんな時代に蜂須賀正氏は外国に学び、世界各地を旅し、日本に紹介してした。飛行機も所有し、自らが操縦した。表紙になっているのはその写真である。趣味に生きた、と言ってもいい。


正直に言うと、この本を読むまで蜂須賀正氏が鳥類学者だったことなんて全然知らなかった。
じーちゃんばーちゃんから聞いてた話っていうのは「蜂須賀の殿様は東京いかはったきり戻って来ぃへん」「毛唐の国がすき」という否定的な感想だった。ちなみに徳島市内は徳島大空襲で焦土にされていて、二人とも子供の頃住んでいた家を焼かれているので、ふつうに「鬼畜米英」という言葉を使っていたし、爆弾を落としたアメリカは最後まで大嫌いだった。そんなアメリカに住んだことがあり、英語堪能でもあったとう蜂須賀正氏のことも、たぶんあまりよくは思っていなかったのだろう。

徳島公園にある、蜂須賀家からの寄贈品を納めた博物館にも何度か行ったことがあり、ヨロイを見たことはよく覚えている。だが、鳥に関する資料があったかどうかはまったく記憶にない。というか蜂須賀家の大名としての歴史については知っているのに、華族になってからのことはほとんど触れられた覚えがないのだ。自分が生まれるはるか以前に亡くなってしまった人なので急死の報が流れたときの地元の反応は全く分からないのだが、地元民からしても、正氏の「近代的」すぎた生き方は、あまり評判が良くなかったのかもしれない。


さて、この本の読み方として、蜂須賀氏に全く興味のない人でも楽しめる観点が二つある。

 まず一つが「日本における鳥類学の発展の歴史」

「野鳥」という言葉がかつては一般的ではなく、野鳥の会が作られる時に翻訳書を見ていてつけられたのだということは初めて知った。(P.200) バードウォッチングや放し飼いという文化もなく、鳥は籠で飼うもの、という固定概念があったようだ。ここに形態学、フィールドワークなどの萌芽も見て取れる。


 もう一つが「第二次世界大戦前の日本の世界的な立ち位置」

近代の歴史を語ると、どうしても敗戦国である日本の戦争責任だとか、戦中戦後の苦しみだとかばかり取りざたされる。しかし第一次世界大戦では日本は戦勝国である。列強と肩を並べようとしていた時代の日本は、まさに昇る日が如くで、成金が金を持ってヨーロッパで豪遊、ということも有り得たのである。
にもかかわらず、多くの国民は世界のことなどあまり知らず、英語のわかる人はほんの一握り、一般庶民にとっては留学なぞ夢のまた夢。このギャップを面白いと思うととともに、第二次世界大戦での日本の失敗の原因が何となくわかるような気がして来る。…たぶん、よそのこと知らなさ過ぎたんだろうな、って…。


時代の大きなイベントと、主人公蜂須賀正氏の年表については、巻末にまとめて載っている。
一人の「鳥好き」な男の人生を通して1900年代前半の空気を読んでみたい人にはお勧めできる一冊である。

この記事へのトラックバック