スキタイの「鹿の顔をした馬」、パジリク遺跡出土の馬の装飾品

騎馬民族スキタイは、黒海からパレスティナあたりまで遠征してきたことがあるので、中央アジアから帰ってくる時はスキタイの馬にくっついてくるとエジプト近くまで来られる。ただ問題は、スキタイが西アジア遠征をするのは紀元前7世紀末以降なので、あまり古い時代には戻れないのだが。

というわけで、知識の空白地帯である中央アジアを埋めるべくちょろちょろ本を読んでいて、気になったやつを上げておく。スキタイの遺跡として有名なパジリク遺跡から出土している「馬を鹿に見せるための装飾品」である。こういうやつだ。

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スキタイの美術には鹿のモチーフが多い。どうして鹿を好んだのか、単にエモノだったからなんだろうと思っていたが、どうやら違うようだ。鹿はツノが落ちてもまた生え変わることから、「再生」のシンボルだったのではないかという。この「馬を鹿にする」装備が、その根拠のひとつとなっている。

馬がなければ移動できないから、馬が重要なものなのはわかる。
その馬をわざわざ鹿に見立てる。しかも王か首長か、有力者の墓から馬の骨と一緒に出てきているのだから、葬送に伴って死後の世界に供をさせるためのものである。ということは、単なるエモノ以上の意味がないとおかしい。

鹿が再生のシンボルであるならば、わざわざ馬を鹿にした理由は判る。
蘇りか転生かの思想に従って、鹿に死者を送らせたい。だが鹿では棺を引けないから、馬に鹿のツノをつけて死者を載せた荷車を引かせる。一見シュールに見える「鹿のツノをつけた馬」に込められた意味は、もしかしたらとても深いものだったのかもしれない。

とはいえ、この予想が当たってれば生まれ変わりとか再生とかの宗教思想がスキタイにあったことになる。
スキタイ含め騎馬民族は文字を持たなかったから、当時の宗教や伝承は書き言葉としては何も残っていない。本当は鹿に一体どんな意味を持たせていたのだろう。興味は尽きない。

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最近「興亡の世界史」が文庫化されたので是非。
わりとアタリハズレ大きいシリーズですが、この本は面白かった。




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スキタイ関連では、最近また重版されたという「アーサー王の起源 ~スキタイからキャメロットへ」でも少し記事を書いた。

アーサー王伝説の起源―スキタイからキャメロットへ
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ざっくり言うと、この本は「アーサー王はスキタイ人だったかもしれない!」というセンセーショナルな説をぶちあげたもので、空想物語としては面白いが、残念ながら学術的な根拠の部分がメタメタである。根拠になりそうな証拠は取り上げておきながら、否定的な証拠は一切無視、というやってはいけないことをやらかしているし、主張も思いつきに思いつきを重ねただけなので微妙。

「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」の、ダメなところを解説してみる
https://55096962.seesaa.net/article/200906article_21.html

なお、本の著者たちが参考にした論文の中身を追ってみたのがこちら。
元になった論文は問題なさそうな内容なのに、そこに空想をひねりこんで繋げたのがマズかったようだ。

サルマティア・コネクションの元ネタを見つけた。
https://55096962.seesaa.net/article/200906article_23.html

※これを書いた当時よりは知識も増えたので、もうちょっと具体的に正確な指摘も出来ると思うが、そこらへんは必要があれば…。

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