【超どうでもいい】バッタの羽根にヘブライ語で「神の罰」と書かれている、と古代エジプト人が言ったか
本屋に平積みされていた「バッタを倒しにアフリカへ」という本の表紙があまりに酷すぎたので表紙買いしてしまった。
中身も想像を違わぬ酷さで実に面白かったのだが、その本の内容はまぁおいおい、電車で読んでいて乗り過ごしてしまった恨みも込めてネッチリ書こうと思う。それはともかく本の中で一箇所だけ「??」となった場所の話をしたい。
・・・そんな話、聞いたことないぞ。
そしてそもそも、古代エジプト人はヘブライ語など知らないし、ユダヤ人の主張を伝承する理由も動機も皆無である。
エジプト人がヘブライ語と接点を持つのは、最後の王朝プトレマイオス朝付近からだ。
その頃の首都アレキサンドリアには多数のユダヤ人が居住しており、旧約聖書のギリシャ語訳も作られた。しかしわざわざギリシャ語訳しないといけなかったことからもわかるように、当時の国際都市であったアレキサンドリアでは公用語はギリシャ語とエジプト語、ヘブライ語などローカルかつマイナーな地方言語であり、理解出来る人はほぼユダヤ人に限られていた。ユダヤ人の神はエジプト人にとっては地方の有象無象の神の一柱なので、その神の罰だといわれても「ふーん、で?」としかならない。
というわけなので、ここの部分はいうまでもなく何かの間違いなのだが、どこから出てきた間違いなのかが気になっていた。
エジプト絡みのデマを流してなんとかしてマウンティングしようとするのが旧約聖書を編纂した古代のユダヤ人の癖なので、どうせまた旧約聖書なんだろうとタカを括っていたのだが、模様が「神の罰」だなどという記述は見つからない。イナゴ自体が「神の罰」だという話は、いわずもがなの「出エジプト記」に存在はするのだが。なんで模様じゃないといけないのだ。
…そして気がついてしまった。
ヘブライ語で「罰」という単語は「アルベ」になり、その言葉自体が蝗害のバッタのことを指す。
ということは、たぶん「旧約聖書の出エジプト記のイナゴの神罰」+「旧約聖書でイナゴに対して使われているアルベという単語(罰を意味する)」で生みだされた”俗説”が冒頭の「バッタの翅の模様はヘブライ語で神の罰と書かれている、古代エジプト人が言った」という話じゃないのかな…。
いやまあ超どーでもいい話なんだけどね、エジプトと言われて知らないネタがくると一応調べとかないとってね。
*****
なお余談であるが、古代エジプトにおけるバッタは、いい奴扱いである。墓の壁画にも出てくる。日常のほんわか風景の一部なのである。
第18王朝のイアフヘテプ王妃の短剣にはバッタの意匠が使われており、めでたい昆虫扱いであったこともわかっている。古代エジプト人にとって墓の内部は永遠へと続く場所である。いわば死後の永遠の家でもあるわけなので、不愉快なものは一切描かない、置かないというのが基本ルールとなる。そこにバッタがいるのだから、古代エジプト人にとってのバッタは日本で弥生時代の銅鐸にトンボやらバッタやら描かれているのと同じノリだったのではないだろうか。旧約聖書に出てくる「災い」のイメージとは正反対なのである。
と、そこで気になるのが、「古代エジプトの時代には、もしかしてイナゴの害は無かった or 現在より少なかったのではないか?」ということである。
古代エジプトの記録には、現代で言うようなバッタの大量発生の記録がない。メソポタミアでも見た覚えがない。頻繁にバッタに食い荒らされてたなら、バッタが良いもの扱いされるわけがない。
現代にはしばしば起きているイナゴ(というかサバクトビバッタ)の大量発生だが、古代エジプトや古代メソポタミア人はその被害をヘブライ人ほど受けていなかったのではないだろうか。
予想される可能性は
(1)バッタの大量発生はあったが、移動ルートが現代と異なっていた
(2)現代ほど大規模な発生はなかった
(3)旧約聖書が編纂されたバビロン捕囚あたりの時代になって発生するようになった
あたり。
どれも有り得そうな気がするのでなんとも言えないが、ヘブライ人にとっての蝗が「主の災いの中でも最後のほうにくるスペシャルなやつ」だったのに対し、古代エジプト人自身は墓にいれて持っていきたい日常風景の一部だったというのは間違いない。
超どうでもいいことに引っ掛かったうえに、調べることをまた増やしてしまった。
誰かかわりに古代の蝗害の発生について研究してください。ていうかもうあるかもしれないけど。
中身も想像を違わぬ酷さで実に面白かったのだが、その本の内容はまぁおいおい、電車で読んでいて乗り過ごしてしまった恨みも込めてネッチリ書こうと思う。それはともかく本の中で一箇所だけ「??」となった場所の話をしたい。
"バッタの翅(はね)には独特の模様があり、古代エジプト人は、その模様はヘブライ語で「神の罰」と刻まれていると言い伝えた。(P112)"
・・・そんな話、聞いたことないぞ。
そしてそもそも、古代エジプト人はヘブライ語など知らないし、ユダヤ人の主張を伝承する理由も動機も皆無である。
エジプト人がヘブライ語と接点を持つのは、最後の王朝プトレマイオス朝付近からだ。
その頃の首都アレキサンドリアには多数のユダヤ人が居住しており、旧約聖書のギリシャ語訳も作られた。しかしわざわざギリシャ語訳しないといけなかったことからもわかるように、当時の国際都市であったアレキサンドリアでは公用語はギリシャ語とエジプト語、ヘブライ語などローカルかつマイナーな地方言語であり、理解出来る人はほぼユダヤ人に限られていた。ユダヤ人の神はエジプト人にとっては地方の有象無象の神の一柱なので、その神の罰だといわれても「ふーん、で?」としかならない。
というわけなので、ここの部分はいうまでもなく何かの間違いなのだが、どこから出てきた間違いなのかが気になっていた。
エジプト絡みのデマを流してなんとかしてマウンティングしようとするのが旧約聖書を編纂した古代のユダヤ人の癖なので、どうせまた旧約聖書なんだろうとタカを括っていたのだが、模様が「神の罰」だなどという記述は見つからない。イナゴ自体が「神の罰」だという話は、いわずもがなの「出エジプト記」に存在はするのだが。なんで模様じゃないといけないのだ。
…そして気がついてしまった。
ヘブライ語で「罰」という単語は「アルベ」になり、その言葉自体が蝗害のバッタのことを指す。
ということは、たぶん「旧約聖書の出エジプト記のイナゴの神罰」+「旧約聖書でイナゴに対して使われているアルベという単語(罰を意味する)」で生みだされた”俗説”が冒頭の「バッタの翅の模様はヘブライ語で神の罰と書かれている、古代エジプト人が言った」という話じゃないのかな…。
いやまあ超どーでもいい話なんだけどね、エジプトと言われて知らないネタがくると一応調べとかないとってね。
*****
なお余談であるが、古代エジプトにおけるバッタは、いい奴扱いである。墓の壁画にも出てくる。日常のほんわか風景の一部なのである。
第18王朝のイアフヘテプ王妃の短剣にはバッタの意匠が使われており、めでたい昆虫扱いであったこともわかっている。古代エジプト人にとって墓の内部は永遠へと続く場所である。いわば死後の永遠の家でもあるわけなので、不愉快なものは一切描かない、置かないというのが基本ルールとなる。そこにバッタがいるのだから、古代エジプト人にとってのバッタは日本で弥生時代の銅鐸にトンボやらバッタやら描かれているのと同じノリだったのではないだろうか。旧約聖書に出てくる「災い」のイメージとは正反対なのである。
と、そこで気になるのが、「古代エジプトの時代には、もしかしてイナゴの害は無かった or 現在より少なかったのではないか?」ということである。
古代エジプトの記録には、現代で言うようなバッタの大量発生の記録がない。メソポタミアでも見た覚えがない。頻繁にバッタに食い荒らされてたなら、バッタが良いもの扱いされるわけがない。
現代にはしばしば起きているイナゴ(というかサバクトビバッタ)の大量発生だが、古代エジプトや古代メソポタミア人はその被害をヘブライ人ほど受けていなかったのではないだろうか。
予想される可能性は
(1)バッタの大量発生はあったが、移動ルートが現代と異なっていた
(2)現代ほど大規模な発生はなかった
(3)旧約聖書が編纂されたバビロン捕囚あたりの時代になって発生するようになった
あたり。
どれも有り得そうな気がするのでなんとも言えないが、ヘブライ人にとっての蝗が「主の災いの中でも最後のほうにくるスペシャルなやつ」だったのに対し、古代エジプト人自身は墓にいれて持っていきたい日常風景の一部だったというのは間違いない。
超どうでもいいことに引っ掛かったうえに、調べることをまた増やしてしまった。
誰かかわりに古代の蝗害の発生について研究してください。ていうかもうあるかもしれないけど。