「島のケルトは実はケルトじゃなかった」から派生する諸問題~ケルト神話がケルト神話じゃなくなります

【前段】

「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話
https://55096962.seesaa.net/article/201705article_21.html


悲しいけれどこれ現実なのよね…

ちなみに「文化だけでもケルトなら、ケルト人の子孫じゃなくてもケルト名乗っていいじゃん」という反応もいただいたのだが、残念ながら「ケルトを名乗ってるだけでケルト要素がほとんどない別の文化でした」という話なので、その路線でもダメだったりする。

 A.民族としてのケルト人の子孫の文化を「ケルト」と呼んでいいのでは
   →子孫じゃなかったことが証明されてしまった

 B.他民族でもケルト文化を受け継いでいるなら「ケルト」と呼んでいいのでは
   →明らかに文化が断絶しており類似点が少ない。神話の場合メジャーな神格すら一致してない

 C.言語として同じ「ケルト語圏」なのだからケルトという括りでいいのでは
   →Pケルト・Qケルトの差異の大きさからケルト人が歴史上に登場する以前からアイルランドやブリテン島で話されていた言葉の可能性が高い。そもそもケルト人と呼ばれた民族が使っていたのは本当に、今言われる「ケルト語」だったのかどうかが議論となっている

 ↓↓

 「じゃあ何をもって”ケルト”と呼ぶのか?」という議論に。
 そして今では「そもそも島のケルトと呼ばれていたものをケルトと呼ぶこと自体に無理がある」という方向になってきている。<今ココ>


この視点に立ってみてみると、もはやケルトという看板の下に纏めるのは不適切だと思われる事象が多々ある。

神話伝承の差異などは昔から言われていたが、それ以外にも、今までなんとなく同一視されていたものも、実は違ってるんじゃないかということが言われ始めている。

例えばケルトの代名詞的な用語である「ドルイド」だが、本来の「大陸のケルト」でのドルイドは、ギリシャ哲学の系譜を汲む、医学や天文学などにも通じたインテリ集団のことだという。イメージ的には、東地中海世界でいうところのグノーシス派の神学者に近い。

その”本物”のドルイドが消滅してから何百年も経ってから、島の異教徒たちの中で異教の神官や巫女に対しても「ドルイド」という名称が使われるが、実際は似ても似つかない存在であり、しかも彼ら彼女ら自身がドルイドと自称した証拠すら見つからないと指摘されるに至り、今では「同じ名称を充てただけで実は別モノ」と考えられるようになってきている。つまり、大陸のドルイドが零落して知識を失った姿が島のドルイド、という説明が間違っていたのだ。

画像
*これから終わりなきサイト修正に入る中の人の墓*



この問題は、大陸のケルト=中国文化 島のケルト=日本文化 と置き換えると理解しやすい。

中国が唐のあたりで消滅、日本も鎌倉で文化が断絶したと仮定しよう。
何百年も過ぎた江戸時代、ふと「あれ俺たちって何て民族なんだろう」とか考えたときに見つけたのが平城京の遺跡や漢字で書かれた木簡だったとしたらどうなるか。中国の都にそっくりなものがあり、同じ文字を使っている。ということはもしかして、この国は中華帝国が滅びるときに渡って来た人々によって作られたのか! と思い込む。
だが、同じ漢字を使っていながら用語の意味が違ってたり、同じ役職名を使っているのに内容が違ってたり、宗教やその他の文化もなんとなく違う。なぜなのかが説明出来ないまま時が過ぎる。

そこで最近の新しい技術で調べてみたところ、まとまった渡来人は弥生時代にコメと一緒に来た人々だけで文化の断絶した前後には人の移住は見当たらず、大きく遺伝子が違うことが判ってきて、もはやイコールでは結べないことが判ってくる。

――この状態にあるのが今の「島のケルト」こと、アイルランドや、ブリテン島のウェールズなどの"ケルト"語圏なのだ。



日本の場合は文化が断絶することがなかったため、平安以前の文化が中国文化と似ているのは日本から使者を出して文化を輸入していたからだと"記憶"し続けることが出来た。また中国で唐が滅びたあとも、唐の文化様式をベースに、そこから独自の文化を生み出すことが出来たことを認識できた。しかし、もしどこかで記憶が途切れてしまっていたら、失われた記憶は取り戻されることなく、「島のケルト」と同じような勘違いが発生していたかもしれない。

現在のところ、歴史上ケルトと呼ばれた「大陸のケルト」のほうだけがケルトの名を冠するべきものであり、「島のケルト」は一部ケルト文化も受け継いでいるものの実際は土着文化をベースにして発展した、別の文化という扱いになりつつある。(なりつつある、というのは、証拠が積みあがるにつれて学者さんの意見が変わるからである。10年くらい前までは、「大陸と島の間に血縁関係は薄い」くらいまででお茶を濁す人が多かった。)


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ここからが本題
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さて、このような前提を前にして重大なことを考えねばならない。
「大陸のケルトと島のケルトは別」「っていうか島側はケルトと呼ぶのが妥当ではない」…
これによる影響範囲を考えてみたい。主にうちのサイトで修正しないといけない点を踏まえて。


■ケルト神話をケルト神話と呼べなくなる

ぶっちゃけ「大陸のケルト」と「島のケルト」で神話が一致しない、という話は数十年前にはもう言われていた。ただ、何故なのかあまりツッコんで検証されないまま、別モノかもしれないという疑いをかけられながらも、文字記録の豊富な島のほうが「ケルト神話」の看板を大きく掲げてきただけだ。

しかし「島のケルト」が本来のケルトとあまり関係なかったことがわかってくると、スッキリと説明できる理由が見つかったことになる。似ている部分はインド・ヨーロッパ語族に共通の神格と人類普遍の神話だけで、本来は別モノだったのだと。似てた部分以外は、島独自の神話・神格だったのだ… どおりでエポナとか島側にいないわけだよな?!

というわけで、いわゆる「ケルト神話」のテキスト、マビノギオンだとか来寇の書だとかは、「島」に由来する限り全てケルト由来ではなかったことになり、ほぼ全滅である。ダナーンとかクーフーリンとかマナナンとかあのへんもみんな、ケルト神話群とは呼べなくなる。改名するなら「ヒベルニア神話群」あたりだろうか。ちなみにヒベルニアとはアイルランドの古名で、考古学・歴史用語でもある。(※これについてスコットランド派とウェールズ派の人に怒られた。ケルトというでかい看板がなくなって小分けになると、各地域の神話推しの派閥争いになるということを学んだ 笑 …今後どういう方向で呼ばれるかは分からないのでこれは仮ってことで。)

ケルト幻想は無くなるかもしれないが、「幻想の島ヒベルニア」あたりならなんかイイ感じに似たようなファンタジー風味は作れそうな気がするので、元ケルトクラスタの皆さんには気を落とさすに新たな伝統を作り上げていただきたい。


■アーサー王伝説もケルト起源じゃなくなる

今までケルト神話の影響を受けているといわれていたが、その「ケルト神話」の部分が実はケルトじゃなかったという話が前提となるため、ブリテン島で生まれた土着の伝説みたいな扱いになると思う。ただしアーサー王伝説の特徴は、「時代ごとに変化し続ける」というところにある。今知られているアーサー王伝説は、ブリテン島で発生したあとフランスに渡って騎士物語要素を盛り込まれたり、キリスト教要素を足されたり、日本に来てエロゲ要素を入れられたりしたものなので、まぁ別にケルトと無関係になっても大して痛くないかもしれない。

…世の中のアーサー王サイト管理人は軒並み死亡するけれど。


■妖精とか、島のいわゆる「ケルト文様」とかもケルトじゃなくなる

妖精に該当する存在は世界中のどこにでも普遍的に存在するので、ケルト由来でなくても問題ない。アイルランドやウェールズに伝わる「妖精」はケルト関係なく昔からいる土着の存在である。ていうか妖精だけならゲルマン人にも似たような存在の信仰は多数ある。

ケルト文様と言われているものにしても、実は明確にケルト由来という証拠が出せないまま今に至っていた。そもそもケルト人が歴史から姿を消してから、ケルト様式と呼ばれるものが島に登場するまで500年以上の時間差があるのだ。ケルズの書もタラ・ブローチも8世紀。ボイン峡谷の遺跡とかだと考古学資料からケルトと全然時代違うじゃんっていうのはだいぶ昔から言われているのでそもそも無関係である。

だから、ケルト文様は、最大限に関係を見出すにしてもケルト文化の一部を引き継ぎつつ独自に作った様式と言うべきでは無いかと思う。それこそ冒頭で例に挙げた中国(唐)の文化と日本文化の類似のような関係で。
ケルト様式と呼ばれていたものとゲルマン人の装飾との類似は昔から指摘されていたりするので、ケルトという枠組みを取り払って西ヨーロッパ共通の文化をベースに発展したものと説明したほうが、実は説明としてはすっきりしそうな気がする。

…ケルト美術で出版されていた本が全部書き直しが必要になり、美術史も修正が必要、ってことですね意外と影響範囲広いなあ。。


どこから直せばいいんすかこれ



【総括】…結局、「島のケルト」とは何だったのか

今のところ学者さんたちの間でも意見は揺らいでいるが、かつて「島のケルト」と呼ばれていた、ブリテン島周辺および現在のアイルランドの文化について、大陸側の本来の「ケルト」との関連性は次々と打ち消され、現在ではほぼ無関係というところまで来ている。

では「島のケルト」とは一体なんなのか、というと、…単純な話である。
「ブリテン島文化」とか、先に挙げた「ヒベルニア文化」とか呼びかえればいいだけなのだ。

ケルト人が島の住人と入れ替わったのでないならば、そこに発展した文化は昔からいる土着民族のものとなる。


ちなみにフランスのブルターニュやブリテン島、アイルランドなどに残っている巨石文化、いわゆるストーンヘンジやメンヒル、ドルメンなどは、かつてケルト人の文化と勘違いされていた時期もあったが、考古学的名調査から新石器時代末の3000-2000年あたりに作られたことが判っている。それらを作った人々が何者だったのか長らく謎とされてきたのだが、遺伝子調査で住民は昔から変わっていなかったことが結論づけられた今となっては、「今そこに住んでる人たちが昔作ったもの」と言ってよさそうだ。

文化的な変遷は色々あったし宗教も変わったけど、今住んでる人たちが巨石文化の担い手の子孫だったってことだよ…。


というわけで、ケルトという看板を外しさえすれば、今までの研究まで全部ひっくり返るわけではなさそうだ。めっちゃ修正入るけど。いま島にある文化が土着のものであり、確かにそこに存在することまでは否定されない。妖精物語も神話も、大昔からそこに住む自分たちのものだったのだと、胸を張ればいいだけのことである。アイルランドさん受け入れられ無さそうだけど。

ただ、大陸から追われて移住した幻の民族は、文字通り幻だった。
存在しなかった「島のケルト」に翻弄された人々は、数百年見ていた夢からようやく醒めた、ということになるかもしれない。


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このあたりは、現在進行形で研究成果が積みあがっているものであり、学者間でも意見が割れている部分がある。また、「ケルト語と言われていたものを本当に"ケルト"人が喋ってたのか?」といった答えの出ていない議論もあったりする。
細かいところは中の人も追い切れないし、今後まだ書き換わる部分もあると思われる。そこは各自てけとーに補足してくらはい。細かいとこは専門家がなんとかしてくれる(キリッ

ただ最近の論調として、もはや島のケルトと呼ばれていたものを歴史的なケルトと同一視すること、つなげて語ることは不適切という意見が優勢になっている。この部分については、最早覆せないレベルで根拠があると判断した。そのためサイト内の記載も修正することにした。

最近の本では少しずつ、ブリテン島やアイルランドと"ケルト"のかかわりについて修正が入りつつある。

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