アイルランドの青銅器時代~鉄器時代の年表を作っておいたぞ! & アイルランドの黄金美術
人に説明しようとして日本語でググったけどイイのが無くて「なんでだよ!!」ってなったので自分で作っとく。
出典元はアイルランド国立博物館のサイトだ。これなら誰も文句いわんやろ。
http://microsites.museum.ie/BronzeAgeHandlingBox/timeline.html
言いたいポイントは2つ。
・アイルランドの鉄器時代の開始は紀元前7世紀まで遡っている
・後にケルト文化の象徴とされるアイルランドの金工美術は実は青銅器時代に既にある
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【アイルランドの歴史 最初の移住~鉄器時代まで】
紀元前 8,000年 Mesolithic(中石器時代)
最初の移住者がアイルランド到達。魚取ったり狩りをしたり木の実を食べたりという生活。
紀元前 4,000年 Neolithic(新石器時代)
最初の農耕民が現われる。また農耕に伴って牛・羊が島に到着し牧畜も開始される。
人々は土器を作り始める。
補足事項: 農耕・牧畜の開始と土器作りが連動する現象は世界各地で見られる。麦などの穀物は容器がないと貯蔵できないこと、動物の乳は器がないと飲めないことなどから、必要性に応じて土器作りの文化が発生すると思われる)
紀元前3,000年 Neolithic(新石器時代)
巨大な石作りの墓の建造が開始される。ページに記載はないが、おそらく農耕・牧畜の開始によって安定した食糧供給が可能になり、人口が増えたためと思われる。アイルランドの巨石建造物はこのあたりの時代のもの。
紀元前2,500年 Early Bronze Age(銅器時代 早期)
銅製品を作り始める。初期に使われた銅の鉱山はロス島、キラーニー(ケリー州)など。まだ技術的にはあまりこなれていない感じの遺物。この時代の銅は、まだ"青銅"ではない。
紀元前2,400年 Bronze Age(銅器時代)
銅器はまだ青銅に至っていないが、同時に金製品が作られ始めている。金は砂金として収集されていたようだ。
紀元前2,200年 Bronze Age(青銅器時代)
ようやく銅にスズを混ぜれば強化できることを学習し青銅器時代に突入する。
紀元前2,100年
この時代は凝った埋葬で知られ、食料を貯蔵したと思われる壷などの副葬品を伴う。
紀元前1,200年
気候変動により、雨量が増えてやや寒冷に。埋葬は火葬が行われるようになる。
紀元前900年 Late Bronze Age(青銅器時代 後期)
青銅製のたくさんの武器が発見されている。武器の生産は、島の中で紛争が増加していたことを示している。
紀元前800年 青銅器時代の交易
ヨーロッパ各地との繋がりが見える時代。北欧から輸入された琥珀ビーズなどがある。
この時代のアイルランドでは金製品がたくさん作られており、輸出品にもなっていた可能性がある。
あと前から気になってる、アイルランドの青銅器時代の遺跡からエジプト産ファイアンスビーズが見つかっているという件
これも、紀元前800年以降の話だったら、大陸から輸出入ルートが繋がっているので不可能ではない気がする。距離は相当あるんだけど、はるばる北海から琥珀が届くんなら、東地中海からファイアンスが届くことも…或いは。
青銅器時代後期のこのころには、高度な技術を用いた青銅製品も作られている。
そしてこれらの技術の集大成が、次の鉄器時代に受け継がれていく。
紀元前650年 鉄器時代
鉄が、日用品レベルでゆっくりと青銅器と置き換わっていく。金属ごとに用途がわかれていて、鉄は生活の道具や武器、青銅は装飾品や馬具に、金は飾りに、と用途が別れていく。大陸および英国からの影響により、言語や生活スタイルの変化が伺える。
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というわけで、アイルランドで製鉄の開始される時代が書き換わっており、以前言われていた「前500年頃にケルト人の移住によって製鉄技術が伝えられた」というのは、既に古い説になってしまってるのがお分かりいただけただろうか…。日本語の出版物はまだ更新が追いついていないだけなのだ。
で、金工美術も青銅器時代から既にある。
前段に書いたとおり、現在ではアイルランドにケルト人の到来はなく、鉄器時代への突入もケルト人やケルト文化の到来とは無関係、ケルト文化が到来したかどうかすら怪しい(証拠に乏しい)というところまで来ている。
ということは、この金製品の装飾スタイルこそがアイルランドの伝統で、かつてケルト美術として語られていたものの祖として繋げて語られるべきものじゃないのだろうか。
つまりアイルランド美術の直接祖先は、ケルト様式(大陸のハルシュタットやラ・テーヌ文化)ではなくて、製鉄技術とともにケルト人が持ちこんだものでもなくて、そのはるか以前、すわなち青銅器時代からの自分たちの伝統美術なのではないかと。だとすると、紀元前2,400年頃から鉄器時代を経て作られ続けてきた、まさに土着の伝統工芸と胸を張れることになる。なんと、渡来人の存在を無理やりこじつけるよりずっと誇らしい国家の歴史が出来てしまった。(笑)
変にケルト文化と結びつけようとするから謎の空白期間が出来てしまったり、過去の美術様式との間の関連性の説明がややこしくなる。元々の伝統様式が紀元前から継続しているところに後から多少の外来要素が加わっていったという説明にするとすごくスッキリする。
ケルト=イベリアの黄金製品の中にある黄金のトルクはケルト文化の代表だとして、アイルランドの黄金製トルクと比較されることが多いが、そのアイルランドの黄金トルクの原型らしきものが青銅器時代の金製品の中に既にあるという状態で、今までなんでそれケルト文化と結び付けてたんだよ…っていうのがまず分からない…(笑)
ブリテン島経由で影響を受けた可能性は残るにしても、今までの「ケルト文化がベースです!!」っていう態度が偏りすぎてたんじゃないかな…。
アイルランドには金鉱が無いにも関わらず金製品がざくざく出てくるので、学者はその出所にけっこう悩んでいたらしい。IRISH TIMESの以下の記事を見るに、最近だと砂金を使用していたというのが主流説で、イングランドからの輸入説は否定されていそうだ。
Bronze Age Ireland: the country’s golden era
http://www.irishtimes.com/news/science/bronze-age-ireland-the-country-s-golden-era-1.1332517
出典元はアイルランド国立博物館のサイトだ。これなら誰も文句いわんやろ。
http://microsites.museum.ie/BronzeAgeHandlingBox/timeline.html
言いたいポイントは2つ。
・アイルランドの鉄器時代の開始は紀元前7世紀まで遡っている
・後にケルト文化の象徴とされるアイルランドの金工美術は実は青銅器時代に既にある
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【アイルランドの歴史 最初の移住~鉄器時代まで】
紀元前 8,000年 Mesolithic(中石器時代)
最初の移住者がアイルランド到達。魚取ったり狩りをしたり木の実を食べたりという生活。
紀元前 4,000年 Neolithic(新石器時代)
最初の農耕民が現われる。また農耕に伴って牛・羊が島に到着し牧畜も開始される。
人々は土器を作り始める。
補足事項: 農耕・牧畜の開始と土器作りが連動する現象は世界各地で見られる。麦などの穀物は容器がないと貯蔵できないこと、動物の乳は器がないと飲めないことなどから、必要性に応じて土器作りの文化が発生すると思われる)
紀元前3,000年 Neolithic(新石器時代)
巨大な石作りの墓の建造が開始される。ページに記載はないが、おそらく農耕・牧畜の開始によって安定した食糧供給が可能になり、人口が増えたためと思われる。アイルランドの巨石建造物はこのあたりの時代のもの。
紀元前2,500年 Early Bronze Age(銅器時代 早期)
銅製品を作り始める。初期に使われた銅の鉱山はロス島、キラーニー(ケリー州)など。まだ技術的にはあまりこなれていない感じの遺物。この時代の銅は、まだ"青銅"ではない。
紀元前2,400年 Bronze Age(銅器時代)
銅器はまだ青銅に至っていないが、同時に金製品が作られ始めている。金は砂金として収集されていたようだ。
紀元前2,200年 Bronze Age(青銅器時代)
ようやく銅にスズを混ぜれば強化できることを学習し青銅器時代に突入する。
紀元前2,100年
この時代は凝った埋葬で知られ、食料を貯蔵したと思われる壷などの副葬品を伴う。
紀元前1,200年
気候変動により、雨量が増えてやや寒冷に。埋葬は火葬が行われるようになる。
紀元前900年 Late Bronze Age(青銅器時代 後期)
青銅製のたくさんの武器が発見されている。武器の生産は、島の中で紛争が増加していたことを示している。
紀元前800年 青銅器時代の交易
ヨーロッパ各地との繋がりが見える時代。北欧から輸入された琥珀ビーズなどがある。
この時代のアイルランドでは金製品がたくさん作られており、輸出品にもなっていた可能性がある。
あと前から気になってる、アイルランドの青銅器時代の遺跡からエジプト産ファイアンスビーズが見つかっているという件
これも、紀元前800年以降の話だったら、大陸から輸出入ルートが繋がっているので不可能ではない気がする。距離は相当あるんだけど、はるばる北海から琥珀が届くんなら、東地中海からファイアンスが届くことも…或いは。
青銅器時代後期のこのころには、高度な技術を用いた青銅製品も作られている。
そしてこれらの技術の集大成が、次の鉄器時代に受け継がれていく。
紀元前650年 鉄器時代
鉄が、日用品レベルでゆっくりと青銅器と置き換わっていく。金属ごとに用途がわかれていて、鉄は生活の道具や武器、青銅は装飾品や馬具に、金は飾りに、と用途が別れていく。大陸および英国からの影響により、言語や生活スタイルの変化が伺える。
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というわけで、アイルランドで製鉄の開始される時代が書き換わっており、以前言われていた「前500年頃にケルト人の移住によって製鉄技術が伝えられた」というのは、既に古い説になってしまってるのがお分かりいただけただろうか…。日本語の出版物はまだ更新が追いついていないだけなのだ。
で、金工美術も青銅器時代から既にある。
前段に書いたとおり、現在ではアイルランドにケルト人の到来はなく、鉄器時代への突入もケルト人やケルト文化の到来とは無関係、ケルト文化が到来したかどうかすら怪しい(証拠に乏しい)というところまで来ている。
ということは、この金製品の装飾スタイルこそがアイルランドの伝統で、かつてケルト美術として語られていたものの祖として繋げて語られるべきものじゃないのだろうか。
つまりアイルランド美術の直接祖先は、ケルト様式(大陸のハルシュタットやラ・テーヌ文化)ではなくて、製鉄技術とともにケルト人が持ちこんだものでもなくて、そのはるか以前、すわなち青銅器時代からの自分たちの伝統美術なのではないかと。だとすると、紀元前2,400年頃から鉄器時代を経て作られ続けてきた、まさに土着の伝統工芸と胸を張れることになる。なんと、渡来人の存在を無理やりこじつけるよりずっと誇らしい国家の歴史が出来てしまった。(笑)
変にケルト文化と結びつけようとするから謎の空白期間が出来てしまったり、過去の美術様式との間の関連性の説明がややこしくなる。元々の伝統様式が紀元前から継続しているところに後から多少の外来要素が加わっていったという説明にするとすごくスッキリする。
ケルト=イベリアの黄金製品の中にある黄金のトルクはケルト文化の代表だとして、アイルランドの黄金製トルクと比較されることが多いが、そのアイルランドの黄金トルクの原型らしきものが青銅器時代の金製品の中に既にあるという状態で、今までなんでそれケルト文化と結び付けてたんだよ…っていうのがまず分からない…(笑)
ブリテン島経由で影響を受けた可能性は残るにしても、今までの「ケルト文化がベースです!!」っていう態度が偏りすぎてたんじゃないかな…。
アイルランドには金鉱が無いにも関わらず金製品がざくざく出てくるので、学者はその出所にけっこう悩んでいたらしい。IRISH TIMESの以下の記事を見るに、最近だと砂金を使用していたというのが主流説で、イングランドからの輸入説は否定されていそうだ。
Bronze Age Ireland: the country’s golden era
http://www.irishtimes.com/news/science/bronze-age-ireland-the-country-s-golden-era-1.1332517

