竹筏で海を渡る実験が既にあった件(ただし5万年前のオーストラリアへの移住)

三万年前の航海を再現するとかいうアレに文句つけてたとき、「なんで草舟からいきなり竹に変えるんだよww もう一気に丸太にすればいいじゃんどうせ根拠ないんだし」と思っていたのだが、もしかしたら竹筏にしたのは、先行研究で「新人(つまりうちら現生人類)が竹筏で海を渡っていたかもしれない」という話と、それにともなう航海実験があるからかもしれないと気が付いた。

…ただし、その先行研究というのは約5万年前にオーストラリアに渡ったルートについての話であり、人類の出発地点は自生する竹の豊富な地域、しかも必要な渡海距離は80キロ(ちなみに現代の台湾~沖縄は200キロ…)だった。つまり全く条件が違うのだ。


■オーストラリアへの移住ルート

図の中にある「北回廊」と「南回廊」の2ルート考えられていて、どちらも同時期に使われた可能性がある。
「ウォーレス線」という線があるが、ここが動植物の種類が大きく分かれる分岐点になっていて、船を作れるヒトは渡れても、動物が泳いで渡ったり、植物の種が飛ばされて辿り着いたりということが難しくなっている箇所。ここを越えれば、島々の間の距離はあまり大きくないので、完全に陸続きになったことはなくてもほぼ同じような動植物が繁栄している。

竹筏を使ったのでは? と言われているのがウォーレス線上のことで、海は約80キロ。その先の島々に遺跡が残されていることから、どうにかして新人が渡ったのは確かである。

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なお、動植物が渡れない=海水面が下っても繋がらない、ということなので、この80キロという距離は氷河期でもほとんど縮まることはない。
スキャンの関係でだいぶぼやけてしまったが左下に図の説明があり、濃い色で塗られた海は海水面が40m下ると陸にらなる部分、薄い色は130m下ると陸になる部分。海水面が最も低かった時代、ニューギニアとオーストラリアは繋がっていたが、ウォーレス線のあたりは海のまま、島と島の距離はほぼ変わらない。


■先行研究と条件

ぜんぶ転写するのが面倒だったので、とりあえず該当場所をスキャンした。

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出典元は以下の本(図もおなじ)。



「竹筏を利用するなら北回廊のほうが竹の入手はしやすい」という話、竹なら剥片石器だけでもいけるはず、という話などが出てくる。
そしてこの本の中でも紹介されている論文がこちら…

Slow boats from China: Issues in the prehistory of Indo-Pacific seafaring/Anderson, A 2000
https://researchers.anu.edu.au/publications/31811

ここからウォーレス線と竹筏の話でググると色んな情報が出てくる。1993年に香港スタートで行われた竹筏航海の話なんかもあり、巧くやればアメリカ大陸も目指せそうである。

ただし竹は、アジアでは珍しいものではないとはいえオーストラリアにはないし、日本にも元々自生していない。日本の竹は中国原産のものだが、そもそも五万年前にはどこが北限だったのか。今より寒かった時代、竹の自生できる北限は今よりもっと南だろう。三万年前の航海で竹筏を出してくるのなら、そもそも、スタート地点にその時代に竹が豊富に自生していたことの証明からである。先行研究のいいとこ取りではなく。

そしてそれ以前に、三万年前の航海実験では当初、「石器が見つからないから道具を使わなくても作れる草舟で海を渡る」と主張していた。それを、海が渡れないからといきなり草から竹にチェンジするのは全く筋が通っていない。あとから思いついたのだとしたら、実験前の検討段階で致命的な考慮漏れがある。実験を続行すべきではない状況だ。

ウォーレス線を越えるのに竹筏を使ったかもしれないという説自体は、アリだと思う。
しかしだからといって、その内容を条件差の検討なしに丸パクして日本に当てはめたのだとしたら、ちょっとアレなんじゃない? と思う次第。

とりあえず、三万年前に台湾に竹が豊富に生えてたことと、それを加工する技術があったことを証明あるいは可能性が高いと言える証拠を提示してから進めてもらわないと素人が思いつきでやってるようにしか見えんのだよなあ…。

#もう海渡ること自体が目的になっちゃってるからなあ
#どうせ牽引してもらうんだろうし丸木舟でいいんじゃないの

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