トルコ軍、シリアを爆撃してアイン・ダラ遺跡を破壊。というニュースの遺跡説明箇所を勝手に補足する

ようやく情勢が落ち着いてきたというのに、どさくさに紛れてクルド人勢力を削ぎたいからと国境越えでミサイルぶちこんでるトルコさん。シリアはもともとロクアが支援してて、トルコはそのロシアとある種の共闘もしてたわけですが、シリアとロシアは味方同士じゃない。むしろ敵同士。ということです…


トルコの空爆で3000年前の神殿破壊 シリア北部
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e3%83%88%e3%83%ab%e3%82%b3%e3%81%ae%e7%a9%ba%e7%88%86%e3%81%a73000%e5%b9%b4%e5%89%8d%e3%81%ae%e7%a5%9e%e6%ae%bf%e7%a0%b4%e5%a3%8a-%e3%82%b7%e3%83%aa%e3%82%a2%e5%8c%97%e9%83%a8/ar-BBImPX6#page=2

で、このニュースなんですが微妙に「ん・・・・・?」みたいなところがあったりするので、ちょいと調べて補足修正とかしてみる。

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問題はココ。

"破壊されたのは、鉄器時代のヒットタイト新王国のアインダラ(Ain Dara)神殿。紀元前1300年から紀元前700年ごろにさかのぼり、現在、クルド人勢力が支配するアフリン(Afrin)地域にある村にちなんで名づけられた。"


アイン・ダラ遺跡のデータはこんな感じ。
重要ポイント:この辺の遺跡は全て、千年以上にわたって人が継続して居住・使用するため、遺跡が重層構造になっており、時代がまたがっています。

http://www.livius.org/articles/place/ain-dara/

つまり、この遺跡自体は「鉄器時代」でも「新ヒッタイト」でもなく、正しくはメイン部分は「後期青銅器時代~鉄器時代」、「ヒッタイト~新ヒッタイト~アラム人居住時代」である遺跡で、メイン部分以外ではほかの時代の遺構もある。
その後は新アッシリアに併合、その後は新バビロニアに併合、その後は…と所属する勢力圏が変わっていきます。ちなみに発掘はアリ・アブ・アッサフによって1976年、1978年、1980~5年にかけての3回行われており、最上部は中世、最下層が後期青銅器時代の上層構造が見つかっています。(つまり、間に含まれるペルシア時代などの遺跡も同じ場所に重なっている、ということ。住居跡なんで神殿ではないですが)

アイン・ダラ神殿、という意味でいえば、紀元前1300年~740年にかけて作られたもの。神殿は3回作りかえられている可能性がある、とされています。なので後期青銅器時代から鉄器時代にかけての遺跡、になります。

いま表面に見えている遺跡、という意味でいえば、9-8世紀のアラム人居住時代のものと考えられている新ヒッタイト様式のレリーフ(イシュタル神殿)です。

なのでこの記事は、両方を微妙に混ぜ合わせた感じの記事になっちゃっているのです。うんまあ、間違いじゃないんだけど。間違いじゃないんだけどちょっと…足りないかな…。

ちなみに新ヒッタイト=アラム人、に見えてしまうのもあまりよろしくない。
アラム人が新ヒッタイト様式を使ったというだけで、新ヒッタイト自体はアナトリアのヒッタイト本国が喪失したあとカルケミシュを首都として作られた亡命政権のようなもの。アラム人は広範囲に散らばって住んでいて、一度もまとまった国を作ってないです。(カルデア人がアラム文字を利用としていたので、かつては新バビロニアがアラム人の国と考えられたこともありますが、現在ではその説は消えてます)



というわけで、間違いとも言い切れないけどなんか微妙に書き方なんでちょっと引っ掛かったんですよ、という、わりとどうでもいい話。うん、いや、自分的にはどうでもよくないんですけど。

それにしてもトルコさんも無茶しおるなぁ…トルコとシリアの国境付近は古代から大国同士のせめぎあいの場で、ヒッタイトとエジプトがやりあったり、アッシリアとバビロニアがやりあったり、ローマとペルシャがどったんばったん大騒ぎしたり、十字軍とアラブ軍が(ry、そんな中で生き残ってきた古代の記憶…消さないで…欲しい…(´・ω・`)。


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追記

ど真ん中が粉々にされてました。

トルコ軍…これ…あの… ISとやってること…変わらな…(ブワッ

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