ひとつの国が消えるとき ~古代エジプト王国、最後の数十年間
アサシンクリード・オリジンズのDLC(拡張パック)、シナイ半島編で闇落ちしている中の人ですこんにちは。
え、なぜ闇落ちしてるのかって?
・このゲームは紀元前49年スタート、女王クレオパトラの治世下
・主人公は、ギリシャ人やローマ人によって食い物にされつつあるエジプトの民を守ろうとしている戦士
・拡張パックは本編より時間が進んでいる
・史実として、エジプトは紀元前30年にローマ属州になる
…この概要で察してください。
結果の確定した歴史の中で、圧倒的な戦力を誇るローマに対し"どう考えても勝てない"戦いを挑んでいるのがプレイヤー側の陣営なわけですね、もうこれ無理だし。 察 し て く だ さ い
さて、それはそれとして冷静に、ゲーム内で扱われている時代のエジプトの状態について少しまとめてみたい。
「紀元前30年にエジプトはローマ属州となる」にも関わらず、ゲーム内の紀元前49年~43年あたりでもう既にローマ軍がエジプト国内で勝手に民衆を働かせたり神殿ぶっ壊したりしてるのは何でなのか。実は、クレオパトラ7世が即位した時点で、エジプトはローマの属国に近い状態にされており、何されても反抗が出来ないのである。
エジプト最後の王朝であるプトレマイオス朝の栄光は、プトレマイオス3世までである。4世は財政を破綻させ、以降のエジプトはゆるやかに没落していく途上にあった。これには、気候の悪化による穀物収入の減少や、王家の放蕩趣味、官僚の権力が強くなりすぎて権力争いが激しくなったこと、王家内部での後継者争いなど様々な要因が考えられる。
そうした弱体化につけこまれ、クレオパトラの父であるプトレマイオス12世の時代には、実質上ローマ人官僚との共同統治となっていた。そして、ローマはエジプトに断りなく、エジプト領だったキプロスを併合している。さらに、エジプトはローマに友好と証した貢物をせざるを得なくなっていた。
つまりクレオパトラが即位した時には、エジプトがローマに完全に併合されるのが既に時間の問題になっていたのである。彼女は奮闘したが、来るべき時を遅らせることしか出来なかった。
クレオパトラ7世が弟プトレマイオス13世と玉座を争った際、じゅうたんに身を隠してカエサルに会いにいったという有名なエピソードも、ローマの後ろ盾を得らたほうの王が玉座につける、という状況になっていたからなのだ。
このへんを抑えておくと、ゲーム本編で主人公がローマ人将軍を殺そうとしたときクレオパトラから止められたり、クレオパトラが弟を退けて単独統治を開始する際にローマ軍人の支援を受けていたりする描写の背景が分かりやすいと思う。エジプト国内で、ローマ人が好き勝手やらかしているのは、誰も、女王でさえも、もはやそれを止める権力を持たないからだ。
紀元前40年台のエジプトには、独立国としての自由は存在しなくなりつつあった。
もちろん、ローマ治世下でもエジプトの文化や独自性はある程度保たれていた、という見方は可能である。
ローマ皇帝が古代エジプトの神々の神殿を建て増しすることもあり、たとえばナイル上流のアスワンにあるフィラエ島のイシス神殿には「トラヤヌスのキオスク」と呼ばれる建物が作られている。
しかしそれらには、エジプトに対する好意ではなく、建造物を作ることによって地元の支配を確固たるものにしたいという意図のあらわれと見ることが出来る。エジプトを支配していながら一度も足を踏み入れないローマ皇帝もいたし、カラカラ帝のように民衆蜂起に対して手ひどい虐殺でしっぺ返しをくらわした皇帝もいる。
ローマ皇帝たちは、いつでも好きなときに好きなものをエジプトから奪うことが出来た。
ミイラや彫像はもちろんのこと、オベリスクも多くがエジプトから持ち去られた。特にコンスタンティヌス帝は立派なオベリスクを持ち出すことに熱心で、一本は現在のイスタンブール(かつてのコンスタンチノープル)に、一本はローマにある。
結局のところ、支配「される」側であるエジプトには、ローマ皇帝の決定に振り回されるしかなかったのだ。
ローマびいきの人ならば、ローマによる属州支配は悪いことばかりではない、と言うだろう。支配した地域の文明レベルを上げたりインフラを整備したという功績もある。が、それも歴史の見方一つである。既に独自の高度な文明を誇っていたエジプトの場合、支配によって独自文化が失われていったという側面が大きく感じられる。(まぁ自分がエジプト贔屓なせいもあるんですが…)
エジプト人自身が破壊に加担していたことを知っていてもなお、ローマ支配下で失われたもののほうを数えてしまう。
ローマ属州となったエジプトには、この先、運命の4世紀末――キリスト教国教化とともに異教の神殿が閉鎖・破壊される弾圧の時代がやってくる。ヒュパティアの死に象徴される、アレキサンドリアの最後の治世の輝きも、あと数百年で消え去ることが、この時点で既に不可避の未来として確定しているのである。つらい…この先何が起きるのか判っててプレイする史実ベースのゲームは、楽しいけど端々で涙出るくらいつらい…闇落ちしてローマ絶対殺すマンになるのもやむなし…ムダだと判っていてもローマ兵がエジプト人を虐待してるのを見かけると殺しに行ってしまう…味方がみんなボロボロになっていくのを、ただ見てるしか出来ない…(´;ω;`)
***
一つの国がきえるとき。
それは、ある日とつぜん劇的に何かが変わるのではない。
ゆっくりと衰退していく中で、ひとつずつ大切なものを失っていく、そんな時間の先にある結末に過ぎないのだろう。
え、なぜ闇落ちしてるのかって?
・このゲームは紀元前49年スタート、女王クレオパトラの治世下
・主人公は、ギリシャ人やローマ人によって食い物にされつつあるエジプトの民を守ろうとしている戦士
・拡張パックは本編より時間が進んでいる
・史実として、エジプトは紀元前30年にローマ属州になる
…この概要で察してください。
結果の確定した歴史の中で、圧倒的な戦力を誇るローマに対し"どう考えても勝てない"戦いを挑んでいるのがプレイヤー側の陣営なわけですね、もうこれ無理だし。 察 し て く だ さ い
さて、それはそれとして冷静に、ゲーム内で扱われている時代のエジプトの状態について少しまとめてみたい。
「紀元前30年にエジプトはローマ属州となる」にも関わらず、ゲーム内の紀元前49年~43年あたりでもう既にローマ軍がエジプト国内で勝手に民衆を働かせたり神殿ぶっ壊したりしてるのは何でなのか。実は、クレオパトラ7世が即位した時点で、エジプトはローマの属国に近い状態にされており、何されても反抗が出来ないのである。
エジプト最後の王朝であるプトレマイオス朝の栄光は、プトレマイオス3世までである。4世は財政を破綻させ、以降のエジプトはゆるやかに没落していく途上にあった。これには、気候の悪化による穀物収入の減少や、王家の放蕩趣味、官僚の権力が強くなりすぎて権力争いが激しくなったこと、王家内部での後継者争いなど様々な要因が考えられる。
そうした弱体化につけこまれ、クレオパトラの父であるプトレマイオス12世の時代には、実質上ローマ人官僚との共同統治となっていた。そして、ローマはエジプトに断りなく、エジプト領だったキプロスを併合している。さらに、エジプトはローマに友好と証した貢物をせざるを得なくなっていた。
つまりクレオパトラが即位した時には、エジプトがローマに完全に併合されるのが既に時間の問題になっていたのである。彼女は奮闘したが、来るべき時を遅らせることしか出来なかった。
クレオパトラ7世が弟プトレマイオス13世と玉座を争った際、じゅうたんに身を隠してカエサルに会いにいったという有名なエピソードも、ローマの後ろ盾を得らたほうの王が玉座につける、という状況になっていたからなのだ。
このへんを抑えておくと、ゲーム本編で主人公がローマ人将軍を殺そうとしたときクレオパトラから止められたり、クレオパトラが弟を退けて単独統治を開始する際にローマ軍人の支援を受けていたりする描写の背景が分かりやすいと思う。エジプト国内で、ローマ人が好き勝手やらかしているのは、誰も、女王でさえも、もはやそれを止める権力を持たないからだ。
紀元前40年台のエジプトには、独立国としての自由は存在しなくなりつつあった。
もちろん、ローマ治世下でもエジプトの文化や独自性はある程度保たれていた、という見方は可能である。
ローマ皇帝が古代エジプトの神々の神殿を建て増しすることもあり、たとえばナイル上流のアスワンにあるフィラエ島のイシス神殿には「トラヤヌスのキオスク」と呼ばれる建物が作られている。
しかしそれらには、エジプトに対する好意ではなく、建造物を作ることによって地元の支配を確固たるものにしたいという意図のあらわれと見ることが出来る。エジプトを支配していながら一度も足を踏み入れないローマ皇帝もいたし、カラカラ帝のように民衆蜂起に対して手ひどい虐殺でしっぺ返しをくらわした皇帝もいる。
ローマ皇帝たちは、いつでも好きなときに好きなものをエジプトから奪うことが出来た。
ミイラや彫像はもちろんのこと、オベリスクも多くがエジプトから持ち去られた。特にコンスタンティヌス帝は立派なオベリスクを持ち出すことに熱心で、一本は現在のイスタンブール(かつてのコンスタンチノープル)に、一本はローマにある。
結局のところ、支配「される」側であるエジプトには、ローマ皇帝の決定に振り回されるしかなかったのだ。
ローマびいきの人ならば、ローマによる属州支配は悪いことばかりではない、と言うだろう。支配した地域の文明レベルを上げたりインフラを整備したという功績もある。が、それも歴史の見方一つである。既に独自の高度な文明を誇っていたエジプトの場合、支配によって独自文化が失われていったという側面が大きく感じられる。(まぁ自分がエジプト贔屓なせいもあるんですが…)
エジプト人自身が破壊に加担していたことを知っていてもなお、ローマ支配下で失われたもののほうを数えてしまう。
ローマ属州となったエジプトには、この先、運命の4世紀末――キリスト教国教化とともに異教の神殿が閉鎖・破壊される弾圧の時代がやってくる。ヒュパティアの死に象徴される、アレキサンドリアの最後の治世の輝きも、あと数百年で消え去ることが、この時点で既に不可避の未来として確定しているのである。つらい…この先何が起きるのか判っててプレイする史実ベースのゲームは、楽しいけど端々で涙出るくらいつらい…闇落ちしてローマ絶対殺すマンになるのもやむなし…ムダだと判っていてもローマ兵がエジプト人を虐待してるのを見かけると殺しに行ってしまう…味方がみんなボロボロになっていくのを、ただ見てるしか出来ない…(´;ω;`)
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一つの国がきえるとき。
それは、ある日とつぜん劇的に何かが変わるのではない。
ゆっくりと衰退していく中で、ひとつずつ大切なものを失っていく、そんな時間の先にある結末に過ぎないのだろう。