イエスとマリア~聖家族はなぜエジプトに逃げたのかが分からない
イエスが誕生したあと、預言を恐れたヘロデ王が男児を皆殺しにしようとしたので聖母マリアと夫ヨセフは天使の助言に従ってエジプトに逃亡した。…という伝説はよく知られていると思うのだが、なんで天使はエジプトを指定したのかが分からない。
なにしろエジプトは、かつて奴隷扱いされていたユダヤ人が苦労こいて逃げ出してきた酷い国という扱いで、旧約聖書ではひたすら全知全能なる神に絡まれる役回りだからなのである。なのに天使は、神りのひとり子をエジプトに行かせようとする。なぜなんだ…!
なお、聖家族のエジプト逃亡の記述は、新約聖書のマタイ書にだけ存在する。(第二章)
新約聖書の解説本などをチラ見してみたところだと、神学上の解釈としては「モーセの出エジプトに対比させた、イエスによる出エジプトだろう」といった解釈があった。しかしイエスがエジプトで奴隷扱いされたならまだしも、そんな事実はないのでこれはコジツケだろう。また、聖家族に試練を与えて苦労させるためというのも違う気がする。エジプトでどんな暮らしをしていたかはよく判らず、苦労したともしていないとも分からないからだ。
調べてみても「なぜ」という疑問に答えられるものは出てこなかったのだが、その一節を書き残したからには、マタイ書の記述者たちにとっては「イエスのエジプト行き」は必要なイベントであるか、事実であるかのどちらかだったのだ。
「必要」とは、エジプトに行かせることに意味があり、実際とは違うけれども挿入したというパターン。
「事実」とは、家族でエジプトに住んでいたことが実際にあり、それに後から理由付けをしたというパターン。
どちらにせよ記述者は、かつて逃亡してきた地に生まれたばかりの無力なイエスを赴かせたと記録することには問題ないという認識があったのだ。
さて、エジプトに入った聖家族が辿った道のりについては、エジプトのキリスト教徒(主にコプト教徒)たちの間で詳細な伝承が作られている。これはエジプトローカルの伝承である。(ちなみに、エチオピアのタナ湖まで赴いたはずだというローカル伝承も、エチオピアには存在する)
辿った道のりがとても面白い。ぜんぶ、古代エジプト時代の聖地を辿っているのである。
※道順については異論あり。というか伝承のパターンによって多少異なる
最大の聖地であったアビュドスまで行っていないのは意外だが、アシウトはそれとと並ぶ古代の聖地の一つだ。のちに、この聖家族の足取りの残された場所は修道院が建つ。もっとも、伝承が先か、修道院が先かは微妙なのだが。
マリアとイエスのエジプト行脚が古代の聖地めぐりとして設定されているのなら、あるいは、聖家族のエジプト行きも、エジプトに何らかの聖なる意味を持たせていたからではないのか、という邪推がしたくなる。もしくは単純に、イエスが外国に住んでた時期があって、その土地をどこかに特定したかったので縁と馴染みのある土地を物語にはめこんでみた、なんて理由なのかもしれない。
なんだかんだでユダヤ教徒は、けっこうエジプトに住んでいた。アレキサンドリアにはユダヤ人街があったほどだ。
イスラエルを属国にしていた時期もあったりするせいか旧約聖書の中ではさんざん悪者扱いされているエジプトだが、彼らにとっては、愛憎入り混じる馴染み深い国の一つだったのかもしれない。
なにしろエジプトは、かつて奴隷扱いされていたユダヤ人が苦労こいて逃げ出してきた酷い国という扱いで、旧約聖書ではひたすら全知全能なる神に絡まれる役回りだからなのである。なのに天使は、神りのひとり子をエジプトに行かせようとする。なぜなんだ…!
なお、聖家族のエジプト逃亡の記述は、新約聖書のマタイ書にだけ存在する。(第二章)
新約聖書の解説本などをチラ見してみたところだと、神学上の解釈としては「モーセの出エジプトに対比させた、イエスによる出エジプトだろう」といった解釈があった。しかしイエスがエジプトで奴隷扱いされたならまだしも、そんな事実はないのでこれはコジツケだろう。また、聖家族に試練を与えて苦労させるためというのも違う気がする。エジプトでどんな暮らしをしていたかはよく判らず、苦労したともしていないとも分からないからだ。
調べてみても「なぜ」という疑問に答えられるものは出てこなかったのだが、その一節を書き残したからには、マタイ書の記述者たちにとっては「イエスのエジプト行き」は必要なイベントであるか、事実であるかのどちらかだったのだ。
「必要」とは、エジプトに行かせることに意味があり、実際とは違うけれども挿入したというパターン。
「事実」とは、家族でエジプトに住んでいたことが実際にあり、それに後から理由付けをしたというパターン。
どちらにせよ記述者は、かつて逃亡してきた地に生まれたばかりの無力なイエスを赴かせたと記録することには問題ないという認識があったのだ。
さて、エジプトに入った聖家族が辿った道のりについては、エジプトのキリスト教徒(主にコプト教徒)たちの間で詳細な伝承が作られている。これはエジプトローカルの伝承である。(ちなみに、エチオピアのタナ湖まで赴いたはずだというローカル伝承も、エチオピアには存在する)
辿った道のりがとても面白い。ぜんぶ、古代エジプト時代の聖地を辿っているのである。
※道順については異論あり。というか伝承のパターンによって多少異なる
最大の聖地であったアビュドスまで行っていないのは意外だが、アシウトはそれとと並ぶ古代の聖地の一つだ。のちに、この聖家族の足取りの残された場所は修道院が建つ。もっとも、伝承が先か、修道院が先かは微妙なのだが。
マリアとイエスのエジプト行脚が古代の聖地めぐりとして設定されているのなら、あるいは、聖家族のエジプト行きも、エジプトに何らかの聖なる意味を持たせていたからではないのか、という邪推がしたくなる。もしくは単純に、イエスが外国に住んでた時期があって、その土地をどこかに特定したかったので縁と馴染みのある土地を物語にはめこんでみた、なんて理由なのかもしれない。
なんだかんだでユダヤ教徒は、けっこうエジプトに住んでいた。アレキサンドリアにはユダヤ人街があったほどだ。
イスラエルを属国にしていた時期もあったりするせいか旧約聖書の中ではさんざん悪者扱いされているエジプトだが、彼らにとっては、愛憎入り混じる馴染み深い国の一つだったのかもしれない。