野生馬、実は絶滅していた!というニュース→元ソースの本題は「馬飼育の歴史が想定と違う」
最近流れていた、「最後の野生馬とされる馬が実はかつて家畜だった馬の子孫で、野生馬はもう絶滅していた」という話が微妙によくわからんかったので、ちょっと調べてみた。
結論から言ってしまうと、
・家畜馬とわずかに混血しているため純血の野生種ではないが、ほぼ野生種
・祖先の馬は飼育の試みはあったものの家畜化されていたとは言えない。よって家畜の子孫とは言いがたい
まあこれ多分、論文の著者自身、ボタイの遺跡から出てる馬が家畜馬でなかったことを認めたくないっぽいニュアンスで書いてるので判りづらくなってるんだと思う。今までは、ボタイから出土している約5,000年前の馬の骨が飼育化の試みの第一歩で、現在の家畜馬の直接の祖先だと考えていたけれど、DNA調べてみたら直接的な繋がりは無く、「家畜馬の祖先と飼育化の開始を別の場所に求めなくてはならなくなった」という結論になっている。
つまり話題のプルツワルスキーという馬は、5,000年前のカザフスタンにいた人々が食料としていて、もしかしたら飼育化の試みはしたかもしれないけれど完遂することなく放置した馬たちの子孫、ということになる。
ニュース記事はこれ
http://www.afpbb.com/articles/-/3163756
先に書いた結論と、この記事の内容が一部違っているのが判ると思う。
"ボタイの人々に飼われていた"と記事は書いているが、実際は"飼育されていたとは言いがたい"。ここは人によって判断が分かれると思うが私はそう解釈した。根拠は後に書くことにして、最初にこの記事を呼んだときに浮かんだ疑問は以下の3つである。
【疑問】
(1)元になった遺跡の馬は本当に"飼育"されていたのか?
(2)今いる馬が完全な野生馬ではないとする根拠は?
(3)今回の調査でボタイの遺跡の馬が今の家畜馬との直接的な繋がりが薄いことになったようだが、ということは祖先ではないと言いたいのか?
なので元論文と、英語のサマリー記事を読んでみた。
元論文
Ancient genomes revisit the ancestry of domestic and Przewalski’s horses
http://science.sciencemag.org/content/early/2018/02/21/science.aao3297
英語記事
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.jp/2018/02/surprising-new-study-redraws-family.html#0H535bAc4B5TG6jY.97
【疑問に対する答え】
(1)'飼育というより飼育の「はしり」であり、おそらくほとんどが狩猟による馬の獲得
(2)'人間が飼育を試みた馬と混血している証拠があるから。その意味では「純血の」野生馬ではないが、ほぼ野生と言ってもいい
(3)'つながりが薄いため、ボタイの遺跡で見つかっている馬は飼育馬の直接的な先祖とは言いがたい。飼育の試みは失敗したか、広まらないまま廃れた。
というわけなので、この記事、本当は「野生馬が絶滅してた」よりは「飼育馬の起源が想定されていたのと違った」のほうがいいと思うんだ。それと(3)'があるから、馬飼育の起源が5,000年を遡るかもっていうのはちょっと厳しいかと。西アジアだと紀元前1,500年ごろから一般的になり始めることを考えると、従来の、最大限遡れて4,000年ってのが妥当だと思う。(最初の利用は食用からなので、乗馬はもっとずっと後)
順を追って確認していきたいのだが、その前に、前提条件として「家畜化(飼育化)とは何か」という話をしたい。自分が「5,000年前の馬の骨は家畜ではない」と判断した根拠である。
猫飼育の起源について調べたときに書いたとおり、「DNA解析からだけでは、飼育の起源は分からない」。根拠の一つとはなり得るが、それ単体では反論の余地が残る。
[>また猫飼育の起源の論文「猫飼育は一万年前!」 →DNAだけではその証拠は得られない
https://55096962.seesaa.net/article/201706article_21.html
また、"馬"の飼育化の起源を調べる際に一つの指標となるのが、見つかっている馬の骨の年齢と性別である。
一般に、馬はハーレムを作ってくらす動物だ。強いオスがメスを独占して群れを作る。この場合、群れを率いるのはだいたい7-8歳のオスが多いとされる。群れが襲われたとき、仲間を守ろうとして敵に立ち向かうのがこのオスの役目である。従って、馬を狩猟していた遺跡では7-8歳の大人のオスの骨が多くなる。
これに対し、戦闘や乗用には雌馬のほうが向く。馬乳の利用も出来るので、飼育するなら家畜としての利用価値の高い雌馬の比率が高くなる。去勢しないのであれば、雄は種馬だけ残して若いうちに食べてしまったほうが管理が楽だ。
というわけでそれぞれのサイトの状況を確認してみると、明らかに狩猟によって獲得されたパターンになっている。(平均的な年齢が若くても、オスとメスが1:1の比率で出ている場合は、野生の群れを丸ごと捕獲したと見なせる。2-3年の若い固体が優位に多ければ、繁殖の可能性ありと見なせるが)
「遺跡から大量の馬の骨が出てくる、狩猟だけでこの量をとるのは難しい」というのは全く根拠になっていない。だったら、大量のアザラシの骨が出てくるアラスカの遺跡もアザラシを家畜化していたことになってしまう(笑) シカやウサギだってそうだ。人類の歴史において、主食動物は必ずしも飼育化される必要はなかった。
そして、ウマは力が強いしジャンプも出来てしまうので、羊のように簡単な檻に入れておくことは出来ない。手元にとどめておこうとすればハミをかまして丈夫なロープか何かで繋ぐしかない。だから、馬具の誕生は飼育化とイコールではない。狩猟文化の一部としても必要とされるからだ。これも根拠としては不十分となる。
遺跡自体の情報
https://www.amnh.org/exhibitions/horse/domesticating-horses/ancient-krasnyi-yar
Botai and the Origins of Horse Domestication
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0278416598903324
「飼育化」とは、人の手で繁殖を行って形質が変化することを指す。
ボタイにしろ、クラスヌイヤールにしろ、飼育化の試みが行われていたかもしれない、までは言えても、飼育化できていたと言えるまでの証拠がない。遺跡に住んでいた人々がある時期に姿を消すのはエモノとなる馬を狩り尽くしたからではないのだろうか。もし飼育化の試みがある程度成功していたなら、その馬は間違いなく連れていくはずだ。そうではなかったということが、間接的に、飼育化出来なかったことを意味しているように思われる。
次に、今回、「野生の馬じゃなかった!」と言われているプルツワルスキーが、どうして野生の馬ではなかったことになつているかの話である。元論文についていた以下の図を見てもらいたい…
これは遺伝子の近い・遠いを示した図。
いちばん左端の白い○はDonkeyでロバ。その右の水色はArchaicで、古代の骨からDNA採取している完全な野生馬。
緑色のBotai、Borly4がボタイなどカザフスタンの遺跡の骨から採取したDNAで、その下に19世紀、21世紀のプルツワルスキーがぶら下がっている。ということは、ボタイやクラスヌイヤールで飼育化の試みが行われたいた馬の直接的な子孫、ということになる。
オレンジ色が、他の遺跡から採取された飼育化された昔の馬のDNA、黄色が現在の完全に家畜となった馬。
これを見ると視覚的に、現在の家畜馬に繋がるオレンジ色の系統と、ボタイやクラスヌイヤールで飼育化の試みが行われていた緑の系統とは完全に分かれてしまっているのが判る。点線の矢印で示されるように、ごく一部が交雑したに過ぎないと推測される。緑のプルツワルスキーと黄色の家畜馬の間の関係は2.7%だという。
しかしここで思い出してほしいのが、そもそもボタイやクラスヌイヤールの遺跡から出てくる馬の骨は、飼育されていない可能性が大きいことである。その馬の子孫だったから野生ではなかった、と言うことは出来ない。問題となるのは家畜化される馬のオレンジの系統からの交雑があること。ほぼ野生なのだが純血種ではない、ということになる。
これをもって「野生種は絶滅していた」と言われても、う、うーんw という感じにはなる。
人間が飼いならした馬の血も多少入ってるけど、97%くらいまで野生馬なんだから野生馬でいいんじゃねって思う。
最後に、これも元論文に載っていた、ほかの地域の遺跡から馬の骨が出てる年代の一覧。今回の調査に使われたサンプルの出所だ。右上の方に水色の◆があるが、これが完全な野生馬である。真ん中あたりで家畜化されて東西に広まっていったのだったらわかりやすかったのだが、どうもそうじゃないとわかったので、これから馬飼育の歴史の仮説はまた練り直されるのだろう。
本職の人が読めばもっと沢山のことが判るのだろうが、私の頭で理解出来たのは、このくらいだ。
漠然と思うのは、馬の飼育は農耕とあまり相性がよくなさそうだから農耕民以外がはじめそうだな、ということ。馬なんて捕まえるの大変だし狩るのも難しいし、食い物に困る地域じゃないとわざわざ手を出さないような…。相当丈夫な道具が作れないと、繋いでおくことすらできないからね…。しかもブタほど増えるわけじゃないし、乳や毛なら羊やヤギのほうが圧倒的にお手軽。
なんでわざわざ馬なんてめんどくさい動物に手を出したのか、最初に飼おうと思った人たちに聞いてみたい。
結論から言ってしまうと、
・家畜馬とわずかに混血しているため純血の野生種ではないが、ほぼ野生種
・祖先の馬は飼育の試みはあったものの家畜化されていたとは言えない。よって家畜の子孫とは言いがたい
まあこれ多分、論文の著者自身、ボタイの遺跡から出てる馬が家畜馬でなかったことを認めたくないっぽいニュアンスで書いてるので判りづらくなってるんだと思う。今までは、ボタイから出土している約5,000年前の馬の骨が飼育化の試みの第一歩で、現在の家畜馬の直接の祖先だと考えていたけれど、DNA調べてみたら直接的な繋がりは無く、「家畜馬の祖先と飼育化の開始を別の場所に求めなくてはならなくなった」という結論になっている。
つまり話題のプルツワルスキーという馬は、5,000年前のカザフスタンにいた人々が食料としていて、もしかしたら飼育化の試みはしたかもしれないけれど完遂することなく放置した馬たちの子孫、ということになる。
ニュース記事はこれ
http://www.afpbb.com/articles/-/3163756
"研究は、カザフスタン北部の「ボタイ(Botai)」と「クラスヌイヤール(Krasnyi Yar)」の2か所で行われた考古学的調査に基づいている。科学者らはこれらの遺跡で、今から5000年以上さかのぼる最古のウマ家畜化の証拠を発見していた。
このルーツをさらに掘り下げるために、国際研究チームは遺跡で発掘された歯と骨に基づき、ボタイ遺跡のウマ20頭と、ユーラシア(Eurasia)大陸全域のウマ22頭のゲノム(全遺伝情報)を解析した。
次に研究チームは、今回解析した古代のウマのゲノムと、すでに公開されている古代馬18頭と現生馬28頭のゲノムデータとを比較した。
その結果、プルツワルスキーは、約5500年前にカザフスタン北部ボタイの人々に飼われていた、知られている中で最古の家畜馬の子孫であることが明らかになった。"
先に書いた結論と、この記事の内容が一部違っているのが判ると思う。
"ボタイの人々に飼われていた"と記事は書いているが、実際は"飼育されていたとは言いがたい"。ここは人によって判断が分かれると思うが私はそう解釈した。根拠は後に書くことにして、最初にこの記事を呼んだときに浮かんだ疑問は以下の3つである。
【疑問】
(1)元になった遺跡の馬は本当に"飼育"されていたのか?
(2)今いる馬が完全な野生馬ではないとする根拠は?
(3)今回の調査でボタイの遺跡の馬が今の家畜馬との直接的な繋がりが薄いことになったようだが、ということは祖先ではないと言いたいのか?
なので元論文と、英語のサマリー記事を読んでみた。
元論文
Ancient genomes revisit the ancestry of domestic and Przewalski’s horses
http://science.sciencemag.org/content/early/2018/02/21/science.aao3297
英語記事
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.jp/2018/02/surprising-new-study-redraws-family.html#0H535bAc4B5TG6jY.97
【疑問に対する答え】
(1)'飼育というより飼育の「はしり」であり、おそらくほとんどが狩猟による馬の獲得
(2)'人間が飼育を試みた馬と混血している証拠があるから。その意味では「純血の」野生馬ではないが、ほぼ野生と言ってもいい
(3)'つながりが薄いため、ボタイの遺跡で見つかっている馬は飼育馬の直接的な先祖とは言いがたい。飼育の試みは失敗したか、広まらないまま廃れた。
というわけなので、この記事、本当は「野生馬が絶滅してた」よりは「飼育馬の起源が想定されていたのと違った」のほうがいいと思うんだ。それと(3)'があるから、馬飼育の起源が5,000年を遡るかもっていうのはちょっと厳しいかと。西アジアだと紀元前1,500年ごろから一般的になり始めることを考えると、従来の、最大限遡れて4,000年ってのが妥当だと思う。(最初の利用は食用からなので、乗馬はもっとずっと後)
順を追って確認していきたいのだが、その前に、前提条件として「家畜化(飼育化)とは何か」という話をしたい。自分が「5,000年前の馬の骨は家畜ではない」と判断した根拠である。
猫飼育の起源について調べたときに書いたとおり、「DNA解析からだけでは、飼育の起源は分からない」。根拠の一つとはなり得るが、それ単体では反論の余地が残る。
[>また猫飼育の起源の論文「猫飼育は一万年前!」 →DNAだけではその証拠は得られない
https://55096962.seesaa.net/article/201706article_21.html
また、"馬"の飼育化の起源を調べる際に一つの指標となるのが、見つかっている馬の骨の年齢と性別である。
一般に、馬はハーレムを作ってくらす動物だ。強いオスがメスを独占して群れを作る。この場合、群れを率いるのはだいたい7-8歳のオスが多いとされる。群れが襲われたとき、仲間を守ろうとして敵に立ち向かうのがこのオスの役目である。従って、馬を狩猟していた遺跡では7-8歳の大人のオスの骨が多くなる。
これに対し、戦闘や乗用には雌馬のほうが向く。馬乳の利用も出来るので、飼育するなら家畜としての利用価値の高い雌馬の比率が高くなる。去勢しないのであれば、雄は種馬だけ残して若いうちに食べてしまったほうが管理が楽だ。
というわけでそれぞれのサイトの状況を確認してみると、明らかに狩猟によって獲得されたパターンになっている。(平均的な年齢が若くても、オスとメスが1:1の比率で出ている場合は、野生の群れを丸ごと捕獲したと見なせる。2-3年の若い固体が優位に多ければ、繁殖の可能性ありと見なせるが)
「遺跡から大量の馬の骨が出てくる、狩猟だけでこの量をとるのは難しい」というのは全く根拠になっていない。だったら、大量のアザラシの骨が出てくるアラスカの遺跡もアザラシを家畜化していたことになってしまう(笑) シカやウサギだってそうだ。人類の歴史において、主食動物は必ずしも飼育化される必要はなかった。
そして、ウマは力が強いしジャンプも出来てしまうので、羊のように簡単な檻に入れておくことは出来ない。手元にとどめておこうとすればハミをかまして丈夫なロープか何かで繋ぐしかない。だから、馬具の誕生は飼育化とイコールではない。狩猟文化の一部としても必要とされるからだ。これも根拠としては不十分となる。
遺跡自体の情報
https://www.amnh.org/exhibitions/horse/domesticating-horses/ancient-krasnyi-yar
Botai and the Origins of Horse Domestication
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0278416598903324
「飼育化」とは、人の手で繁殖を行って形質が変化することを指す。
ボタイにしろ、クラスヌイヤールにしろ、飼育化の試みが行われていたかもしれない、までは言えても、飼育化できていたと言えるまでの証拠がない。遺跡に住んでいた人々がある時期に姿を消すのはエモノとなる馬を狩り尽くしたからではないのだろうか。もし飼育化の試みがある程度成功していたなら、その馬は間違いなく連れていくはずだ。そうではなかったということが、間接的に、飼育化出来なかったことを意味しているように思われる。
次に、今回、「野生の馬じゃなかった!」と言われているプルツワルスキーが、どうして野生の馬ではなかったことになつているかの話である。元論文についていた以下の図を見てもらいたい…
これは遺伝子の近い・遠いを示した図。
いちばん左端の白い○はDonkeyでロバ。その右の水色はArchaicで、古代の骨からDNA採取している完全な野生馬。
緑色のBotai、Borly4がボタイなどカザフスタンの遺跡の骨から採取したDNAで、その下に19世紀、21世紀のプルツワルスキーがぶら下がっている。ということは、ボタイやクラスヌイヤールで飼育化の試みが行われたいた馬の直接的な子孫、ということになる。
オレンジ色が、他の遺跡から採取された飼育化された昔の馬のDNA、黄色が現在の完全に家畜となった馬。
これを見ると視覚的に、現在の家畜馬に繋がるオレンジ色の系統と、ボタイやクラスヌイヤールで飼育化の試みが行われていた緑の系統とは完全に分かれてしまっているのが判る。点線の矢印で示されるように、ごく一部が交雑したに過ぎないと推測される。緑のプルツワルスキーと黄色の家畜馬の間の関係は2.7%だという。
しかしここで思い出してほしいのが、そもそもボタイやクラスヌイヤールの遺跡から出てくる馬の骨は、飼育されていない可能性が大きいことである。その馬の子孫だったから野生ではなかった、と言うことは出来ない。問題となるのは家畜化される馬のオレンジの系統からの交雑があること。ほぼ野生なのだが純血種ではない、ということになる。
これをもって「野生種は絶滅していた」と言われても、う、うーんw という感じにはなる。
人間が飼いならした馬の血も多少入ってるけど、97%くらいまで野生馬なんだから野生馬でいいんじゃねって思う。
最後に、これも元論文に載っていた、ほかの地域の遺跡から馬の骨が出てる年代の一覧。今回の調査に使われたサンプルの出所だ。右上の方に水色の◆があるが、これが完全な野生馬である。真ん中あたりで家畜化されて東西に広まっていったのだったらわかりやすかったのだが、どうもそうじゃないとわかったので、これから馬飼育の歴史の仮説はまた練り直されるのだろう。
本職の人が読めばもっと沢山のことが判るのだろうが、私の頭で理解出来たのは、このくらいだ。
漠然と思うのは、馬の飼育は農耕とあまり相性がよくなさそうだから農耕民以外がはじめそうだな、ということ。馬なんて捕まえるの大変だし狩るのも難しいし、食い物に困る地域じゃないとわざわざ手を出さないような…。相当丈夫な道具が作れないと、繋いでおくことすらできないからね…。しかもブタほど増えるわけじゃないし、乳や毛なら羊やヤギのほうが圧倒的にお手軽。
なんでわざわざ馬なんてめんどくさい動物に手を出したのか、最初に飼おうと思った人たちに聞いてみたい。