鉄器が広まり始めた理由と技術の変遷/ヒッタイト崩壊後、真の鉄器時代に至るまで

前からちょろちょろ追いかけているやつで、読みたかった論文をようやく探し当ててきたので。
この論文は面白くて、鉄の成分を分析して、ヒッタイトで製造されていた鉄の作り方と、のちに東地中海世界に広まる鉄器の作り方ではそもそも違うので、両者が連続しているわけではなさそう、という結論に達している。

これ↓

中央アナトリア、カマン・カレホユック出土鉄製品に見る「鉄器時代」のはじまりに関する一考察
https://ci.nii.ac.jp/naid/40020844616/

前段階として説明しておくと、かつて製鉄の技術はヒッタイト帝国が独占的に有し、紀元前1,200年ごろの帝国崩壊とともに技術が流出して世界に広まった、とされてきた。
しかし、ここ15-10年くらいの研究によって、どうもそれは違うんじゃね? ということが判ってきた。まずヒッタイトから発掘される鉄製品が少なすぎること。次に、ヒッタイト崩壊から鉄器が主流となるまでに数百年の隔たりがあること。これらについては記事の末尾にこれまで追いかけてきた資料を置いておくので、ここでは詳しく書かない。

とにかく、ヒッタイト崩壊と製鉄技術の間に関連性があるのか、無いのかでいうと、「どうも関連薄そう」というのが今の印象である。製鉄技術自体は、ヒッタイト崩壊前からすでにあちこちで知られており、試行錯誤されていた。それが、どのようにして主流となり、どこからどうやって広まっていったのか、に一つの手がかりを与えるのが、この論文になる。

分析のお題となっているのはカマン・カレホユックという、長年日本の研究者が発掘している遺跡から出土した各時代の鉄製品。ちょっと色が薄いが、その出土数を時代ごとにまとめると、こうなるという。

画像


カマン・カレホユックはヒッタイト帝国支配化で鉄器の生産をしていた可能性のある遺跡なのだが、それでもやはり、帝国時代は青銅器の出土量が圧倒的に多い。そしてこの時代の製法は、まだ未熟で、成分的にも、鋼の生産をしていたと言うことも出来ないという。
そして紀元前1,200年ごろの帝国の崩壊と断絶。
その後ふたたび鉄製品が作られ始めるが、高度な製造技術が確立され、製品によって作りかたを変えるなどの手法が見られ始めるのは紀元前8世紀からだという。

紀元前8世紀、いう時代は重要である。なんでかというと、レバントやイスラエルなど。東地中海の周辺でも鉄器の出土数が青銅器を上回りはじめる時代だからだ。東地中海史においては、いまや紀元前8世紀が「真の鉄器時代の始まり」とも言われている。
ただ、その鉄器時代の始まりを牽引したものはヒッタイト帝国の技術ではなかった、ということになる。

イスラエルやレバントの例を見ると、紀元前9世紀には鉄器の産出量が増加し始めている。ということは、前10世紀-9世紀の東地中海のどこかで起きた技術革新が、鉄器は青銅器を上回るメリットをもつ金属器と認識されはじめたのではないかと考えられる。ただ、その「始まり」の場所も時代も、今はまだ良く分からない。また、「始まり」を知ることより、鉄器の利用がいかに迅速に広まっていったかを調べるほうが重要だとも思う。どこから始まったにせよ、この技術はあっというまに世界の西と東に拡散し、その後の世界の、多くの国家の趨勢を決めることになるのだから。

そしてやはり気になるのは、「鉄器が広まり始めた理由」である。

鉄の材料は世界中あちこちにあるから、とれる場所が限られる錫を必要とする青銅よりもはるかに手に入れやすい。しかし、果たしてそれだけが理由だったのかというのも、今では疑問だ。普通に暮らす分には、そもそも金属器は必要ない。装飾品ならば金でよく、エモノをとるなら石器でよい。人が鉄器を欲した理由は、もしかしたら農業知識と関係しているのではないだろうか。畑を耕すのには、木の鋤よりも鉄の鋤のほうが圧倒的に効率いいのである。鉄は最初から戦争と武器に結び付けられていたのではなく、農耕とセットだったんじゃないか。そうしてみると、鉄器が広まり始めた初期の頃は、武器よりまず農具が作られている地域が多いような気もする。

ただ、これは今はまだ思いつきに過ぎないので…。
っていうかこのくらいなら、もう既に誰か思いついて何か書いていそうな気も…。

まあ、それはいつものこと。思いついたら書いておかないと忘れるので、とりあえず今日はここまで。

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参考

カマン・カレホユックの発掘についての報告ページ
http://www.jiaa-kaman.org/jp/excavation_kalehoyuk.html


ここまでに調べた内容

ヒッタイト=鉄の帝国 というイメージの変更/鉄の伝播はヒッタイト帝国崩壊が切っ掛けではない
https://55096962.seesaa.net/article/201706article_20.html

「鉄」にまつわる信仰と誤解、鉄器が広まらなかったのはヒッタイトが秘匿したからではない可能性あり
https://55096962.seesaa.net/article/201606article_5.html

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