6,500年前の移住者と、農耕文化の交流の可能性

イスラエルの都市文化が盛り上がるのが紀元前2,000年くらいからなので家にある資料は4,000年前くらいまで。
このへんの時代の資料ほとんど持ってないのでまず文化の変遷がよく分からないのだが、レバントで見ると紀元前4,500年くらいから紀元前3,300年ごろまでは青銅器時代。

その時代に起きた、アナトリア・ザグロス方面(イスラエルからは北東)からの「青い眼」の民族の移住が、南レバントで起きた文化的な変動の原因かもという話である。

Blue-Eyed Immigrants Transformed Ancient Israel 6,500 Years Ago
https://www.livescience.com/63396-ancient-israel-immigration-turkey-iran.html

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今回調査されたガリラヤ湖北部の6,500年前の集団墓の人骨は、その時代の土着の人々と遺伝的に明らかに異なっていて、現在トルコとイランの一部である近隣のアナトリアとザグロス山脈に住む人々のものと一致するという。つまりまとまった数が移住してきてたことになる。「青い眼」というのは、今流行りのDNAから眼や髪や肌の色を推定するやつ。
ただし、眼や肌の色を決める遺伝子の全てが特定されているわけではなく、複数の要素が絡むため、「青い眼に明るい色の肌をしていた」という部分にあまりこだわるのは良くないだろう。大事なのは遺伝子の傾向として、母集団が異なると思われる人々がまとまった数、流入していたということ。

この話で気になるのは、大規模な人の移動がどこまでの範囲に影響していたか。
それと農耕技術がクロスしたのはもしかしてこの時点じゃないのか? ということ。

関連しそうな研究がこれ。

人類学:ゲノミクスから得られた古代近東における農耕の起源に関する手掛かり
https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/536/7617/nature19310/%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E5%BE%97%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E8%BF%91%E6%9D%B1%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%BE%B2%E8%80%95%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%89%8B%E6%8E%9B%E3%81%8B%E3%82%8A


"レバント地方南部(イスラエルおよびヨルダン)とザグロス山脈(イラン)の最初の農耕民は遺伝学的に著しく分化しており、それぞれ現地の狩猟採集民の血を引いていた。この2つの集団とアナトリア人に近縁な農耕民は、青銅器時代までにお互いやヨーロッパの狩猟採集民と混血し、遺伝学的な分化の度合いが大きく低下した。"

今回明らかになった6,500年前の移住者はザグロスから来ているので、まさにこの時代にレバント南部の農耕民と交じり合ったんじゃないかということ。そして両者の持つ文化が河を南下して、メソポタミアの都市文化の基礎になってるんじゃないかと…。

ひとつの地域、ひとつの時代だけの研究だと「ふーん」で終わるんだけど、前後の時代と隣の地域の研究と繋がれば、一気に歴史の流れが出来上がるんですよ。微妙に時代がズレてる気もするので、このへん細かい検証は だれか たのんだ(おい

やっぱこの手の知識は断片でも頭に入れとくもんだな、どこで繋がるか判らん。

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