古代人のゲノム調査と考古学/ここ最近のトレンドから見えてくること
なんか最近、古代人のゲノム解析したらxxが判った! 的な話をよく見かけるなと思っていたのだけれど、気のせいじゃなくて本当にそういう研究がトレンドになっていた。
ただそれは、古代人のゲノム解析という新しい技術による知見と、従来の考古学の間で微妙なすれ違いも生み出しつつあるようだ。
Divided by DNA: The uneasy relationship between archaeology and ancient genomics
https://www.nature.com/articles/d41586-018-03773-6
古代人のゲノム解析の研究は、1985年には既に存在するという。対象はエジプトのミイラ、ただしこの時点での技術は不完全で、現在ではコンタミ(現代人のDNAなどが汚染物質として混じった結果)と考えられている。
しかしその後、2000年代半ばに技術革命が起こり、2010年に4,000年前のグリーンランド人のゲノム解析に成功したことで、ある程度、技術として確立される。そして、それ以降は古代のゲノム解析数が物凄い勢いで増えつづけ、2018年は3月時点でこの数。そりゃー、「なんか最近よく見かけるなぁ」と思うわけで。
ただし2018年の分析のうちヨーロッパの400件、うち226件は、「ビーカー人」にまつわる解析。
これが記事内でゲノム解析と考古学のすれ違いの一例として語られているものだ。
この論文に関する日本語の記事と原文
遺伝学: ゲノム解析から得られたビーカー文化の手掛かり
https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/555/7695/nature25738/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E3%81%A8%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E5%8C%97%E8%A5%BF%E9%83%A8%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%A4%89%E5%8C%96
ビーカー型の土器が特徴的なビーカー文化は、それ自体が単一の文化や民族を指すものではない。ただ、金属精錬の技術と同時に広まっていると見られていて、どこからどのようにして広まったのかが議論の的になっている。
従来の説では、ビーカー文化の広がりに人の入れ替えは伴わないと考えられてきた。文化自体に地域差が大きく、異なる人間集団に文化が受け継がれる中で変化してきた、と考えるほうが妥当と思われていたからた。しかし議論となった論文では「ブリテン島の遺伝子プールの約90%が数百年以内に置き換わった」という結論を出しており、文化と人が同時に入れ替わったと言っているのと同じになる。
文化は遺伝子に乗っているわけではなく、異なる人間集団に文化が伝播するケースのほうが多い。もしくは、人の置き換えが発生するにしても、もっとゆるやかに、人間集団が長年かけて交じり合いつつ起こるのが普通だ。
たとえば日本の縄文時代と弥生時代がそう。弥生式土器が作られ始めた最初の数百年で、日本に住む人が大陸渡来人に置き換わる、などということは考えにくい。
にもかかわらずこの結果なので、従来の考古学で考えられていた文化の変遷と、ゲノムの分析から見えるものの折り合いをどうつけるかが問題になっている。これを福音と見るか、大間違いと考えるかは、個々の学者の立場にもよる。また、ある意味、遺伝学からの視点と考古学からの視点、双方の限界を示している結果だとも思う。
人の移住が文化を変えるというアイデアを考古学者が否定するのは、かつては主流だった、「優れた文明はよそから来た優れた民族によってしか誕生しない」といった、種の優劣という悪夢の時代に戻る恐怖から当然の反応ともいえる。
また、ゲノムの情報の中にアイデンティティは書かれていない、というのも事実である。
解析されている一部の人間の情報だけでその時代の全てが見えるわけではないのもあるだろう。
いずれにしても、ゲノム解析は古代への新たな扉を開くとともに、従来のものの見方に戸惑いを生み出している。解析件数が増えるほど、考古学とのすれ違いも増えるだろう。とはいえ、扉を開くことが出来るようになってから、まだ十年も経っていない。時を越える視点をうまく噛み合わせる方法もまた、これから構築されていくだろうと思う。
ただそれは、古代人のゲノム解析という新しい技術による知見と、従来の考古学の間で微妙なすれ違いも生み出しつつあるようだ。
Divided by DNA: The uneasy relationship between archaeology and ancient genomics
https://www.nature.com/articles/d41586-018-03773-6
古代人のゲノム解析の研究は、1985年には既に存在するという。対象はエジプトのミイラ、ただしこの時点での技術は不完全で、現在ではコンタミ(現代人のDNAなどが汚染物質として混じった結果)と考えられている。
しかしその後、2000年代半ばに技術革命が起こり、2010年に4,000年前のグリーンランド人のゲノム解析に成功したことで、ある程度、技術として確立される。そして、それ以降は古代のゲノム解析数が物凄い勢いで増えつづけ、2018年は3月時点でこの数。そりゃー、「なんか最近よく見かけるなぁ」と思うわけで。
ただし2018年の分析のうちヨーロッパの400件、うち226件は、「ビーカー人」にまつわる解析。
これが記事内でゲノム解析と考古学のすれ違いの一例として語られているものだ。
この論文に関する日本語の記事と原文
遺伝学: ゲノム解析から得られたビーカー文化の手掛かり
https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/555/7695/nature25738/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E3%81%A8%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E5%8C%97%E8%A5%BF%E9%83%A8%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%A4%89%E5%8C%96
ビーカー型の土器が特徴的なビーカー文化は、それ自体が単一の文化や民族を指すものではない。ただ、金属精錬の技術と同時に広まっていると見られていて、どこからどのようにして広まったのかが議論の的になっている。
従来の説では、ビーカー文化の広がりに人の入れ替えは伴わないと考えられてきた。文化自体に地域差が大きく、異なる人間集団に文化が受け継がれる中で変化してきた、と考えるほうが妥当と思われていたからた。しかし議論となった論文では「ブリテン島の遺伝子プールの約90%が数百年以内に置き換わった」という結論を出しており、文化と人が同時に入れ替わったと言っているのと同じになる。
文化は遺伝子に乗っているわけではなく、異なる人間集団に文化が伝播するケースのほうが多い。もしくは、人の置き換えが発生するにしても、もっとゆるやかに、人間集団が長年かけて交じり合いつつ起こるのが普通だ。
たとえば日本の縄文時代と弥生時代がそう。弥生式土器が作られ始めた最初の数百年で、日本に住む人が大陸渡来人に置き換わる、などということは考えにくい。
にもかかわらずこの結果なので、従来の考古学で考えられていた文化の変遷と、ゲノムの分析から見えるものの折り合いをどうつけるかが問題になっている。これを福音と見るか、大間違いと考えるかは、個々の学者の立場にもよる。また、ある意味、遺伝学からの視点と考古学からの視点、双方の限界を示している結果だとも思う。
人の移住が文化を変えるというアイデアを考古学者が否定するのは、かつては主流だった、「優れた文明はよそから来た優れた民族によってしか誕生しない」といった、種の優劣という悪夢の時代に戻る恐怖から当然の反応ともいえる。
また、ゲノムの情報の中にアイデンティティは書かれていない、というのも事実である。
解析されている一部の人間の情報だけでその時代の全てが見えるわけではないのもあるだろう。
いずれにしても、ゲノム解析は古代への新たな扉を開くとともに、従来のものの見方に戸惑いを生み出している。解析件数が増えるほど、考古学とのすれ違いも増えるだろう。とはいえ、扉を開くことが出来るようになってから、まだ十年も経っていない。時を越える視点をうまく噛み合わせる方法もまた、これから構築されていくだろうと思う。
