「日本最古の石器」12万年前の砂原遺跡に見る日本考古学界の問題点

暗澹たる気持ちで本を置いた。

旧石器捏造事件なんてあったけど、日本でも前期旧石器は出るんだ、と胸を張って公表された、砂原遺跡についての本である。この本を読んだあとに確信を持って言えることがある。

考古学会がこのままの方向性ならば、旧石器捏造事件は確実に、もう一度起きる。



この「遺跡」は出雲にある。十二万年前の地層から石器が出たので前期旧石器であり日本最古だ、という主張がなされている。発見者の記事などは以下。

日本列島における「人類史の起源」を追い求めて。【文学部文化史学科 松藤和人 教授】
https://www.doshisha.ac.jp/news/2016/0923/news-detail-3692.html

また、論文も以下にある。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ejgeo/4/2/4_2_47/_pdf

…しかし、どうしてもこれが石器に見えない。
それほど石器を見慣れてるわけでもないが、これは自然礫ではないだろうか。ていうか握って使う前提だとしたら、どう握ってどう力をこめるのかの想像がつかない。。。

画像


本を読んでみても、根拠は非常に薄い。というか皆無である。
そして鑑定方法が間違っている。

剥離痕はあるけど石器っぽく見えないものをまとめて「チャンク」と呼んでいるが、チャンクにはチャンクのルールがあり、「こういう石器を作ろうとしてこう打ち付けたらこう石が剥がれる」というのが決まってる。その形に添ってないものは自然礫やぞ。。。基本じゃないのか。。。

韓国に似たような形の石器がある、というのも全く根拠にならない。というのも2000年以前の日本の考古学者は、石器を見分けるときにまさにその方法を使って大量の偽石器を石器認定してしまった"実績"があるのだ。自然の石の尖ったほうをわざわざ上に向けて「これは尖頭器だろう」などと主張した。積極的に石器として「見よう」としたわけだ。自然物と人工物の区別がつけづらい石器の鑑定において、「似ている」という理由づけは、似せてみようと自ら補整したという意味に過ぎない。

それと剥離痕だけだと石器と石器でないものを見分ける指標にはならない。何故かというと、火砕流などで自然に生じる剥離も多いからだ。石器の作り方はだいたい決まってるので、その作り方に沿って作られてるか、というのが見分け方。剥離の仕方とか、石を剥がした方向とかも見ないとだめでしょ。割れた跡がいっぱいあって、人口っぽい擦り傷がついてるから石器です! とかいうことを言い出す先生がいたら多分エセである。

が、この場合はもっと状況が悪い。


Web上で見られる報告論文などを読んでも根拠が分からないので本を読んでみたところ、剥離痕どころか、石器の形式とか作り方とか考慮せずに、なんと石器が出てきた地層で年代を判断しちゃってるのだ。というか、本を読んでみようと思った理由が論文を読んでも地層の話しか出てこなかったからなのだが、まさかそのまま押し通してるとは思わなかった。


※ここめっちゃ大事※

 古い地層から出てきたからって
 
 その石器が古い証拠にはならない



当たり前だよね…。。。

エジプトでいったら、ピラミッドから出てきたものがぜんぶピラミッド時代の遺物とは限らない、という話だ。後世に混入したものも多数あり、それらを見分けて年代を特定する根拠は、遺物自体の美術様式や素材の使い方、形態などである。その知識を有するのが専門家であって、単純に地層や墓の年代から遺物の年代を決めるんだったら素人と変わらない。

石器の場合も、年代を特定する根拠はそれが出土した地層の古さではなく、作り方や素材の使い方、形態であるはずだ。地層からしか年代を特定出来ないのならド素人だし、そもそもそれが石器かどうか判別できているか怪しい。地層は目安にはなるが根拠ではありえない。

なのに、発見者の本では堂々とこう書かれている。

"たとえば四十万年前の白い網目模様が入った赤色古土壌層から旧石器が発見されれば、その旧石器は四十万年前のものということになる。"


この先生に師事している学生さんは今すぐ進路を考え直したほうがいい。

ちなみに、2000年に発覚した日本考古学史上 最大の汚点である「旧石器捏造事件」が長年発覚しなかった理由の一つは、石器そのものの鑑定が出来ない学者たちが地層に頼って石器を判断したからだった。

「層位は型式に優先する」、すなわち、古い地層から出たものはどんな形状だろうと古い石器に違いない、という考え方である。そのお陰で、50万年前の地層に埋められた縄文時代の石器を50万年前の旧石器と考え、日本の石器は世界のほかの地域より進んでたんだNE★ みたいなアホな結論に達して悦に入っていたのである。(…文字で書くとめっちゃ恥ずかしいな。そんな学説がまかりとおってた時代に専門家名乗ってた人たちはよくそれでメシが食えてたな)


にもかかわらずいまだに地層に頼っているのは、過去の反省が不十分というよりも、ぶっちゃけ、事件の本質を何も見ようとしていなかったことを意味している。何も反省せず、かつて大失敗ぶちかましたのと寸分違わない同じ方法論をとっているのだから、同じ過ちは繰り返されるだろうとしか言えない。暗澹たる気持ちにもなろうというものだ。


さらにまずいのは、見つけたと言ってる石器の発見現場の写真が見つからなかったこと。
また、いくつかの石器が、かなり疑わしい状況で発見されている。

・自宅に帰って採取した石片を取り出してじっくり観察したら石器の可能性が高いと思われた(P53)
→発見時が一人、かつプライベートなので他に証言者なし

・最初の玉髄製剥片が見つかった直ぐ脇に石器らしきものが落ちていたのを拾った。きっと作業員が投げ捨てたものだろう(P69)
→いつからそこにあり、誰がそこに置いたのかも、本当にそこで発掘されたのかも不明

・発掘後、三年してから、現場から発掘参加者の自宅に直接送られていた礫収納袋の中から横長剥片が見つかった。土が付いたままだったので本物のはず。(P112)
→なんで自宅で三年も保管してるのかはともかくとして、身内で鑑定しあって本物と保証しているだけなので根拠にならない


ヘタしたらこれらの「石器」は本当は現場から出ていないことになる。というか旧石器捏造事件は、まさにそういう、他の現場から掘り出した石器を別の現場で掘り出したことにした事件でもあった。

発掘を仲間内と学生だけでこなしている点や、「何か出ないとマズい」と関係者がプレッシャーを感じているところに運よく石器が見つかっている点などもそっくりそのまま過去の事件をなぞっており、これを胸を張って主張されても全面的な信用はできかねる。



砂原遺跡の石器が本物かどうか、私は、いま見えている資料だけから判断するに、偽石器に引っ掛かっただけで遺跡ではないのではないかという疑問すらある。状況は非常に疑わしい。

ここから疑惑を取り除くために必要と思われる証明は、以下のような内容だ。


●石器と言っているものが本当に石器か否か、石器そのものからの鑑定

2000年の旧石器捏造事件以前に、捏造された石器を本物と信じていたすべての学者には石器を見る目や知識が不十分であることが確定している。従って、彼らに見せて本物と太鼓判を押されても意味はない。「いや、あなたたちド素人の捏造石器に何十年も騙されてたんで信用ならないです。」でバッサリ切れる。

それ以外の、捏造を見破れていたごく少数の「本物」の専門家が認めるなら、本物である可能性が高いのだろう。


●石器の出土状況の再確認

既に述べたように、発見されたという石器の幾つかは状況が非常に疑わしい。発見されたそのままの状況の写真なども見つからなかった。そうしたものがあって、確実にその場所から出土したと証明出来ないと意味がない。たとえ石器としては本物だったとしても、他の場所から持ってきただけ、ということがありえるし、実際にそういう捏造が起きてしまっているからだ。


●その年代の石器として妥当な形態であるか

石器には進化の過程というものが存在する。
十二万年前の日本に石器があるのなら、その石器はホモ・サピエンスではない別種のホモ属、ないしネアンデルタールのような別種の人間が使った可能性が高い。そう考えた上で、その自体の石器の形態としてありえるものかどうかが問題だ。

たとえ石器が本物で、確実にその場所から出土していたとしても、ネアンデルタールが縄文時代の黒曜石の石器を持ってるわけがない。もしそんなことがありえたなら、そもそも人類史の書き換えが必要になる。
たとえば十二万年前の地層から縄文時代の様式の石器が出てきたら、上層の地層から落ちたのか、地層の年代を読み間違えたのか、不適切な発掘や人為的な混入など別の可能性を先に検討すべきだ。あと、同時代の石器のはずなのにいきなり製法が進化していたりするならば、石器自体の年代の読みを疑ったほうがいい。


見つかった遺物は、文脈の中で理解しろ。とはよく言われる言葉だが、石器の鑑定やその意味の理解においても同じことだ。

ここまで検証されて確実だといわれれば、私も素直に納得できるし、異論も少なくなるだろう。
しかし… 全然そんな方向には… 向いてないんだよなぁ……。



ただ単に「過去に捏造事件があったから」という理由だけで、前期旧石器の存在が否定されることはない。
「これまでの石器の年代からして古過ぎる」というのも否定する理由にはならない。嫌疑が唱えられるのは、必要な検証がされず、有効な根拠も揃っていないから。その点に尽きる。

それも、「なぜ過去に、雁首そろえて捏造に引っ掛かり、部外者に指摘されるまで気が付かなかったのか」という反省が一切踏まえられておらず、失敗した考え方をいまだに信奉してることは致命的だ。きちんと反省できていれば、地層が古いかどうかなんか論じる前にやるべき証明があることには気づくよね?



とどのつまり、あの事件で何が問題だったのかを、渦中にいた関係者たち自身が理解していなかったのだろう。




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【参考までに】
旧石器捏造事件について調べてたときの記事とか

「考古学崩壊 前期旧石器捏造事件の深層」を読んでみた。…言い方はともかく、言いたいことはよく分かる
https://55096962.seesaa.net/article/201605article_3.html

→この先生の言う「日本の考古学会このままだと終わるぞ」って話は本当にそのとおりになってる。

旧石器捏造事件で消された遺跡のリスト(藤村新一の関わった遺跡)を探してきた。
https://55096962.seesaa.net/article/201605article_8.html

→専門家を名乗る人たちは、これだけの数の遺跡の真偽判定が出来ませんでした。

専門家だって間違うことはある→どういう時に間違うのか
https://55096962.seesaa.net/article/201607article_22.html

→今回の本とかまさにこれ


おまけでこれも

ヨーロッパ版ゴッドハンド事件…人類の発展と世界進出に関する論文に纏わる疑惑が盗難事件に発展
https://55096962.seesaa.net/article/201801article_21.html

→同業の専門家にツッコんでくれる人がいて良かったですね


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冒頭に、「このままなら、日本の考古学会の評判を地に貶めて大恥をさらした事件はもう一度起きる」と書いた。「このままなら」なので、業界内にいる人、学生さんは、本気で方向転換をはかってほしい。じゃないと本当に取り返しがつかない。

今がまだ手遅れでないことを、――この砂原遺跡が、このまま無批判に受け入れられることがないよう祈っている。

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