航海術に優れたオセアニア住民でも海で遭難することは結構あった。
いかに航海術に優れていようとも海は海、荒れることもあれば予測不可能な出来事に出会って遭難することはある。
オセアニア住人が、既に確立された定期航路を辿る場合でもそれなりの確立で遭難はしていた、という話をしたい。
ここに出てくる「サマール島」というのはフィリピンにある島のこと。
ファイスはカロリン諸島の南。地図にすると、このくらいの距離を流されたことになる。
海流や風の関係で遭難しやすい年があったのにしても、辿り着いただけで年間30隻というのは決して少なくは無い。
こうした宣教師の記録からして、航海術に優れているとか優れていないとかの問題ではなく、風と波に頼った航海にはそもそも一定の危険は常に付きまとっていたと考えるべきだろうと思う。そして、遭難してもどこかの島に辿り着けるのは幸運だった一握りだけで、海に消えた船もたくさんあったはずだ。
遭難によって偶然島を見つけたり、人の交流が生まれたり、というのがこの本の研究内容なのだが、航海術や海の危険性と言う視点から考えると、やはり 新たな島をさがして海に乗り出すのは大バクチ以外の何者でもない という結論に至る。だって確立された定期的な交易航路でさえ遭難するんだもの。ましてや地図の無い海に乗り出すなんていうのは、死ぬ気でやって本当に死ぬけどやりますか? くらいのノリじゃないと。新天地を見付けたら俺がその島に王になれるんだ、くらいの報酬があるならともかく…。
というわけで、海の民も遭難はするんやで、というお話。
モアナを見た時にヌルいと感想を書いたのはこのへんもあったり。
あと遣唐使がときどき遭難してたのも、別に航海技術が不足していたからではなく海ってそういうもんなんだと。
そゆことですね…。
オセアニア住人が、既に確立された定期航路を辿る場合でもそれなりの確立で遭難はしていた、という話をしたい。
"1696年末にサマール島の東海岸に2隻の奇妙な形をした船がたどりついた。サマール島のはるか東、1700kmにあるファイス島の住民が、70日間海上を流された末に漂着したのである。
<中略>
これは当時、サマール島に滞在していたスペイン人宣教師クレインが記録してローマのイエズス修道会長に書き送ったもので、フィリピンの東のオセアニア海域にも、人が住む島々があることが初めて明らかになった。そしてそれ以前にも宣教師からの同様な報告があったかどうかが調べられたところ、断片的な記録が残されていたことが明らかになった。その中には、1664年だけでもカロリン諸島から30隻の難破したカヌーがサマール島に流れ着いたという記録も含まれていた。
「島に住む人類」臨川書房"
ここに出てくる「サマール島」というのはフィリピンにある島のこと。
ファイスはカロリン諸島の南。地図にすると、このくらいの距離を流されたことになる。
海流や風の関係で遭難しやすい年があったのにしても、辿り着いただけで年間30隻というのは決して少なくは無い。
こうした宣教師の記録からして、航海術に優れているとか優れていないとかの問題ではなく、風と波に頼った航海にはそもそも一定の危険は常に付きまとっていたと考えるべきだろうと思う。そして、遭難してもどこかの島に辿り着けるのは幸運だった一握りだけで、海に消えた船もたくさんあったはずだ。
遭難によって偶然島を見つけたり、人の交流が生まれたり、というのがこの本の研究内容なのだが、航海術や海の危険性と言う視点から考えると、やはり 新たな島をさがして海に乗り出すのは大バクチ以外の何者でもない という結論に至る。だって確立された定期的な交易航路でさえ遭難するんだもの。ましてや地図の無い海に乗り出すなんていうのは、死ぬ気でやって本当に死ぬけどやりますか? くらいのノリじゃないと。新天地を見付けたら俺がその島に王になれるんだ、くらいの報酬があるならともかく…。
というわけで、海の民も遭難はするんやで、というお話。
モアナを見た時にヌルいと感想を書いたのはこのへんもあったり。
あと遣唐使がときどき遭難してたのも、別に航海技術が不足していたからではなく海ってそういうもんなんだと。
そゆことですね…。
