これまでのジプシー研究の流れとまとめ本「ジプシー史再考」
ジプシーについては、エジプトのベリー・ダンスがジプシー起源ではないかという説を見つけたときに調べはじめた。
アラブのジプシー、知られざる世界/そしてロマとは呼んではいけない人々
https://55096962.seesaa.net/article/201205article_20.html
そしてその後も何冊かの本を経て、最近出たこの本がとてもよくまとまってて分かりやすく進化していたので紹介がてらメモっておきたい。
まず「ジプシー」と呼ばれる人々は、単一の民族ではないということ。
最初にジプシーを連想させる人間集団が最初に記録されるのが14世紀末。エジプト出身という勘違いからジプシーという呼び名が定着していくのが15世紀末からで、その当時からすでに、流浪のよそ者全般をそのように呼んでいるので、特定の民族の名称ではない。実際、別々の時代/場所で記録された集団は、同一の民族とは思えない描写をされているという。
次に、「ジプシーがインド起源」というのは一部の言語にしか根拠がないということ。
この説が出てきたのはジプシー特有の言葉といわれるロマニ語がインド語派から分岐しているためだが、ロマニ語は現在ジプシーと呼ばれているすべての集団が使用するものではなく、また長期の放浪のためか、実際は様々な言語からの借用語が入り混じった状態にあるらしい。
しかもロマニ語がいつ、どの地方のインド諸語から分離したのかは今のところ分かっていないようなので、その時期を特定して「〇世紀ごろにインドを出た集団」のように書いている資料があるとすれば、根拠がないのに断言していることになる。
つまりいくら過去の記録をさかのぼっても、記録されているものがジプシーという民族のか、ジプシー的な流浪の集団なのかを特定することはできないのだ。当の「ジプシー」とされる人々も、自らの過去が語れるわけではない。よくわからないものをわからないまま、「たぶんこうだろう」と答えを決めてそれに当てはまる研究しかされてこなかった、というのが現状なのである。よくそれで数百年も前に進まない議論やってられたなと思うが、つい最近ケルトでも同じような状況を見たので、研究者の少ない人文学ジャンルはそういうものなのかもしれない…。
「ジプシーは差別用語だからロマ族と呼びましょう」なんていう話も、シンティやロマという自称自体かなり最近になって名乗られ始めたもので、そもそもそれらを自称としない集団もいるという話などは、マスコミで流される話だけ信用して言葉狩りをしている人は知っておいたほうがいいと思う。
******
これらジプシー研究をめぐる問題とよく似た状況が、日本のジプシーと呼ばれることもある「サンカ」の研究史にも存在する。一人ないし数人の、実際は何も立証できていない説が定説とみなされ、その後の研究はその説を裏付けるようにしか行われてこなかった、というのは、ほぼ同じ構造である。
[>専門家のいないジャンルの嘘「サンカの真実 三角寛の虚構」
https://55096962.seesaa.net/article/201211article_11.html
「まず定説から疑え」「権威の言うことだけに頼るな」「他者の研究を盲目的に踏襲するな」。これはどのジャンルでも大事な視点だと思うのです。
アラブのジプシー、知られざる世界/そしてロマとは呼んではいけない人々
https://55096962.seesaa.net/article/201205article_20.html
そしてその後も何冊かの本を経て、最近出たこの本がとてもよくまとまってて分かりやすく進化していたので紹介がてらメモっておきたい。
まず「ジプシー」と呼ばれる人々は、単一の民族ではないということ。
最初にジプシーを連想させる人間集団が最初に記録されるのが14世紀末。エジプト出身という勘違いからジプシーという呼び名が定着していくのが15世紀末からで、その当時からすでに、流浪のよそ者全般をそのように呼んでいるので、特定の民族の名称ではない。実際、別々の時代/場所で記録された集団は、同一の民族とは思えない描写をされているという。
次に、「ジプシーがインド起源」というのは一部の言語にしか根拠がないということ。
この説が出てきたのはジプシー特有の言葉といわれるロマニ語がインド語派から分岐しているためだが、ロマニ語は現在ジプシーと呼ばれているすべての集団が使用するものではなく、また長期の放浪のためか、実際は様々な言語からの借用語が入り混じった状態にあるらしい。
しかもロマニ語がいつ、どの地方のインド諸語から分離したのかは今のところ分かっていないようなので、その時期を特定して「〇世紀ごろにインドを出た集団」のように書いている資料があるとすれば、根拠がないのに断言していることになる。
つまりいくら過去の記録をさかのぼっても、記録されているものがジプシーという民族のか、ジプシー的な流浪の集団なのかを特定することはできないのだ。当の「ジプシー」とされる人々も、自らの過去が語れるわけではない。よくわからないものをわからないまま、「たぶんこうだろう」と答えを決めてそれに当てはまる研究しかされてこなかった、というのが現状なのである。よくそれで数百年も前に進まない議論やってられたなと思うが、つい最近ケルトでも同じような状況を見たので、研究者の少ない人文学ジャンルはそういうものなのかもしれない…。
「ジプシーは差別用語だからロマ族と呼びましょう」なんていう話も、シンティやロマという自称自体かなり最近になって名乗られ始めたもので、そもそもそれらを自称としない集団もいるという話などは、マスコミで流される話だけ信用して言葉狩りをしている人は知っておいたほうがいいと思う。
******
これらジプシー研究をめぐる問題とよく似た状況が、日本のジプシーと呼ばれることもある「サンカ」の研究史にも存在する。一人ないし数人の、実際は何も立証できていない説が定説とみなされ、その後の研究はその説を裏付けるようにしか行われてこなかった、というのは、ほぼ同じ構造である。
[>専門家のいないジャンルの嘘「サンカの真実 三角寛の虚構」
https://55096962.seesaa.net/article/201211article_11.html
「まず定説から疑え」「権威の言うことだけに頼るな」「他者の研究を盲目的に踏襲するな」。これはどのジャンルでも大事な視点だと思うのです。