琉球諸語の成り立ちを調べてみたら、考古学とのリンクが多かった

琉球諸語、つまり沖縄方言の起源について、本によって書かれていることが微妙に違うのが前から気になっていた。

琉球諸語が日本語から分岐した時期の記述もまちまちだし、そもそも日本語の方言のひとつとしている場合と、日本語/琉球諸語で言葉自体の分類を分けている場合とがあったりして、なんだかよく分からない。
良く分からないなら調べてみよう、というわけで、とりあえず専門書らしきものを読んでみた。



この本には、「日琉祖語の分岐年代」というそのものズバリな論文が載っている。それによると、かつては方言と考えられてきた離島の言語が個別の言語と見なしたほうがよさそうだと考えられるようになってきたのは近年のことで、その最近の分類に従うと、このような図になるらしい。

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結論から言うと、琉球諸語が言語として日本語から分離するのは遅くとも7-8世紀頃なのだが、実際にその言語が琉球に伝わるのは9-11世紀頃の、グスク時代の開始時期だろうという仮説になっていた。すなわち、琉球諸島で元々使われていた言語は現在の琉球語の直接の祖先ではなく、その後、グスク時代になって農耕技術を持って九州から渡ってきた移民の言葉が琉球語になったはずだ、というものである。

これは実は、考古学の知識とリンクさせるとよく理解出来る。

農耕にくらべ、狩猟採集は人ひとりが生きていくのに必要な「面積」が非常に大きい。面積単位で得られる食料の量がとても少ないからだ。沖縄本島はそれなりに面積があるが、周辺の島々は面積が小さく、狩猟採集だけで生きていける面積がない。また沖縄本島も、維持できる人口は100人以下という研究があり、島々を渡りながら暮らしていた狩猟採集時代の人々は、人数がとても少なかったと考えられている。

そこに農耕技術を持った人たちが九州から渡ってくる。グスク時代の始まりである。
農耕が始まると、島嶼であっても大きな人口を維持することが出来るようになる。急激に人が増える中で、言語も、農耕民の持ち込んだものが優勢になっていったのだ。
という感じで、考古学のシナリオに言語の変遷を重ねると、なるほどと納得できるシナリオになっている。

ちなみにオセアニアの小さな島々への移住を可能にしたものも、移住者たちが持ち運んだ優れた農耕技術だった。むしろ狩猟採集だけで島嶼に展開していた琉球は、世界的に見ても特異な例だと言われている。




というわけで、琉球祖語は、元々は日本語の方言として九州のどこかで使われていたものが、その後、琉球に移住した人々に持ち込まれてさらに独自進化を遂げ、琉球諸語へと変化していった、という二段階変化によって生まれたとするのが現在のところの説だと理解出来た。

ただ言語の研究って年代の推定が難しくて、いつ分岐したかの説は変わることもあるので、とりあえず今のところはこれ、という感じで。

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