エチオピア/アクスムにある「シバの女王の宮殿跡」の本来の年代を調べてみた。
エチオピアの主食インジェラは美味いのか不味いのか、という話から、なぜかエチオピア見学のルートを調べることになった中の人です。こんばんは。
あれー…現地凸で食べて来いってやつなのー…。
エチオピアといえば 失われた聖櫃<アーク> の伝説、そしてユダヤ教と原始キリスト教の境目とも言うべき古風な独特のキリスト教を信仰する国。プレステ・ジョアン伝説とアクスムの巨大石柱群に、ナイルの氾濫を引き起こす青ナイルの源泉のある国! いやー盛りだくさんですね。
そんなエチオピアさんの観光スポットの一つが、アクスム石柱群の近くにある「シバの女王の宮殿跡」と呼ばれる廃墟。シバの女王の宮殿がなんでエチオピアにあるの? シバの国ってイエメンじゃね? という疑問も湧いてくるだろうが、そこはそれ、エチオピアの伝説に理由がある。
エチオピアでは、シバの女王が実はエチオピア出身のマケダという名前の女性で、ソロモン王と一夜の契りを交わし息子を身ごもった。という話が信じられている。その息子メネリクが成人して、父ソロモンのもとからひそかに契約の箱を運び去り、エチオピアに持ち帰った…と言うのが伝説のストーリーとなっており、ゆえにエチオピアには契約の箱を収めているという教会と、その箱が持ち出され練り歩くティムカット祭という新年の祭りが存在する。
なので契約の箱のあるとされる教会の近くにシバの女王の宮殿跡や、女王の沐浴上と言われる観光スポットが存在するんである。
…ぶっちゃけ、エジプトでいう「クレオパトラのxx」みたいなアレかなと思うんですが
で、シバの女王が生きていたとすると紀元前10世紀中ごろのはずだけど、このPalace of the Queen of Sheba、どう見てもそんな昔のもんには見えないよね…。
本来の年代、というか今見えているコレは何なのか、過去に調査されたことはないのかをちょっと調べてみた。
まず、検索ワードは「Dungur palace」あたりにするといい。
この宮殿はそれが正式名称で、シバの女王の宮殿跡というのは通称みたいなものらしいからだ。
そうすると…
https://en.wikivoyage.org/wiki/Axum
https://en.wikipedia.org/wiki/Dungur
誤差はあるものの、紀元後6-7世紀の豪族のものでは? というのが考古学あるいは歴史学的な見解のようだ。7世紀あたりの遺物なら、この残り方は納得できる。
まあ、とはいえ、この場所にさらに古い遺跡が埋もれている可能性は無いとは言えないんだろうけど。
そしてもう一つ面白いと思ったのは、ジュディト(グディス)女王の石碑フィールドと呼ばれているものが、この宮殿の近くにあること。
AoEⅡで見たぞこの人…! ※世界史をゲームで学ぶ人
http://solarey.net/queen-gudit-ethiopia-africa/
ジュディトはキリスト教徒ではなくユダヤ教徒で、アガウ族の出身だったとされる。アクスム王国を滅ぼした女傑である。ここから、「黒いユダヤ人」と言われるファラシャ族が派生したともいわれる。
その女王が建てたことになってる石碑群が、シバの女王の墓と呼ばれる遺跡の近くにあって、なんだこれ歴史ネタてんこ盛りで観光名所作ったな?? みたいなカオス感があり大変よろしい。
アクスムって巨大石柱群しか気にしてなかったけど色んな観光名所があるんだなとわかった。
問題は国境でモメてるエリトリアに近い北部ってことかな!
最近ちょっと治安も落ち着いてきたみたいだけど、ここ行くとしたら行けるんだろうか…。
・エチオピアといえばこれは読まないと
・あとこのへん
シェバの女王―伝説の変容と歴史との交錯
https://55096962.seesaa.net/article/201107article_11.html
あれー…現地凸で食べて来いってやつなのー…。
エチオピアといえば 失われた聖櫃<アーク> の伝説、そしてユダヤ教と原始キリスト教の境目とも言うべき古風な独特のキリスト教を信仰する国。プレステ・ジョアン伝説とアクスムの巨大石柱群に、ナイルの氾濫を引き起こす青ナイルの源泉のある国! いやー盛りだくさんですね。
そんなエチオピアさんの観光スポットの一つが、アクスム石柱群の近くにある「シバの女王の宮殿跡」と呼ばれる廃墟。シバの女王の宮殿がなんでエチオピアにあるの? シバの国ってイエメンじゃね? という疑問も湧いてくるだろうが、そこはそれ、エチオピアの伝説に理由がある。
エチオピアでは、シバの女王が実はエチオピア出身のマケダという名前の女性で、ソロモン王と一夜の契りを交わし息子を身ごもった。という話が信じられている。その息子メネリクが成人して、父ソロモンのもとからひそかに契約の箱を運び去り、エチオピアに持ち帰った…と言うのが伝説のストーリーとなっており、ゆえにエチオピアには契約の箱を収めているという教会と、その箱が持ち出され練り歩くティムカット祭という新年の祭りが存在する。
なので契約の箱のあるとされる教会の近くにシバの女王の宮殿跡や、女王の沐浴上と言われる観光スポットが存在するんである。
…ぶっちゃけ、エジプトでいう「クレオパトラのxx」みたいなアレかなと思うんですが
で、シバの女王が生きていたとすると紀元前10世紀中ごろのはずだけど、このPalace of the Queen of Sheba、どう見てもそんな昔のもんには見えないよね…。
本来の年代、というか今見えているコレは何なのか、過去に調査されたことはないのかをちょっと調べてみた。
まず、検索ワードは「Dungur palace」あたりにするといい。
この宮殿はそれが正式名称で、シバの女王の宮殿跡というのは通称みたいなものらしいからだ。
そうすると…
https://en.wikivoyage.org/wiki/Axum
"Dungur Palace (Palace of the Queen of Sheba) (just out of town to the west, on the main road to Shire). The grand entrance steps and the foundations (topped with well dressed ruined walls up to 3 m high in places) of this palace near the Judith stelae field clearly indicate that this was the largest and most impressive palace in Axum. Although everyone calls it the Palace of the Queen of Sheba, it actually dates from the 7th century AD, about 1,500 years after the time of the Queen of Sheba."
https://en.wikipedia.org/wiki/Dungur
"However, Stuart Munro-Hay describes it as "the sort of dwelling that a prosperous Aksumite, perhaps a noble or high official of the fourth to sixth centuries AD, might have constructed for himself."
誤差はあるものの、紀元後6-7世紀の豪族のものでは? というのが考古学あるいは歴史学的な見解のようだ。7世紀あたりの遺物なら、この残り方は納得できる。
まあ、とはいえ、この場所にさらに古い遺跡が埋もれている可能性は無いとは言えないんだろうけど。
そしてもう一つ面白いと思ったのは、ジュディト(グディス)女王の石碑フィールドと呼ばれているものが、この宮殿の近くにあること。
AoEⅡで見たぞこの人…! ※世界史をゲームで学ぶ人
http://solarey.net/queen-gudit-ethiopia-africa/
ジュディトはキリスト教徒ではなくユダヤ教徒で、アガウ族の出身だったとされる。アクスム王国を滅ぼした女傑である。ここから、「黒いユダヤ人」と言われるファラシャ族が派生したともいわれる。
その女王が建てたことになってる石碑群が、シバの女王の墓と呼ばれる遺跡の近くにあって、なんだこれ歴史ネタてんこ盛りで観光名所作ったな?? みたいなカオス感があり大変よろしい。
アクスムって巨大石柱群しか気にしてなかったけど色んな観光名所があるんだなとわかった。
問題は国境でモメてるエリトリアに近い北部ってことかな!
最近ちょっと治安も落ち着いてきたみたいだけど、ここ行くとしたら行けるんだろうか…。
・エチオピアといえばこれは読まないと
・あとこのへん
シェバの女王―伝説の変容と歴史との交錯
https://55096962.seesaa.net/article/201107article_11.html