手法はともかく研究者の前提に違和感あり。「島に生きた旧石器人」

沖縄をメインに、その周辺の島嶼部も含めて旧石器時代の人間の活動痕跡を発掘しようとしている本で、わりと最近の発見についても入っている。
写真や図がカラーでたくさん入っていて判りやすい…のだが、前提に若干の違和感がある本になっていた。



まず、冒頭に書かれているように、旧石器時代から現代に至るまでの間の時代で発見が途切れる長い期間が存在する。この本の内容だと、空白を埋められそうな年代の発見があった!と書いてあるのだが、見つかっている内容が貧弱なので、空白を埋めるには全然足りていないと感じられる。というか、そもそもこの長い空白を一つ二つの発見で繋ごうとするのがどだい無理な話で、いまこれだけの空白があるのなら、手元にある証拠から導き出される結論は「繋がっている可能性は低い」だ。

きっと繋がるはず、見つかっていないだけでどこかに証拠はあるはず、という意識で発掘に望んではいけない。なぜなら人は、何か見つけたいものがあるときはそれしか見えなくなり、逆に、解釈を多少歪めてでも結論に合致するものを見つけたと思い込みたくなるからだ。

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沖縄では最初に人が活動した痕跡が見られるのは4万年から3万5千年前くらいの時代になる。この時代は今より海水面が低く、海を渡る距離は現在よりはるかに短かったと考えられている。

それから一万年くらいすると海水面が上昇して、島の面積が小さくなる。
最初の居住者たちが狩猟採集で生きていたが、狩猟採集は、面積あたりで得られる食料が維持できる人口を決定する生き方である。つまり、島の面積が減ると、そこで生きていける人数の上限が下る。

なので、元の人数規模のまま継続することはありえない。最初の居住者たちの系譜はここでいったん途切れる(全滅した)か、相当に人数が減少したか、どこか別の場所へ避難していったかである。

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しかし、人口規模があまりにも小さくなりすぎると、島で生存していくことは不可能になる。たった二十人の集団で五千年生き延びられるだろうか。その中には怪我人も、老人も、幼児もいる。年頃の年齢は近親婚を繰り返すしかなくなる。現実的に考えると、全滅or移住が妥当な選択肢だろう。その状況でも、島で遺物が出ることは在り得る。近くの島から偶発的に流されてきた遭難者がいた可能性はあるからだ。

それなのに研究者は、遺物が見つかった=前の居住者が連続して住み続けていた、という前提で考えているように読めてしまうのが疑問だった。最初から答えを決めて、それに当てはめて解釈するのはご法度ですよ…。

沖縄のサキタリ洞窟の遺物などは、石器ではなく貝で道具を使ってて、しかも狩猟ではなく採集メインだったようだというから、その内容を読む限り、ごく少人数が短期間だけ生きていた痕跡のように思えた。もしそれなりの規模の人数が長期に渡って生存していたなら、「人骨ばかりで遺物が出てこない」なんて状況が発生するだろうか。最低でも、山のような貝塚くらい出来ているのでは。

何やら当たり前のところから見逃したまま論じられているようで「うーん…」となる箇所が少なくなかった。




とりあえず、島で人類が行きぬくために必要な条件については、以下のあたりの本で補うことをおすすめ。
情報が増えると、また違った見え方がするはずなので。

島の先史学―パラダイスではなかった沖縄諸島の先史時代
ボーダーインク
高宮 広土

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島に住む人類 オセアニアの楽園創世記
臨川書店
2017-08-07
印東 道子

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