一周の角度はなぜ360度になったのか。という話を古代エジプトの棺窓から
なんか判りやすい資料がネット上にぱっと落ちてなかったのでしゃーないので自分で書いておくことにする。
一周の角度は360度、みんな知ってる一般常識なのだが、どうしてこんな微妙な角度になったのかはあまり知られていない。
ざっくり言うと、これは「1年が10日×3週間×12ヶ月」=360日だった古代世界において、星が「一年で天を一周する(年周運動)」ことから生まれた概念。360日で元の場所に戻って来る=一周を360で分けて360度。
(なお、同じ時間に見上げて見える星が少しずつズレていくのは「日周運動」のほう。星の日周運動は23時間56分なので、毎日4分(1度)ずつ場所がズレていく。)
あれっ一年って365日じゃね? と思ったあなた、まぁそうなんだ。正確には360日+5日(予備日/追加日)。しかも恒星年でいうと閏日をもうけないと微妙にズレてしまう。古代エジプト人の場合、閏日についてはかなり正確に認識していて暦に補正をかけて使用していたようだ。しかしそのへんの細かいことは今回の話には含まれないので、今はとりあえず置いておこう。
このシステムの古い記録としては、古代エジプト中王国時代(紀元前2,000年前後)の棺に書かれた「デカン(decan)」が代表的だ。
そのため、360度の起源が古代エジプトとして語られることも多いのだが、エジプトのほうが遺物の残りがいいだけで、おそらくメソポタミアでも同時代に似たようなシステムはあったと思う。互いに影響しあっているはずなので、そのへんの起源論はあまり意味がない。
(ネット上では「紀元前3,000年のバビロニアで暦が発明された」といった情報もあるのだが、その時代にまだバビロニアは国として存在しない…。おそらく年代の書き間違いで、紀元前1,000年あたりの話をしているのではないかと思う)
で、エジプトのこれ。
この図は、夜明けに昇る星を10日ごとに1つのグループ(デカン)として設定して、どの星が夜明けに見えるかで季節を知る古代のカレンダーである。(古代エジプトの一週間は10日だから) 今で言う「春の星座」「夏の星座」みたいな感じで、この星が夜明けに見えたら夏の始まり、のように季節を読んでいたわけだ。その中でも最も重要だったのが、ナイルの氾濫を告げる星、シリウス(古代エジプト語でソプデト)だったとされる。
1週間=10日
1ヶ月=3週間=30日
つまり、10日ごとに入れ替わる星の組み合わせ「デカン」が3つで1ヶ月。3x12ヶ月=36セットで1年分。
星が天を一周するのに360日なので、一周は360度。「角度」という概念は、傾きではなく、水面または水平な地面に対する星の位置から誕生したということになる。
ちなみに「1日は24時間」という概念もここから生まれたのではないかと考えられている。
いわく、ナイルの増水の起きる夏至の頃、増水の始まりを知るために行われていた天文観測で、夜間に見えていた星が12デカン分だったからではないかとか。
日周運動で、星は、1時間に15度ほど動く。夏の夜は短く8時間ほど。15×8=120度。
対して、デカンは360度を36グループに分けているので1デカンは10度。10×12=120度。
まず最初に「夜」が12等分され、同じように昼も12等分されてあわせて24時間という設定になったのでは…という説だ。
これらのことから、古代世界においては天文観測と数学知識が連動していたことが読み取れる。
日付を特定する、季節的なイベントを予言する、といった宗教活動も、ここから繋がる。星の観察が文明の基礎を作ったんやで…。
*****
なおタイトルの「棺窓」とは、デカンの最古の例が中王国時代のものだからで、中王国時代の棺といえば「覗き窓」がついているタイプが多いからである。知恵を求めて夜空を見上げようとも、古代エジプト人の心はいつだって太陽神様の御許に…太陽も大事…太陽も…。
エジプトで太陽があんまり初期の観測対象になってないのって、夏はクッソ暑くて昼間動けないし、冬は靄がかってるか砂嵐で煙ってるかだしで、そもそも観測しづらかったからじゃないかと思うんだ。
一周の角度は360度、みんな知ってる一般常識なのだが、どうしてこんな微妙な角度になったのかはあまり知られていない。
ざっくり言うと、これは「1年が10日×3週間×12ヶ月」=360日だった古代世界において、星が「一年で天を一周する(年周運動)」ことから生まれた概念。360日で元の場所に戻って来る=一周を360で分けて360度。
(なお、同じ時間に見上げて見える星が少しずつズレていくのは「日周運動」のほう。星の日周運動は23時間56分なので、毎日4分(1度)ずつ場所がズレていく。)
あれっ一年って365日じゃね? と思ったあなた、まぁそうなんだ。正確には360日+5日(予備日/追加日)。しかも恒星年でいうと閏日をもうけないと微妙にズレてしまう。古代エジプト人の場合、閏日についてはかなり正確に認識していて暦に補正をかけて使用していたようだ。しかしそのへんの細かいことは今回の話には含まれないので、今はとりあえず置いておこう。
このシステムの古い記録としては、古代エジプト中王国時代(紀元前2,000年前後)の棺に書かれた「デカン(decan)」が代表的だ。
そのため、360度の起源が古代エジプトとして語られることも多いのだが、エジプトのほうが遺物の残りがいいだけで、おそらくメソポタミアでも同時代に似たようなシステムはあったと思う。互いに影響しあっているはずなので、そのへんの起源論はあまり意味がない。
(ネット上では「紀元前3,000年のバビロニアで暦が発明された」といった情報もあるのだが、その時代にまだバビロニアは国として存在しない…。おそらく年代の書き間違いで、紀元前1,000年あたりの話をしているのではないかと思う)
で、エジプトのこれ。
この図は、夜明けに昇る星を10日ごとに1つのグループ(デカン)として設定して、どの星が夜明けに見えるかで季節を知る古代のカレンダーである。(古代エジプトの一週間は10日だから) 今で言う「春の星座」「夏の星座」みたいな感じで、この星が夜明けに見えたら夏の始まり、のように季節を読んでいたわけだ。その中でも最も重要だったのが、ナイルの氾濫を告げる星、シリウス(古代エジプト語でソプデト)だったとされる。
1週間=10日
1ヶ月=3週間=30日
つまり、10日ごとに入れ替わる星の組み合わせ「デカン」が3つで1ヶ月。3x12ヶ月=36セットで1年分。
星が天を一周するのに360日なので、一周は360度。「角度」という概念は、傾きではなく、水面または水平な地面に対する星の位置から誕生したということになる。
ちなみに「1日は24時間」という概念もここから生まれたのではないかと考えられている。
いわく、ナイルの増水の起きる夏至の頃、増水の始まりを知るために行われていた天文観測で、夜間に見えていた星が12デカン分だったからではないかとか。
日周運動で、星は、1時間に15度ほど動く。夏の夜は短く8時間ほど。15×8=120度。
対して、デカンは360度を36グループに分けているので1デカンは10度。10×12=120度。
まず最初に「夜」が12等分され、同じように昼も12等分されてあわせて24時間という設定になったのでは…という説だ。
これらのことから、古代世界においては天文観測と数学知識が連動していたことが読み取れる。
日付を特定する、季節的なイベントを予言する、といった宗教活動も、ここから繋がる。星の観察が文明の基礎を作ったんやで…。
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なおタイトルの「棺窓」とは、デカンの最古の例が中王国時代のものだからで、中王国時代の棺といえば「覗き窓」がついているタイプが多いからである。知恵を求めて夜空を見上げようとも、古代エジプト人の心はいつだって太陽神様の御許に…太陽も大事…太陽も…。
エジプトで太陽があんまり初期の観測対象になってないのって、夏はクッソ暑くて昼間動けないし、冬は靄がかってるか砂嵐で煙ってるかだしで、そもそも観測しづらかったからじゃないかと思うんだ。