現代に生きる「アッシリア人」の正体は近代の「復興」アイデンティティだった

2年ほど前に見つけて、その時は正体まで辿れなかった現代の自称「アッシリア人」の正体にようやくたどり着いたぞ、という話。

現代の世の中に「アッシリア人」が存在する件について
https://55096962.seesaa.net/article/201601article_5.html

彼らがアッシリア人と名乗り始めたのは19世紀以降で、古代アッシリア人の末裔だと認識するようになったのもその頃だという。つまり近代からの自称であって、実際に古代のアッシリアと繋がってるとは言えない。

どうやって調べたかというと、「アッシリア人」を自称する集団の宗教が、東方正教会の一種「アッシリア東方教会」→この教会の歴史を調べてみる、という流れ。そして調べてみると、「アッシリア東方教会」は「東方シリア教会」や「シリア正教会」と呼ばれているものと同一らしく、19世紀にアッシリアの遺跡がさかんに発掘されて名前の認知が広がった同時期に民族意識の高まりを受けて教会名に「アッシリア」をつけ、信者も自らをアッシリアの子孫と名乗り始めたのだという。(*東方キリスト教諸教会 研究案内と基礎データ より)

つまり、自称ケルト人の子孫の「復興ケルト」と同じく、「復興アッシリア」だった、という話…。


シリアはキリストが布教活動を行った地域と隣接しているため、初期の段階でキリスト教が広まった可能性はあるものの、だとしてもせいぜい紀元後の話である。アッシリア帝国が滅びたのが紀元前600年ごろとかなので、その土地のキリスト教徒=古代アッシリア人の末裔とは言えない。宗教は確かに民族アイデンティティの一つにはなるんだけど、人の移動が多い地域なんで色々な集団がまじりあって今に至ってるはずだよね。

それどころか、シリアのキリスト教徒(正教徒)の歴史を追っていくと、もとはペルシア国内にいたキリスト教集団だったり、トルコの民族主義の高まりを受けてトルコ国内から移住してきた集団だったりと出自はバラバラで、アッシリアとの関係をおぼろげにでも規定できる要素がほぼ無い。古代のアッシリア人の子孫ではなく、近代に自称するようになったアッシリア人、というのが妥当だろう。

また、彼らがアッシリアの名にこだわる理由も、同じ「東方キリスト教諸教会 研究案内と基礎データ」の中に書かれていた。


"シリア正教徒は彼らの典礼言語がシリアの古代言語アラム語から発展したシリア語であると信じていた。シリアの古代言語を踏襲し、古代からシリアに存在するキリスト教文化の継承者として自らのコミュニティを規定することによって、シリア正教徒は移民としてではなく、シリア出自のシリア国家の成員として認められる機会をシリア主義に見出した。"


元はアラビア語やペルシャ語やクルド語を話していた混在民族がシリアに移住してきてシリア語を学び、典礼言語とすることによって、それまで存在しなかった「伝統」を作り上げていった、という話だ。そして、この流れの先に、自らをアラブ人ではなくアッシリア人だと自称する人々が現れる。イスラム世界に生きるキリキト教徒(正教徒)としてのアイデンティティをどこに求めるかの選択肢の一つが、はるか昔に消えてしまった古代帝国だったのだろう。


…なんつぅかだいぶスッキリした。
ていうか、まさか教会史から辿るのがいちばん分かりやすいとは思ってもみなかったわ。詰まったら別の切り口から攻めるの大事やね。

とりあえずそんなところで。

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2017-08-31
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