「プトレマイオス朝エジプト」は実はエジプトだけじゃないよね、っていう話。
古代エジプト末期の話を探すとき不便だなーと思うのは、エジプト視点ではなくギリシャ視点からの資料のほうが多いということだ。特にプトレマイオス朝。
クレオパトラはエジプトの最後のファラオとされるのだが、彼女の所属していたプトレマイオス王朝はギリシャ系で資料もギリシャ語のものが多いため、なぜか「古代エジプト」の歴史としてではなく、「ギリシャ世界の一部であるプトレマイオス朝エジプト」として研究されてしまうらしいのである。
なので、アテナイやスパルタといったいわゆる「ギリシャ世界」の中でも特異な存在として、孤立した扱いで研究されてしまうか、従来の古代エジプトの伝統から切り離された存在して見られてしまうか、わりと両極端な扱いを受けることが多い。
そのうえ、実は今までプトレマイオス朝を「エジプト」に限定して研究しすぎてたんじゃないか…みたいな話もあったりする。
プトレマイオス朝の範疇は、実はとっても広いのである…。
プトレマイオス5世の地勢、紀元前200年ごろから国土は縮小に向かい、シリア方面の領土はほとんどセレウコス朝に取られてしまうが、それまでの100年くらいはシリア・パレスチナからエーゲ海やイオニア方面にも領土はあったんである。そして、領土が縮小してからもギリシャ世界の一部として他の地域との関係性は維持していたようなので、決して「プトレマイオス朝」=「エジプト」じゃないんだよね。
というわけで、エジプトがプトレマイオス朝に支配されていた時代はあったけど、プトレマイオス朝がエジプトだけにとどまっていた期間はほとんど無い、「プトレマイオス朝」という枠で歴史を思考する場合は地中海世界ぜんぶ見ないと何か見落とすぞ。という話。自戒もこめて。つーかまぁ資料は地域によって偏るんだけどね。
で、エジプトからの視点でいうと、ギリシャ研究してる人がギリシャ語資料をメインに出してる研究書が多いので、どうしても、プトレマイオス朝の時代に土着のエジプト人がどうしてたかが分かりづらい。発掘されて出てきている遺物の資料は見つかるのに、庶民の暮らしなど社会情勢の資料があまり見つからないんである。というより、エジプト人もギリシャ語で書いてしまってるので区別がつかない。
支配者の民族/文化/言語と、圧倒的多数を占める土着民の民族/文化/言語が異なると実態が見えづらくなるという実例である。おそらく中国あたりでもこの現象は発生しているはず。結果として「プトレマイオス朝は切り口によって見えるものが全然違ってて全体像がなんだかよくわからん」。
最近思うようになったのだが、プトレマイオス朝って支配地域がパッチワークで、全体像なんてそもそも最初から無かったのかもしれないなって…。
クレオパトラはエジプトの最後のファラオとされるのだが、彼女の所属していたプトレマイオス王朝はギリシャ系で資料もギリシャ語のものが多いため、なぜか「古代エジプト」の歴史としてではなく、「ギリシャ世界の一部であるプトレマイオス朝エジプト」として研究されてしまうらしいのである。
なので、アテナイやスパルタといったいわゆる「ギリシャ世界」の中でも特異な存在として、孤立した扱いで研究されてしまうか、従来の古代エジプトの伝統から切り離された存在して見られてしまうか、わりと両極端な扱いを受けることが多い。
そのうえ、実は今までプトレマイオス朝を「エジプト」に限定して研究しすぎてたんじゃないか…みたいな話もあったりする。
プトレマイオス朝の範疇は、実はとっても広いのである…。
プトレマイオス5世の地勢、紀元前200年ごろから国土は縮小に向かい、シリア方面の領土はほとんどセレウコス朝に取られてしまうが、それまでの100年くらいはシリア・パレスチナからエーゲ海やイオニア方面にも領土はあったんである。そして、領土が縮小してからもギリシャ世界の一部として他の地域との関係性は維持していたようなので、決して「プトレマイオス朝」=「エジプト」じゃないんだよね。
というわけで、エジプトがプトレマイオス朝に支配されていた時代はあったけど、プトレマイオス朝がエジプトだけにとどまっていた期間はほとんど無い、「プトレマイオス朝」という枠で歴史を思考する場合は地中海世界ぜんぶ見ないと何か見落とすぞ。という話。自戒もこめて。つーかまぁ資料は地域によって偏るんだけどね。
で、エジプトからの視点でいうと、ギリシャ研究してる人がギリシャ語資料をメインに出してる研究書が多いので、どうしても、プトレマイオス朝の時代に土着のエジプト人がどうしてたかが分かりづらい。発掘されて出てきている遺物の資料は見つかるのに、庶民の暮らしなど社会情勢の資料があまり見つからないんである。というより、エジプト人もギリシャ語で書いてしまってるので区別がつかない。
支配者の民族/文化/言語と、圧倒的多数を占める土着民の民族/文化/言語が異なると実態が見えづらくなるという実例である。おそらく中国あたりでもこの現象は発生しているはず。結果として「プトレマイオス朝は切り口によって見えるものが全然違ってて全体像がなんだかよくわからん」。
最近思うようになったのだが、プトレマイオス朝って支配地域がパッチワークで、全体像なんてそもそも最初から無かったのかもしれないなって…。
