ヒクソスが「侵略者」扱いになってて流石にちょっと古いんじゃないかこれ

歴史の見方は時代によって変わっていくものだが、それにしても、ヒクソスという「外来人」の「侵略者」が元々あった正当な王国の北部を乗っ取り、それをエジプト人が倒して国を取り戻した、なんてずいぶん古い見方で書いてきたなぁ…という感じである。

古代エジプトを救った3人の王妃 反撃の物語
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/031300156/?P=2

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だいたいの流れはあってるんだけど、このコラムは史実というよりはプロパガンダの一種だ。「ヒクソス王朝を打ち倒しエジプト再統一を果たした我ら第18王朝こそ正当な王家なり!!」という、第18王朝の王家の宣伝を真に受けてしまった、一方からの視点でしかない。対立する勢力があった場合に、一方に肩入れして描くのも歴史の一つの在り方ではあるが、それだけだと見えてこないものが沢山ある。

対立する勢力があった場合は、一歩引いて双方をできるだけ中立に眺めてみたほうがいい。


というわけなので、これはこれとして、自分の理解している考え方を書いておく。


まずヒクソス人は、いきなりやってきた侵略者ではない。少しずつエジプト北部に移民しつつ馴染んでいた移民だと思われる。根拠は、ヒクソス人の初期の駐留地でエジプトの神とヒクソス人の信仰する神が融合したものが祀られていた形跡があるからだ。土着のエジプト人と混じって何世代か暮らしていないと、そういう考え方は生まれない。

そもそもヒクソスは国家ではなく民族。ふつーに考えると、エジプトという「国家」と戦争して勝てる戦力は持っていなかったはずだ。そして中王国時代末期のエジプトの国力は、いくら衰退していたとはいえ、いきなりやってきた民族単位の侵略者にあっさり滅ぼされるほど弱小ではなかった。

第二中間期ごろの勢力を整理してみた図が以下になるが、第13王朝の末期の100年間、ヒクソスが王朝をたてる以前には、既にエジプト北部は実質、エジプトの王権の支配下には無い。ヒクソスは、権力の空白地で数を増やすうちに、それらの地域をまとめて王朝を作った、というだけのように見える。

http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/topics8.htm


ちなみにもっとあとの時代、エジプトはアッシリアやペルシアといった本当の「侵略者」に打ち負かされて支配されることになるが、どちらもエジプト以上の軍事力を持つ当時の大国である。これは戦争に負けて一方的に支配されているので、比べてみるとヒクソス王朝とは全然やり方が違う。

かつては、ヒクソスが馬や戦車を操れたので、その優れた戦力によってエジプトはなすすべなく負けてしまった…といったもっともらしい説明がなされることがあったが、まぁ考えてみて欲しい、土着民に比べて圧倒的に少人数の民族が、大量の戦車連れてエジプトに攻め入るのは現実的ではない。戦車で無双できるのはゲームの中だけだ。



そして、いくら軍事力に優れていたとしても、数の上で少数の外来人が、自分たちより数が多く文化レベルも高い民衆を支配するのは困難だ。元からある支配構造や官僚機能はそのまま残すのが普通である。これはヴァンダル人によるカルタゴ支配などでも見られるやり方だ。

実際、エジプトに王朝を打ち立てたあとヒクソスの指導者たちは、エジプト風の名前を名乗り、エジプト風に統治しているので、実際の支配者層はエジプト人だっただろう。

彼らは別に、エジプトの文化や伝統を否定も破壊もしていない。「リンド数字パピルス」のような、伝統的なテキストの複製も作られている。そして、エジプトの国土が再統一されたあとの第18王朝においては、ヒクソス時代の伝統も含む過去の文化が継承されている。エジプト人にボロクソ言われてヘロドトスに宣伝されてしまうペルシア支配なんかとは全然違うのだ。



また、「侵略者」ヒクソスが追い出された、と考えるのも根拠がない。
百年以上住んでたら混血も進む。エジプトの言葉を話すヒクソス系三世、とか区別つけられるわけがないのだ。

歴史を通して見てみれば、エジプトに移住してきた異民族は、世代を重ねるうちにそのまま土着民になじむ、ということが繰り返されている。王朝を失っても、ヒクソス人の子孫はそのままエジプトに住み続け、移民の町も存続していたのではないかと思う。そうでなければ、後世にティニス出土の「400年記念碑」のようなものが建てられるとは思えない。ちなみに第18王朝に続く第19王朝は、ヒクソス系の血が入ってるかもしれないという説がある。

https://55096962.seesaa.net/article/201406article_27.html




結局のところ、古代エジプト王国の強さとは、外部から流入する異民族の血統や文化を全て「飲み込んで」、自らのものとするところにあったのではないかと思う。

ヒクソスが持ち込んだかもしれない軍馬に引かせる戦車、シリア方面からと推測されるガラス製品の作り方、古い時代に目を転じれば階段ピラミッドの外壁に見られるメソポタミア風の建造技術、ぶどうやオリーブといった作物など、外から持ち込まれた様々な要素を自分たちのものとして吸収できたから、古代エジプト世界は発展できた。
つまりヒクソスは古代エジプト世界を構成する要素の一つで、彼らが移住してきたからこそ、のちのエジプトがあるのだとも言える。


外来人と敵対し排除する不寛容さは、この時代のエジプトにはそぐわない。書くのなら、エジプトがいかにヒクソス人を吸収し、エジプトそのものに変えていったのか、という話のほうが面白かったと思う。

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