日本美術の価値を「発見」した人々の物語。「流出した日本美術の至宝 」
電子書籍で出てると気になる本をその場でポチれるから、急なお出かけにも便利ー。
というわけで、「流出した日本美術の至宝 なぜ国宝級の作品が海を渡ったのか」を読んでみた。
昔からある議論として、「日本の美術は日本国内に留めておくべき」という意見と、「優れた品が国外に持ち出されることによって日本についての好感を上げられる」という意見がある。現在でもネット上では、前者と後者の意見がどちらも存在し、しかも互いに譲らない平行線のように見受けられる。
前者の場合、「日本が貧しかった時代に国宝級の文化財が裕福や外国人に買われて持ち出されたのは悲劇的」だとか、「日本人が積極的に海外に売りさばいていたのは国賊行為だ」といった意見がある。
後者の場合、「浮世絵を最初に評価したのは外国人で、日本人は対したものと思っていなかったではないか」といった意見や、「そもそも廃仏毀釈で貴重な仏像を打ち壊そうとしていた時代にそれらを国外に持ち出して保護してくれたのではないか」といった意見がある。
しかしこれらは一つの物事の両面だ。
どちらの意見にも一理あるのだが、具体的な例や今までの状況の理解無くして語られているように感じられて、ちょいちょい違和感があった。
なので、資料集めを兼ねてこの本を読んでみた。
この本は、日本美術の逸品がいかにして国外に持ち出されていったのかという話が主題なのだが、具体的に持ち出された品や持ち出した人々の例を挙げて書いてくれているので状況が分かりやすく、参考になる。登場するのはエドワード・モースやフェノロサといった有名人から、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトなど意外な人物。
彼らがいかに日本人も気づいていなかった日本美術の価値を見出し、自ら学んでハマっていったのか。
またアメリカのボストン美術館やドイツのケルン東洋美術館のような日本美術の一級コレクションがどのように形成されていったのかを追うことにより、読み手は、彼らがただの収集家ではなく本気で、おそらく日本人以上の情熱をもって、日本美術を愛してくれていたのを知ることになる。
世界には、不幸な経緯で遺物や美術を持ち出されてしまった国が確かに沢山ある。
しかし日本の場合は、実は持ち出された品々はかなり幸福な品だったのではないかとも思われる。
文化とは、「自分では何となく浸っていて、あることを意識していないもの」。
だとすれば、文化を規定し評価するのは、外部からの視線だろうと思う。美術品が評価され、流出することによって、日本人はその価値にづき、見直すことが出来た。そして、海外に持ち出された日本美術が、日本に対する好感や尊敬につながっていった。ならば歓迎してもいいのではないか。
それと、自国の美術品をうまく評価できないのは日本だけの問題じゃない、という話はとても重要だと思った。
実業家・松方幸次郎による松方コレクションがフランスから返還される際、フランス政府はゴッホの作品は国内に留めるという決定を下したという。ゴッホは生前、全く評価されず、フランス国内にはあまり作品がないのだという。つまり後世によその人によって評価されるまで、自国の美術愛好家たちは評価出来ていなかったということだ。
「程度の差はあれ、美に対する無知・無関心はどこの国でもあり得る」。
これはたとえば、本書には出てこなかった日本と中国の関係を考えてみても明白だ。中国には一つとして現存していない曜変天目茶碗が日本には現存していることなどはあまりにも有名だし、中国では破棄されてしまった仏教関連の伝来品や茶器の優れたコレクションも日本で命脈を保った。
そもそも「美術品は作られたその国、その文化の中にあるべき」という鎖国的な考え方が当然になってしまうと、逆に言えば日本にいては西洋美術にもその他の国・文化圏の美術にも、一切触れられないことになってしまう。国宝級の品が海外流出するのは決していい気分のするものではなかろうが、美術品は必ずしもその国になくてはいけないわけではないだろう。松方コレクションは優れた西洋美術を日本にもたらし、いま我々が日本で触れられるハイレベルな西洋美術のコレクションとなっている。だからこそ多くの日本人が、西洋美術に対する知見を持つことが出来ている。
そしてまた、経済力が無ければ、良いものを自国に留め置けないのも、民衆に見る目が無ければ意味がないのも、真理である。
その点、日本は今のところ経済的には世界トップクラスにあり、美術愛好家のレベルも高いので、恵まれているほうだ。(むしろ海外から盗掘された美術品を買いあさっているのでは、と批判されることもある…それはまた別問題だが…)
というわけで、最初の議論に戻ってみる。
日本美術の最高傑作の多くが国外にあるのは確かだが、それを本当に愛してくれる人のもとにあるのなら、別にそれでいいんじゃないかと思う。そして過去はともかく、これから美術品が流出するのを防ぎたいのなら、他人の評価ではなく自分の目で見て、自分の感性を磨いて、よいものを良いと思えるようになる人が沢山いることが必要だと思う。
これで、国が何とかしろ、とか叫ぶだけの人には「そうじゃねーよ」と言える知識の入り口までは到達できたと思う。
ま、それはともかく、読み終わったあと、上野の国立西洋美術館に行きたくなる本でした。
というわけで、「流出した日本美術の至宝 なぜ国宝級の作品が海を渡ったのか」を読んでみた。
昔からある議論として、「日本の美術は日本国内に留めておくべき」という意見と、「優れた品が国外に持ち出されることによって日本についての好感を上げられる」という意見がある。現在でもネット上では、前者と後者の意見がどちらも存在し、しかも互いに譲らない平行線のように見受けられる。
前者の場合、「日本が貧しかった時代に国宝級の文化財が裕福や外国人に買われて持ち出されたのは悲劇的」だとか、「日本人が積極的に海外に売りさばいていたのは国賊行為だ」といった意見がある。
後者の場合、「浮世絵を最初に評価したのは外国人で、日本人は対したものと思っていなかったではないか」といった意見や、「そもそも廃仏毀釈で貴重な仏像を打ち壊そうとしていた時代にそれらを国外に持ち出して保護してくれたのではないか」といった意見がある。
しかしこれらは一つの物事の両面だ。
どちらの意見にも一理あるのだが、具体的な例や今までの状況の理解無くして語られているように感じられて、ちょいちょい違和感があった。
なので、資料集めを兼ねてこの本を読んでみた。
この本は、日本美術の逸品がいかにして国外に持ち出されていったのかという話が主題なのだが、具体的に持ち出された品や持ち出した人々の例を挙げて書いてくれているので状況が分かりやすく、参考になる。登場するのはエドワード・モースやフェノロサといった有名人から、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトなど意外な人物。
彼らがいかに日本人も気づいていなかった日本美術の価値を見出し、自ら学んでハマっていったのか。
またアメリカのボストン美術館やドイツのケルン東洋美術館のような日本美術の一級コレクションがどのように形成されていったのかを追うことにより、読み手は、彼らがただの収集家ではなく本気で、おそらく日本人以上の情熱をもって、日本美術を愛してくれていたのを知ることになる。
世界には、不幸な経緯で遺物や美術を持ち出されてしまった国が確かに沢山ある。
しかし日本の場合は、実は持ち出された品々はかなり幸福な品だったのではないかとも思われる。
文化とは、「自分では何となく浸っていて、あることを意識していないもの」。
だとすれば、文化を規定し評価するのは、外部からの視線だろうと思う。美術品が評価され、流出することによって、日本人はその価値にづき、見直すことが出来た。そして、海外に持ち出された日本美術が、日本に対する好感や尊敬につながっていった。ならば歓迎してもいいのではないか。
それと、自国の美術品をうまく評価できないのは日本だけの問題じゃない、という話はとても重要だと思った。
実業家・松方幸次郎による松方コレクションがフランスから返還される際、フランス政府はゴッホの作品は国内に留めるという決定を下したという。ゴッホは生前、全く評価されず、フランス国内にはあまり作品がないのだという。つまり後世によその人によって評価されるまで、自国の美術愛好家たちは評価出来ていなかったということだ。
「程度の差はあれ、美に対する無知・無関心はどこの国でもあり得る」。
これはたとえば、本書には出てこなかった日本と中国の関係を考えてみても明白だ。中国には一つとして現存していない曜変天目茶碗が日本には現存していることなどはあまりにも有名だし、中国では破棄されてしまった仏教関連の伝来品や茶器の優れたコレクションも日本で命脈を保った。
そもそも「美術品は作られたその国、その文化の中にあるべき」という鎖国的な考え方が当然になってしまうと、逆に言えば日本にいては西洋美術にもその他の国・文化圏の美術にも、一切触れられないことになってしまう。国宝級の品が海外流出するのは決していい気分のするものではなかろうが、美術品は必ずしもその国になくてはいけないわけではないだろう。松方コレクションは優れた西洋美術を日本にもたらし、いま我々が日本で触れられるハイレベルな西洋美術のコレクションとなっている。だからこそ多くの日本人が、西洋美術に対する知見を持つことが出来ている。
そしてまた、経済力が無ければ、良いものを自国に留め置けないのも、民衆に見る目が無ければ意味がないのも、真理である。
その点、日本は今のところ経済的には世界トップクラスにあり、美術愛好家のレベルも高いので、恵まれているほうだ。(むしろ海外から盗掘された美術品を買いあさっているのでは、と批判されることもある…それはまた別問題だが…)
というわけで、最初の議論に戻ってみる。
日本美術の最高傑作の多くが国外にあるのは確かだが、それを本当に愛してくれる人のもとにあるのなら、別にそれでいいんじゃないかと思う。そして過去はともかく、これから美術品が流出するのを防ぎたいのなら、他人の評価ではなく自分の目で見て、自分の感性を磨いて、よいものを良いと思えるようになる人が沢山いることが必要だと思う。
これで、国が何とかしろ、とか叫ぶだけの人には「そうじゃねーよ」と言える知識の入り口までは到達できたと思う。
ま、それはともかく、読み終わったあと、上野の国立西洋美術館に行きたくなる本でした。

