「エチオピアのオベリスク」、アクスム石柱群を見に行ってきた

オベリスク、と言うとエジプトのものが一番有名で想起されやすいのだが、そう呼ばれる遺跡はエチオピアにもある。
それがエチオピア北部にある アクスム石柱群 だ。

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ででーん。

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エジプトのものは表面に文字が沢山刻まれているのだが、こちらのものは表面に模様が描かれている。ただし模様が刻まれているのはこの前面に押し出されている3本だけ。(そして一番奥の傾いて補強されているものは裏側には模様がない)
後ろに建つ、もっと古い時代の石柱群には模様はなく、もっと小型なんである。大型のものは最後の方に造られたもので、模様のないもののほうが古いだろう、と今のところは言われている。

ガイドブツクなどでもほぼ無視されている小型オベリスクだが、じっくり見るとすごくイイ。一本一本、表情があって…この感じね、イギリスとかスコットランドとかアイルランドとかにあるメンヒルっぽくないですか…? 巨石マニアなら「うへへへ」とか変な声出しながらスリスリしてしまうやつですよね…
エチオピアは遺跡の保護がザルなので、触っても何も言われないんですよね…

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一番気に入ったのはこの柱、売店の前にいた、この賢者の佇まいをした石柱。
いい…とても…。

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ちなみにエチオピアの他の地方都市と同じくアクスムも、日本の感覚からするとすっげー田舎。
アクスム石柱のあるとこと、向かいにある「シオンのマリア教会」(失われたアークが収納されている、という伝説がある)の周囲だけはこんな感じで綺麗に舗装され、観光客仕様になっているのだが…。

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そのへんにヤギが寝そべってるしニワトリが散歩してるしロバ馬車が通りかかるし、近所の人がヤギ連れて通りかかるし、この広場をちょっと離れるともう舗装が消えてただの農村になる。この国の観光地はそういう感じのところがほとんど。ノミとダニが多いのもむべなるかな、あと地面は良く見ていないと動物のウ〇コを踏みつけるハメになる。

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さて、このアクスム石柱群は、アクスム王国が存在した頃に建てられたものだ。

アクスム王国が何時頃から栄えたのかのエチオピアは考古学的な研究が不十分なので資料が少ないのだが、確実なのは紀元後1-3世紀ごろ。それ以前にもなにがしかの勢力があったのは間違いないが、果たしてアクスム王朝と呼んでいいのかどうか確信が持てない。オベリスクにしても、模様入りのものでお墓とセットになっているものについては時代の特定が出来るようなのだが、それ以外の何も記されていない石柱群については、誰のもので、いつの時代のものなのかは不明のようだ。


お墓とセットになっているオベリスクは、一番はしっこの倒れて豪快に折れているコレ。
すぐ下に墳墓がくっついており、中に入ることが出来る。

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壁は上部のきれいなところが復元、下部がオリジナル。
天井を支える横渡しの大きな石が一部割れており、補強も入っている。オベリスクが倒れてるあたりでお察しだが基礎工事に失敗したかオベリスクを欲張ってデカくしすぎたため上手くいかなかったようだ。墓室はまぁ普通の墓室。装飾は何もない。

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ちなみに、盛大に折れてぶっ倒れてるオベリスクの前のところ、段が下がっているのは後世に発掘されたからのようだ。ここにも石の蓋があり、下に空間があるのでおそらく元はお墓。

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敷地内には、作りかけたままぶっ倒れているオベリスクも残されている。
表面を磨いている最中だという説明だったが、残っている部分が下部だけなので、仕上がったけど形やサイズが気に入らずに建てられなかっただけのようにも見える。下部は地面に埋めちゃうので見えないし。

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ここの石柱群は花崗岩で出来ていて、少し先から伐り出して陸路で運んできたものだということだ。

エチオピア人ガイドさん曰く象に運ばせた、とのことで、石柱群の後ろにある博物館の壁画でも誇らしげにそのシーンのイメージ画像などが描かれていたが、ぶっちゃけ、象を連れて来て石を運べるまで訓練するよりは人間の人海戦術のほうが早いと思う。だって象ですよ象、アフリカゾウってそんな大人しい生き物だったっけ? 棒状にした石を背中に乗せる手間のほうが大きくない? 木があるんだから、ころでも作ってその上転がしたほうが早いよ…。石を垂直に立てるのなら、象の力を借りて引っ張るのはアリだと思うけど。

エチオピアン・ガイドさんの説明はちょいちょい「ん?」ってなるのがある。

尚、こちらの遺跡はどこも漆喰を使わず、教会などでも、絵を描く場合もなぜか泥の上に直接描いてある。漆喰の原料は石灰岩なのでどこでもあると思ってたんだけど、ごつごつした雨の浸食の少なそうな地形からするに、もしかしたらエチオピア北部では手に入りにくいのかもしれない。今度調べてみようと思う。



尚、この遺跡の敷地内(裏手のほう)には、遺跡周辺で発掘されたものを飾ってある博物館があるのだが、写真撮影禁止だったので撮影はしていない。無造作にツボとかが飾られている、「倉庫…だよねコレ」みたいな建物。(笑)
床に穴が開いているのは、かつてそこが発掘サイトだったから、らしい。トレンチをそのまま残して臨場感を出したかったようなのだが、現在はお菓子のゴミが溜まっているかわいそうな穴と化していた。

博物館の中には、シバの女王伝説とキリスト教に改宗したエザナ王の神話がなんか史実みたいなノリで展示されているのでトルコのアレを思い出して思わず吹いてしまいそうになった。壮大な…壮大な物語的歴史…!?

興味深かったのはアンフォラとコイン。ローマやプトレマイオス朝のものが混じってて、アクスムがかつて紅海を通じて東地中海世界とつながっていたことを思わせる。エチオピアン・ガイドさんは「このオベリスクはわが国独自のものだ。エジプトの影響はない」とドヤ顔で語るので黙っていたが、アクスム王国の版図からして影響を全く無くすほうが難しい。

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というか説明をすっ飛ばされたコインや壺もそうだが、アクスムの美術様式にエジプトの影響が入っている証拠は実はあちこちに散らばっていたりする。
長くなるので、その話は次の記事で。




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