アクスムの他の石柱と遺跡/グディト女王の石碑フィールド
今回の旅はアクスム近辺がわりとメインな感じだったのだが、アクスムには有名な巨大オベリスク以外にも多数の小規模な石碑群が存在する。
その一つが、ドゥングル宮殿の向かい側にある「グディト女王のステラ・フィールド」と呼ばれている場所にある。
グディト女王はアクスム王国を滅ぼした異教徒の女王、として伝説化された人物。
ここの石碑群は彼女の時代からはズレているのだが、このフィールドの名前の元になった、彼女のものと見なされた石碑(もちろん彼女が作ったものではない)が何所かにあるはずなのだが、、、、
何の案内もなくただただ、だだっ広いので何も、、、分からず、、、、(´・ω・`)
入り口の看板には「2-3世紀のもの」と書かれている。実際に出土したのがそのくらいの時代の遺物らしい。
つまり、アクスム王国が勃興してから、キリスト教を受け入れるまでの間に、これらの石碑群が作られたことになる。
遺跡の調査は為されているものの、あまり成果が上がっていない。
というのも、ここモロに近所の住民が今も畑として使ってる場所なので、下の方の層はかく乱されちゃってるし、何かめぼしいものがあったとしても遥か昔に盗掘されちゃっているのだ…。
行った時は乾季の終わりごろで、まだ農作物の植え付けはされていなかったが、ところどころに畝の残りみたいなのがあった。
ちなみにロンリープラネット情報によると、雨季に入る6-10月は完全に畑の中になるため、畝に沿ってしか歩けなくなるらしい。石碑は完全に作物に埋もれてしまう!! い…いいのか…それ…。ストーンヘンジとかでも、周辺の一定範囲は農地にしないようにしてたような気がするんだけどな…。
https://www.lonelyplanet.com/ethiopia/aksum/in-location/sights/f842ed31-9567-4a20-8960-b2ada072b38d/a/nar/f842ed31-9567-4a20-8960-b2ada072b38d/355294
作物に埋もれてしまうと、こんな感じで地面に横倒しになっている石は見えなくなってしまうと思う。
あと、何の説明もないけどこれ、地面に転がってる石ころって元々なんか積み上げて形を作ってあった残骸じゃない…のかな…?
これらの名もなき石碑群たちは、元は墓標であったと考えられている。
つまりメインのオベリスク広場にある立派な背の高いオベリスクと同じ用途だが、作らせた人たちが王や王族ではなく貴族だったため少しサイズが小さく、形も不揃いなのだろう、というわけだ。
しかし古代から畑として使われてきた土地で、その証拠となる品が見つかることは稀なようだ。最後に調査されたのもずいぶん昔の話だし。
ご近所の人がナチュラルに歩き回り、ヤギがそのへんで草を食べ、雨季になれば作物ができる。
人々の暮らしとともに今もある不思議な遺跡。日没まで走り回ったけれど、結局、広いフィールドの全てを見て回ることはできなかった。
この場所については何も情報が無し、エチオピアさんがプッシュしたい初期キリスト教時代やシバの女王伝説との絡みがないので、現地ガイドさんの多くがスルーしてしまうという。でも、ここは本当に面白い場所だと思うし、いかにも観光地な感じのない、今時珍しく垢ぬけない遺跡が好きな人は楽しいはずだ。
特に考古学好きで石とかぺたぺたしたい人は訪れる価値はあると思うので、是非ドゥングル宮殿のついでに行ってみて欲しい。ただし水は忘れるな、売店なんてないし日陰もないぞ…そしてだだっ広い…。
****
まとめ読みは こちら
その一つが、ドゥングル宮殿の向かい側にある「グディト女王のステラ・フィールド」と呼ばれている場所にある。
グディト女王はアクスム王国を滅ぼした異教徒の女王、として伝説化された人物。
ここの石碑群は彼女の時代からはズレているのだが、このフィールドの名前の元になった、彼女のものと見なされた石碑(もちろん彼女が作ったものではない)が何所かにあるはずなのだが、、、、
何の案内もなくただただ、だだっ広いので何も、、、分からず、、、、(´・ω・`)
入り口の看板には「2-3世紀のもの」と書かれている。実際に出土したのがそのくらいの時代の遺物らしい。
つまり、アクスム王国が勃興してから、キリスト教を受け入れるまでの間に、これらの石碑群が作られたことになる。
遺跡の調査は為されているものの、あまり成果が上がっていない。
というのも、ここモロに近所の住民が今も畑として使ってる場所なので、下の方の層はかく乱されちゃってるし、何かめぼしいものがあったとしても遥か昔に盗掘されちゃっているのだ…。
行った時は乾季の終わりごろで、まだ農作物の植え付けはされていなかったが、ところどころに畝の残りみたいなのがあった。
ちなみにロンリープラネット情報によると、雨季に入る6-10月は完全に畑の中になるため、畝に沿ってしか歩けなくなるらしい。石碑は完全に作物に埋もれてしまう!! い…いいのか…それ…。ストーンヘンジとかでも、周辺の一定範囲は農地にしないようにしてたような気がするんだけどな…。
https://www.lonelyplanet.com/ethiopia/aksum/in-location/sights/f842ed31-9567-4a20-8960-b2ada072b38d/a/nar/f842ed31-9567-4a20-8960-b2ada072b38d/355294
作物に埋もれてしまうと、こんな感じで地面に横倒しになっている石は見えなくなってしまうと思う。
あと、何の説明もないけどこれ、地面に転がってる石ころって元々なんか積み上げて形を作ってあった残骸じゃない…のかな…?
これらの名もなき石碑群たちは、元は墓標であったと考えられている。
つまりメインのオベリスク広場にある立派な背の高いオベリスクと同じ用途だが、作らせた人たちが王や王族ではなく貴族だったため少しサイズが小さく、形も不揃いなのだろう、というわけだ。
しかし古代から畑として使われてきた土地で、その証拠となる品が見つかることは稀なようだ。最後に調査されたのもずいぶん昔の話だし。
ご近所の人がナチュラルに歩き回り、ヤギがそのへんで草を食べ、雨季になれば作物ができる。
人々の暮らしとともに今もある不思議な遺跡。日没まで走り回ったけれど、結局、広いフィールドの全てを見て回ることはできなかった。
この場所については何も情報が無し、エチオピアさんがプッシュしたい初期キリスト教時代やシバの女王伝説との絡みがないので、現地ガイドさんの多くがスルーしてしまうという。でも、ここは本当に面白い場所だと思うし、いかにも観光地な感じのない、今時珍しく垢ぬけない遺跡が好きな人は楽しいはずだ。
特に考古学好きで石とかぺたぺたしたい人は訪れる価値はあると思うので、是非ドゥングル宮殿のついでに行ってみて欲しい。ただし水は忘れるな、売店なんてないし日陰もないぞ…そしてだだっ広い…。
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まとめ読みは こちら