遺伝子による優位性が確保されるのは、過剰繁殖をした場合だけ。という話
タイトルは要するに「5人生んで3人死ぬ世界じゃないと遺伝的な優位性は持ってても意味がないよ」という話。
遺伝的な優位とは、たとえば
・毛並みのいい雄が健康で繁殖相手としてふさわしいと見做される所属において、毛並みが良く見える遺伝子
・捕食しにくる天敵が近くにいる環境で、擬態に適した黒い斑点をつくる遺伝子
・特定の疾患が非常に多い地域において、その疾患にかかりにくい遺伝子
といったものを持っていて、より生存しやすい状態にある、ということ。
普通に考えれば、これらの有利な遺伝子を持つ個体が、将来的に増えていくだろうなと想像するのではないだろうか。
しかしこれは、生存に有利な遺伝子を持たない個体が「死ぬor子孫を残せない」ことが前提となっている。
有利な者が生き残り、それ以外が死ぬから有利な遺伝子だけが生き残る。どっちも生き残れるのであれば、遺伝的に生存に有利な形質を持っていても意味がない。というかどっちも生き残れるという状況自体、そもそも生存に有利な遺伝子の優位性を殺していると言える。
人間の場合で考えてみよう。
・飢餓が頻繁に起きる地域で、体に脂肪を溜めやすい遺伝子を持っている
これが優位に立てるのは、実際に飢餓で死ぬ人間が出た場合のみである。
脂肪を溜めやすい人が食べる量を減らして、溜めにくい人に渡すことで、どちらも生き残るのであれば、この遺伝子は優位性を持つとは言えないし、優位な遺伝子を持つ人が増えていく可能性は低くなる。
生存に有利な遺伝子が有利であるためには、その遺伝子を持つ/持たないで生存できるか否かが決まり、かつ、種族を維持するために、生存に不利な個体が死んでしまう前提で過剰繁殖(=集団の大きさを維持する以上の数の子供を持つこと)をしなければならない、ということになる。
もちろん、現代の人間社会では、生存に有利な遺伝子を持ってるとか持ってないとかいう部分で生存は決まらない。深刻な持病や何らかの欠損などの個性を持つ個体でも、周囲が助けてなんとか生かそうとする。従って、過剰繁殖をすると全員が生き残って人口が増え続けることになる。また、生存に不利な遺伝子が淘汰されていくということもない。
これは進化論の話からいくと、とても不思議な状態になっていると思う。有利なものが生き残り、不利なものが消えていくという、遺伝子という設計図レベルの形質の変化は、もはやほとんど起きなくなっているからだ。
その代わりというべきか、設計図はほとんど同じなのに、そこから発現する形質の個性が大きくなっている。要するに性格や趣味嗜好といった部分だ。ある人が何かに没頭しやすい遺伝的な特性を持っていたとしても、実際は「何に」没頭したのかは、遺伝子を見ても分からないだろう。
現代の人間の場合、進化が遺伝子ではなくそこから発現する実際の行動なり嗜好なりの部分で進行しており、その中で有利・不利が発生しているのかもしれない。生存的に有利か不利かで死ぬ死なないではなく、趣味嗜好の傾向によってパートナーを見つけて結婚して繁殖できるか否かが決まる。たとえば、あまりにも一般からかけ離れた趣味嗜好を持つ人は、なかなかパートナに出会えなくて、繁殖の機会がないまま一生を終えることもあり得る、ということ。
だとすると、進化と生存(&繁殖)の土台が変わっていることになり、大変面白い事象だと思う。
進化界も、物理基盤(遺伝子)ではなく仮想化の時代なんですかね…。
遺伝的な優位とは、たとえば
・毛並みのいい雄が健康で繁殖相手としてふさわしいと見做される所属において、毛並みが良く見える遺伝子
・捕食しにくる天敵が近くにいる環境で、擬態に適した黒い斑点をつくる遺伝子
・特定の疾患が非常に多い地域において、その疾患にかかりにくい遺伝子
といったものを持っていて、より生存しやすい状態にある、ということ。
普通に考えれば、これらの有利な遺伝子を持つ個体が、将来的に増えていくだろうなと想像するのではないだろうか。
しかしこれは、生存に有利な遺伝子を持たない個体が「死ぬor子孫を残せない」ことが前提となっている。
有利な者が生き残り、それ以外が死ぬから有利な遺伝子だけが生き残る。どっちも生き残れるのであれば、遺伝的に生存に有利な形質を持っていても意味がない。というかどっちも生き残れるという状況自体、そもそも生存に有利な遺伝子の優位性を殺していると言える。
人間の場合で考えてみよう。
・飢餓が頻繁に起きる地域で、体に脂肪を溜めやすい遺伝子を持っている
これが優位に立てるのは、実際に飢餓で死ぬ人間が出た場合のみである。
脂肪を溜めやすい人が食べる量を減らして、溜めにくい人に渡すことで、どちらも生き残るのであれば、この遺伝子は優位性を持つとは言えないし、優位な遺伝子を持つ人が増えていく可能性は低くなる。
生存に有利な遺伝子が有利であるためには、その遺伝子を持つ/持たないで生存できるか否かが決まり、かつ、種族を維持するために、生存に不利な個体が死んでしまう前提で過剰繁殖(=集団の大きさを維持する以上の数の子供を持つこと)をしなければならない、ということになる。
もちろん、現代の人間社会では、生存に有利な遺伝子を持ってるとか持ってないとかいう部分で生存は決まらない。深刻な持病や何らかの欠損などの個性を持つ個体でも、周囲が助けてなんとか生かそうとする。従って、過剰繁殖をすると全員が生き残って人口が増え続けることになる。また、生存に不利な遺伝子が淘汰されていくということもない。
これは進化論の話からいくと、とても不思議な状態になっていると思う。有利なものが生き残り、不利なものが消えていくという、遺伝子という設計図レベルの形質の変化は、もはやほとんど起きなくなっているからだ。
その代わりというべきか、設計図はほとんど同じなのに、そこから発現する形質の個性が大きくなっている。要するに性格や趣味嗜好といった部分だ。ある人が何かに没頭しやすい遺伝的な特性を持っていたとしても、実際は「何に」没頭したのかは、遺伝子を見ても分からないだろう。
現代の人間の場合、進化が遺伝子ではなくそこから発現する実際の行動なり嗜好なりの部分で進行しており、その中で有利・不利が発生しているのかもしれない。生存的に有利か不利かで死ぬ死なないではなく、趣味嗜好の傾向によってパートナーを見つけて結婚して繁殖できるか否かが決まる。たとえば、あまりにも一般からかけ離れた趣味嗜好を持つ人は、なかなかパートナに出会えなくて、繁殖の機会がないまま一生を終えることもあり得る、ということ。
だとすると、進化と生存(&繁殖)の土台が変わっていることになり、大変面白い事象だと思う。
進化界も、物理基盤(遺伝子)ではなく仮想化の時代なんですかね…。