文明の交わるところ、シリア北部 テル・ハラフ遺跡について纏めてみたぞ
テル・ハラフ、ハラフ遺跡とは、トルコとシリアの国境に近い場所にある遺跡の名前。このあたりの地域で先史時代の歴史に「ハラフ期」という言葉が出てきたら、それはこの遺跡から出た遺物が代表例となっている時代区分のこと。
しかしこの遺跡の場所が使われていた時代の幅がめちゃくちゃ広くて、紀元前6000年~5000/4500年ごろが先史時代の「ハラフ文化」、前9-7世紀がアッシリア帝国支配、となっており、その間の時代も色々と変遷があったりする。
なので「ハラフから出土した遺物」と言われても、土器と銅器が出てくるか、鉄器と宮殿のレリーフが出てくるかは時代を見ないと分からないんである。しかもシリア北部~トルコ南部の国境地帯って、時代ごとにミタンニ、ヒッタイト、アッシリアetc、その時代ごとに影響を受けた「大国」が違ってたりするんだ…
で、分かんなくなってきたのでとりあえず表を作っておくことにしたぞ。

どこかで遺跡の説明を読んだ時に、「第一期」と言われているのがハラフ文化のあたり。「第二期」と言われているのがヒッタイト~アッシリアの支配あたり。鉄器時代、と書かれている場合もこっち。アッシリアが去った後は、ローマ時代~イスラム支配時代含めて大都市が築かれた痕跡は無い、という。
問題は第一期と第二期の間で、ここの資料がない。
発掘されていないか、発掘されたけどまとまった居住の跡が無いかだと思う。
●ロケーション
シリア北部、国境線ぞい
お察しの通りシリア危機やISの侵攻があってからは近付くのも困難
2006年から再びドイツ隊が入っていたようなのだが、今どうなってるのかは不明…。
地理的に、ミタンニやヒッタイト、アッシリアといった大国が次々と立っては消えていった場所であり、住んでいた民族は時代ごとに違うと思われる。

●発掘の歴史
この場所がまだオスマン帝国支配下だった1899-1929年にドイツのマックス・フォン・オッペンハイムにより発掘。見つけたキッカケはバグダッド鉄道をつくるための前調査だったという、インドにおけるイギリスさんのインダス文明発掘と似たような事情から。そのためここの出土品はベルリンに作られた「ハラフ博物館」にまとめて収蔵されていたのだが、1943年11月のイギリスによる
ベルリン空襲時によって博物館が焼失。収蔵されていた遺物は損傷を受けてしまった。
なお、オスマン帝国の崩壊時にもオスマン軍とフランス軍の戦闘で被害を受けており、いっそ発見されていなければ遺物がちゃんとした形で残せていたのでは…と思ってしまう、悲しい遺跡である。
修復された一部が展示されるようになったのは近年で、現在建て直し中のベルリン・ペルガモン博物館の工事が完了すればお披露目される予定。
●ハラフ文化について
第一期とされる、紀元前6,000年~5000/4500年のハラフ文化について。
ハラフ文化はシリア北東部からイラク北部にかかるジャジーラ地方に広がっていた文化で、「トロス」または「トロイ」と呼ばれる円形の遺構や、ペンダント式の印章、土偶を特徴としている。この様式の土器にはメソポタミアのサマッラ文化の影響があるという説がある。またペンダント印章はのちにシュメルで使われる印章と関連があると考えられることや、この辺りが農耕の起源地であることからして、ハラフ文化の一部がメソポタミアに伝わって後の文明の基礎に関わった可能性が考えられる。
●代表的な遺物
ぐーぐるとかでググると写真出てくる。便利な時代になり申した。
「第一期」と言われているハラフ時代の遺物が見たい場合は「halaf period」で「ハラフ時代」と検索すると出てくる。
見たことはあると思うんですよね、これ。

こういう様式の女性像とか

こういう彩紋土器とかが特徴的な文化。

tell-halafと遺跡名で検索した場合に出てくるものは、だいたいが「第二期」「鉄器時代」と言われている時代のもので、なるほどヒッタイト風だなとか、アッシリアだなとか、この辺りの時代の遺物をある程度見ていれば見当がつく。

特にこの王宮ファサードなんかはスゲェな、、、って思うんですよ。
パルテノン神殿に立ってる乙女の柱と発想一緒っていうか、たぶん原型の一つでしょ。文明の交わるところだなぁって感じ。

****
というわけで、既存の資料がイマイチまとまってなくて「もー!」ってなったので勝手に自分用に作っときました(`・ω・´)
これで次回からアッシリアの資料にこの遺跡が出て来ても「?? ハラフってどこや」「シリア…この時代ってヒッタイトに関係あったっけ…ミタンニじゃなくて?」とかならずに! 済む! いぇー!
しかしこの遺跡の場所が使われていた時代の幅がめちゃくちゃ広くて、紀元前6000年~5000/4500年ごろが先史時代の「ハラフ文化」、前9-7世紀がアッシリア帝国支配、となっており、その間の時代も色々と変遷があったりする。
なので「ハラフから出土した遺物」と言われても、土器と銅器が出てくるか、鉄器と宮殿のレリーフが出てくるかは時代を見ないと分からないんである。しかもシリア北部~トルコ南部の国境地帯って、時代ごとにミタンニ、ヒッタイト、アッシリアetc、その時代ごとに影響を受けた「大国」が違ってたりするんだ…
で、分かんなくなってきたのでとりあえず表を作っておくことにしたぞ。
どこかで遺跡の説明を読んだ時に、「第一期」と言われているのがハラフ文化のあたり。「第二期」と言われているのがヒッタイト~アッシリアの支配あたり。鉄器時代、と書かれている場合もこっち。アッシリアが去った後は、ローマ時代~イスラム支配時代含めて大都市が築かれた痕跡は無い、という。
問題は第一期と第二期の間で、ここの資料がない。
発掘されていないか、発掘されたけどまとまった居住の跡が無いかだと思う。
●ロケーション
シリア北部、国境線ぞい
お察しの通りシリア危機やISの侵攻があってからは近付くのも困難
2006年から再びドイツ隊が入っていたようなのだが、今どうなってるのかは不明…。
地理的に、ミタンニやヒッタイト、アッシリアといった大国が次々と立っては消えていった場所であり、住んでいた民族は時代ごとに違うと思われる。
●発掘の歴史
この場所がまだオスマン帝国支配下だった1899-1929年にドイツのマックス・フォン・オッペンハイムにより発掘。見つけたキッカケはバグダッド鉄道をつくるための前調査だったという、インドにおけるイギリスさんのインダス文明発掘と似たような事情から。そのためここの出土品はベルリンに作られた「ハラフ博物館」にまとめて収蔵されていたのだが、1943年11月のイギリスによる
ベルリン空襲時によって博物館が焼失。収蔵されていた遺物は損傷を受けてしまった。
なお、オスマン帝国の崩壊時にもオスマン軍とフランス軍の戦闘で被害を受けており、いっそ発見されていなければ遺物がちゃんとした形で残せていたのでは…と思ってしまう、悲しい遺跡である。
修復された一部が展示されるようになったのは近年で、現在建て直し中のベルリン・ペルガモン博物館の工事が完了すればお披露目される予定。
●ハラフ文化について
第一期とされる、紀元前6,000年~5000/4500年のハラフ文化について。
ハラフ文化はシリア北東部からイラク北部にかかるジャジーラ地方に広がっていた文化で、「トロス」または「トロイ」と呼ばれる円形の遺構や、ペンダント式の印章、土偶を特徴としている。この様式の土器にはメソポタミアのサマッラ文化の影響があるという説がある。またペンダント印章はのちにシュメルで使われる印章と関連があると考えられることや、この辺りが農耕の起源地であることからして、ハラフ文化の一部がメソポタミアに伝わって後の文明の基礎に関わった可能性が考えられる。
●代表的な遺物
ぐーぐるとかでググると写真出てくる。便利な時代になり申した。
「第一期」と言われているハラフ時代の遺物が見たい場合は「halaf period」で「ハラフ時代」と検索すると出てくる。
見たことはあると思うんですよね、これ。
こういう様式の女性像とか
こういう彩紋土器とかが特徴的な文化。
tell-halafと遺跡名で検索した場合に出てくるものは、だいたいが「第二期」「鉄器時代」と言われている時代のもので、なるほどヒッタイト風だなとか、アッシリアだなとか、この辺りの時代の遺物をある程度見ていれば見当がつく。
特にこの王宮ファサードなんかはスゲェな、、、って思うんですよ。
パルテノン神殿に立ってる乙女の柱と発想一緒っていうか、たぶん原型の一つでしょ。文明の交わるところだなぁって感じ。
****
というわけで、既存の資料がイマイチまとまってなくて「もー!」ってなったので勝手に自分用に作っときました(`・ω・´)
これで次回からアッシリアの資料にこの遺跡が出て来ても「?? ハラフってどこや」「シリア…この時代ってヒッタイトに関係あったっけ…ミタンニじゃなくて?」とかならずに! 済む! いぇー!