多言語のパピルス資料「エレファンティネ・パピルス」
Elephantine papyriとは、エジプトの南部、ヌビアとの境界にあるエレファンティネ島から発見されたパピルス群のこと。日本語でググったけどあんま資料出てこなかったから、とりあえずザクっと纏めておいた。個々の文書については検討していないので概要だけ。
●概要
175の文書からなる、1000年近くに渡る期間のパピルス文書。
個人的なお手紙から行政文書まで色々。また、使われている言語はエジプトで使われていた多種多様な言語であり、古代エジプト語の筆記体・ギリシャ語・アラム語・ラテン語・コプト語と時代により様々。言語の変遷を辿れる貴重な資料となっている。
●期間
紀元前5世紀~紀元後5世紀ごろ
このパピルス群は、兵士としてエレファンティネに駐留していたユダヤ人コミュニティの所有していたものと考えられる。
ただしパピルスを記載した人の全員がユダヤ人だったかは不明、コミュニティの中には兵士いがいのお仕事をしていた人もいるかもしれない。
●発見
どのように発見されたのかは不明。19世紀から古遺物マーケットに流れ始めた。そのため現在では各地に散らばってしまっている。
●場所の詳細
アスワンにあるエレファンティネ島の砦。
「島」という名前だがナイル川の中に浮かぶ島、中洲のような場所である。
このへんは古代にはエジプトの南の国境地帯とされ、パピルスが発見されたのはその国境を防衛している砦のあたり。
●ユダヤ学視点からの歴史的な意味
紀元前5世紀時点でのユダヤ教の実践についての資料はほとんどないため、エジプト南部という僻地とはいえユダヤ人の生活記録が残っているのはとても貴重。面白いことにこの当時のユダヤ人の名前にはモーセやヤコブ、ヨセフ、ダビデなどが見当たらず、もしかしたら預言者やモーセの伝承は知られていなかったか、まだ無かったのかもしれないとされている。
またエレファンティネにユダヤ人が祭壇を作っていたという記載もあるようで、これはユダヤ教の寺院がエジプトで作られていた可能性を示唆している記述だという。
このパピルスに記載された典礼のやり方や信仰が現在知られているユダヤ人の歴史と異なるため、エレファンティネのユダヤ人コミュニティはイエラスルを遠く離れた場所で独自の進化を遂げた孤立したコミュニティだったはずだ、と主張する学者もいるようだが、逆に、ユダヤ教の律法(トーラー)自体の成立をパピルスに記載された紀元前5世紀より後だとする説もある。(現状では後者の説が優勢と思われる)
●エジプト学視点からの歴史的な意味
エレファンティネというエジプトの南の端に、ユダヤ人のコミュニティが古くから存在し、地元住民と共生していたという事実。これはエジプト北部にしばしばアジア系住民(たとえばヒクソスなど)のコミュニティが存在したことと合わせて考えると、エジプトが常に多民族国家であったことの一つの証明である。
ユダヤ人の寺院は、エレファンティネのエジプト人の神クヌムの神殿の拡大によるものか、或いは他の理由からか、、紀元前4世紀ごろには機能しなくなったようだ。
●ブルックリン美術館のコレクション
ユダヤ人の家族、アナニアと、彼の妻であるエジプト人奴隷タムゥトの家族的な記録。ブルックリン美術館ではこのジャンルの8つのパピルスを所有している。これらのパピルスについては、1893年に地元農民が見つけたもののため、まとまって収蔵されている。
文書は、不動産の取引、結婚についての文書、ローンの契約(!)など、現代でも家族が大事に保管しておきそうな種類のものになっている。また、家族の47年間以上もの連続した記録となっている。
これらの記録はヘブライ語ではなくアラム語で記載されている。この家族の使用言語はどうやらアラム語だったようだ。
参考: 穀物ローンのパピルス
https://www.brooklynmuseum.org/opencollection/objects/60732
パピルスの一覧はここで見られる
https://www.sbl-site.org/assets/pdfs/pubs/069552P.front.pdf
・紀元前5世紀のエジプト南端にユダヤ人がまとまって住んでる
・彼らの第一言語がアラム語
・穀物ローンという概念がある
・エジプト人との間で契約書が成立
・当時のパピルスが残ってる
と、色々驚くポイントが盛りだくさんな品。こういうのが数十年経ってから博物館や美術館の奥から発掘されるから、古代エジプトというジャンルはね…。
●概要
175の文書からなる、1000年近くに渡る期間のパピルス文書。
個人的なお手紙から行政文書まで色々。また、使われている言語はエジプトで使われていた多種多様な言語であり、古代エジプト語の筆記体・ギリシャ語・アラム語・ラテン語・コプト語と時代により様々。言語の変遷を辿れる貴重な資料となっている。
●期間
紀元前5世紀~紀元後5世紀ごろ
このパピルス群は、兵士としてエレファンティネに駐留していたユダヤ人コミュニティの所有していたものと考えられる。
ただしパピルスを記載した人の全員がユダヤ人だったかは不明、コミュニティの中には兵士いがいのお仕事をしていた人もいるかもしれない。
●発見
どのように発見されたのかは不明。19世紀から古遺物マーケットに流れ始めた。そのため現在では各地に散らばってしまっている。
●場所の詳細
アスワンにあるエレファンティネ島の砦。
「島」という名前だがナイル川の中に浮かぶ島、中洲のような場所である。
このへんは古代にはエジプトの南の国境地帯とされ、パピルスが発見されたのはその国境を防衛している砦のあたり。
●ユダヤ学視点からの歴史的な意味
紀元前5世紀時点でのユダヤ教の実践についての資料はほとんどないため、エジプト南部という僻地とはいえユダヤ人の生活記録が残っているのはとても貴重。面白いことにこの当時のユダヤ人の名前にはモーセやヤコブ、ヨセフ、ダビデなどが見当たらず、もしかしたら預言者やモーセの伝承は知られていなかったか、まだ無かったのかもしれないとされている。
またエレファンティネにユダヤ人が祭壇を作っていたという記載もあるようで、これはユダヤ教の寺院がエジプトで作られていた可能性を示唆している記述だという。
このパピルスに記載された典礼のやり方や信仰が現在知られているユダヤ人の歴史と異なるため、エレファンティネのユダヤ人コミュニティはイエラスルを遠く離れた場所で独自の進化を遂げた孤立したコミュニティだったはずだ、と主張する学者もいるようだが、逆に、ユダヤ教の律法(トーラー)自体の成立をパピルスに記載された紀元前5世紀より後だとする説もある。(現状では後者の説が優勢と思われる)
●エジプト学視点からの歴史的な意味
エレファンティネというエジプトの南の端に、ユダヤ人のコミュニティが古くから存在し、地元住民と共生していたという事実。これはエジプト北部にしばしばアジア系住民(たとえばヒクソスなど)のコミュニティが存在したことと合わせて考えると、エジプトが常に多民族国家であったことの一つの証明である。
ユダヤ人の寺院は、エレファンティネのエジプト人の神クヌムの神殿の拡大によるものか、或いは他の理由からか、、紀元前4世紀ごろには機能しなくなったようだ。
●ブルックリン美術館のコレクション
ユダヤ人の家族、アナニアと、彼の妻であるエジプト人奴隷タムゥトの家族的な記録。ブルックリン美術館ではこのジャンルの8つのパピルスを所有している。これらのパピルスについては、1893年に地元農民が見つけたもののため、まとまって収蔵されている。
文書は、不動産の取引、結婚についての文書、ローンの契約(!)など、現代でも家族が大事に保管しておきそうな種類のものになっている。また、家族の47年間以上もの連続した記録となっている。
これらの記録はヘブライ語ではなくアラム語で記載されている。この家族の使用言語はどうやらアラム語だったようだ。
参考: 穀物ローンのパピルス
https://www.brooklynmuseum.org/opencollection/objects/60732
パピルスの一覧はここで見られる
https://www.sbl-site.org/assets/pdfs/pubs/069552P.front.pdf
・紀元前5世紀のエジプト南端にユダヤ人がまとまって住んでる
・彼らの第一言語がアラム語
・穀物ローンという概念がある
・エジプト人との間で契約書が成立
・当時のパピルスが残ってる
と、色々驚くポイントが盛りだくさんな品。こういうのが数十年経ってから博物館や美術館の奥から発掘されるから、古代エジプトというジャンルはね…。