聖書を研究しすぎて闇落ちした結果…「七十人訳ギリシア語聖書入門」
この本はめちゃくちゃ詳しくて面白い。面白いのだが、聖典を全て是とするキリスト教徒にはだいぶキツい内容になっているかもしれない。
なぜかというと、著者は 聖書を研究しすぎて闇落ちしている からだ。
聖書の成り立ちの曖昧さや矛盾、内容の不備、いやむしろ「聖」書の聖の部分だって人為的に付与された属性だろ? みたいなところから、旧約も新約もひっくるめて知りつくした者ならではの冷ややかなツッコミが随所にちりばめられている。
あまりに急所にクリティカルにツッコむので、「聖書とは過去に誰かに作り出されたものである」という単純な立場ですらない。神を愛しすぎたゆえに突き抜けて堕天使になった系か。示唆に富む内容とは別に、垣間見える著者の愛憎入り混じるコメントに苦笑する。

七十人訳ギリシア語聖書入門 (講談社選書メチエ)
さてこの本は、「七十人訳」と呼ばれる聖書のギリシア語訳についての成立の歴史や内容の解説本である。翻訳が行われたのはプトレマイオス朝エジプトの首都で、当時の国際的アカデミアでもあったアレキサンドリア。範囲はいわゆる「旧約聖書」の部分。翻訳に関わったのが七十人(ソースによっては七十二人となっている。これについては実際に本で読んで欲しい)だったところから、通称「七十人訳」と呼ばれる。
成立は紀元前3世紀以降になり、対象は「創世記」「出エジプト記」の部分。
今回紹介する本的な注釈を付け加えるならば、もちろん七十人で翻訳したなどというのはただの伝承である。というかソースごとに翻訳人数が違ってたり、明らかにラビが関わらずに翻訳されている部分があったり、誤訳ではないにしろ意図的に翻訳を変更した(自由自在に!)部分があったりと、決して忠実な翻訳ではなく、むしろプロバガンダ用に作られた書物である、というのが本の内容である。
元のテキストと翻訳を丹念に読み込んだ上で差分比較しながらいちいち根拠を挙げて丁寧に丁寧にdisっているあたりが闇落ち感を感じるところのひとつである。(笑)
ユダヤ人たちがギリシア語訳を作らなければならなかった理由は、ディアスポラによって分散したユダヤ人たちが、もはやヘブライ語を解さなくなっていたことが一つと言われる。しかしもう一つの理由は、当時のアレキサンドリアに集う他種多様な民族、中でも長い歴史を持ち自民族の過去を誇ることが出来るエジプト人とカルデア人(バビロニア人)に、「我々も同じくらい古い歴史と伝承を持っている」と示す必要があったからである。そのために祖先たちの寿命が延ばされ、歴史が盛られたと知ると、なんだ、聖書が「聖」書になる前はそんな簡単に書き換え可能だったのか、とちょっと笑ってしまう。
しかしユダヤ人の歴史、「出エジプト記」には、不都合な部分もたくさんあった。
たとえばモーセやモーセの姉の手が「レプラのように白くなり」と書かれている部分で、これを知っていたエジプト人の歴史家マネトーは「モーセたちはレプラ(疫病)に罹って、感染を防ぐため隔離・追放された者たちだ」と舌鋒するどくコケにしている。ギリシャ語訳ではそうした不都合な部分を書き換えている。
こうした「書き換え」は、のちに様々な不都合を生み出す原因ともなった。
ヘブライ語を読める人が少ないのだから、当然、ギリシャ語訳のほうが有名になり読まれる。エジプトに来て定着していたユダヤ人が読んだのも、訳されたほうのテキストだっただろう。
少し前に調べていた「エレファンティネ・パピルス」は、紀元前4世紀にエジプト南部のエレファンティネに暮らしていたユダヤ人コミュニティの記録だが、そこには彼らが「創世記」や「出エジプト記」を知っていた痕跡が見られないという。それらのテキストの文章が確定した/ギリシャ語に翻訳されたのが紀元前3世紀以降だとすれば、知らなかったとしても当然なのだ。
https://55096962.seesaa.net/article/201907article_21.html
多言語のパピルス資料「エレファンティネ・パピルス」
もし彼らが、国際都市アレキサンドリアで多民族に対するユダヤ人の「歴史の古さ」を宣伝するためにも書かれた、他民族に配慮したギリシャ語訳を読むことになったとしたら、そこには、出エジプトの神が唯一の神であり、エジプトの神々よりも上にたつものである、という重要な記載が抜けたものを読むことになる。この差はけっこう大きい。
のちのイスラム教が、「聖典はアラビア語のみな! 翻訳禁止!!」としたのにも、翻訳によってオリジナル・テキストと違う意味の部分が多数出て来てしまった失敗例をふまえてのことだっただろう。
******
この本の中でも紹介されている映画「アレクサンドリア」は、エジプトマニア視点から見ても素晴らしい出来だったので是非。
当時のアレキサンドリアはきっとこんな雰囲気だったのだろう、と思わせられるリアリティがあった。
映画「アレクサンドリア」感想 国際都市アレクサンドリアの悲哀
https://55096962.seesaa.net/article/201103article_43.html
![アレクサンドリア [DVD]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51cyowk%2BBOL._SL160_.jpg)
アレクサンドリア [DVD]
******
あと、この本、なぜか私がサイト用に作った画像が使われている…(笑)
元の図
http://www.moonover.jp/bekkan/bigin/map_memphis.htm
本で使われていた図

これはお茶拭いた。Windows付属のpaintでフリーハンドで作った方角矢印の歪みがそのまんま使われているし。
ちなみにこの図は「図説エジプトの神々辞典」という本の末尾についている上エジプトと下エジプトの図をスキャンして合成してGIF画像
直して町名と★マークと矢印を入れたものなので、出所はうちのサイト以外には無い。
商業本でも、ネットで適当にぐぐった図を使っちゃうんだなぁ…とか、シミジミ思ったのである。
なぜかというと、著者は 聖書を研究しすぎて闇落ちしている からだ。
聖書の成り立ちの曖昧さや矛盾、内容の不備、いやむしろ「聖」書の聖の部分だって人為的に付与された属性だろ? みたいなところから、旧約も新約もひっくるめて知りつくした者ならではの冷ややかなツッコミが随所にちりばめられている。
あまりに急所にクリティカルにツッコむので、「聖書とは過去に誰かに作り出されたものである」という単純な立場ですらない。神を愛しすぎたゆえに突き抜けて堕天使になった系か。示唆に富む内容とは別に、垣間見える著者の愛憎入り混じるコメントに苦笑する。

七十人訳ギリシア語聖書入門 (講談社選書メチエ)
さてこの本は、「七十人訳」と呼ばれる聖書のギリシア語訳についての成立の歴史や内容の解説本である。翻訳が行われたのはプトレマイオス朝エジプトの首都で、当時の国際的アカデミアでもあったアレキサンドリア。範囲はいわゆる「旧約聖書」の部分。翻訳に関わったのが七十人(ソースによっては七十二人となっている。これについては実際に本で読んで欲しい)だったところから、通称「七十人訳」と呼ばれる。
成立は紀元前3世紀以降になり、対象は「創世記」「出エジプト記」の部分。
今回紹介する本的な注釈を付け加えるならば、もちろん七十人で翻訳したなどというのはただの伝承である。というかソースごとに翻訳人数が違ってたり、明らかにラビが関わらずに翻訳されている部分があったり、誤訳ではないにしろ意図的に翻訳を変更した(自由自在に!)部分があったりと、決して忠実な翻訳ではなく、むしろプロバガンダ用に作られた書物である、というのが本の内容である。
元のテキストと翻訳を丹念に読み込んだ上で差分比較しながらいちいち根拠を挙げて丁寧に丁寧にdisっているあたりが闇落ち感を感じるところのひとつである。(笑)
ユダヤ人たちがギリシア語訳を作らなければならなかった理由は、ディアスポラによって分散したユダヤ人たちが、もはやヘブライ語を解さなくなっていたことが一つと言われる。しかしもう一つの理由は、当時のアレキサンドリアに集う他種多様な民族、中でも長い歴史を持ち自民族の過去を誇ることが出来るエジプト人とカルデア人(バビロニア人)に、「我々も同じくらい古い歴史と伝承を持っている」と示す必要があったからである。そのために祖先たちの寿命が延ばされ、歴史が盛られたと知ると、なんだ、聖書が「聖」書になる前はそんな簡単に書き換え可能だったのか、とちょっと笑ってしまう。
しかしユダヤ人の歴史、「出エジプト記」には、不都合な部分もたくさんあった。
たとえばモーセやモーセの姉の手が「レプラのように白くなり」と書かれている部分で、これを知っていたエジプト人の歴史家マネトーは「モーセたちはレプラ(疫病)に罹って、感染を防ぐため隔離・追放された者たちだ」と舌鋒するどくコケにしている。ギリシャ語訳ではそうした不都合な部分を書き換えている。
こうした「書き換え」は、のちに様々な不都合を生み出す原因ともなった。
ヘブライ語を読める人が少ないのだから、当然、ギリシャ語訳のほうが有名になり読まれる。エジプトに来て定着していたユダヤ人が読んだのも、訳されたほうのテキストだっただろう。
少し前に調べていた「エレファンティネ・パピルス」は、紀元前4世紀にエジプト南部のエレファンティネに暮らしていたユダヤ人コミュニティの記録だが、そこには彼らが「創世記」や「出エジプト記」を知っていた痕跡が見られないという。それらのテキストの文章が確定した/ギリシャ語に翻訳されたのが紀元前3世紀以降だとすれば、知らなかったとしても当然なのだ。
https://55096962.seesaa.net/article/201907article_21.html
多言語のパピルス資料「エレファンティネ・パピルス」
もし彼らが、国際都市アレキサンドリアで多民族に対するユダヤ人の「歴史の古さ」を宣伝するためにも書かれた、他民族に配慮したギリシャ語訳を読むことになったとしたら、そこには、出エジプトの神が唯一の神であり、エジプトの神々よりも上にたつものである、という重要な記載が抜けたものを読むことになる。この差はけっこう大きい。
のちのイスラム教が、「聖典はアラビア語のみな! 翻訳禁止!!」としたのにも、翻訳によってオリジナル・テキストと違う意味の部分が多数出て来てしまった失敗例をふまえてのことだっただろう。
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この本の中でも紹介されている映画「アレクサンドリア」は、エジプトマニア視点から見ても素晴らしい出来だったので是非。
当時のアレキサンドリアはきっとこんな雰囲気だったのだろう、と思わせられるリアリティがあった。
映画「アレクサンドリア」感想 国際都市アレクサンドリアの悲哀
https://55096962.seesaa.net/article/201103article_43.html
![アレクサンドリア [DVD]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51cyowk%2BBOL._SL160_.jpg)
アレクサンドリア [DVD]
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あと、この本、なぜか私がサイト用に作った画像が使われている…(笑)
元の図
http://www.moonover.jp/bekkan/bigin/map_memphis.htm
本で使われていた図

これはお茶拭いた。Windows付属のpaintでフリーハンドで作った方角矢印の歪みがそのまんま使われているし。
ちなみにこの図は「図説エジプトの神々辞典」という本の末尾についている上エジプトと下エジプトの図をスキャンして合成してGIF画像
直して町名と★マークと矢印を入れたものなので、出所はうちのサイト以外には無い。
商業本でも、ネットで適当にぐぐった図を使っちゃうんだなぁ…とか、シミジミ思ったのである。