新アッシリアは旱魃で衰退したか 鍾乳洞の石から気候を測る研究

こないだアッカド王朝は気候変動で衰退したのでは的な話をサンゴの化石から調べる研究が報道されていたが、今回は新アッシリアの話。

What Felled The Great Assyrian Empire?
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2019/11/what-felled-great-assyrian-empire.html#I2gWc7SXF8SCjw0y.97

ass.PNG

アッシリアは、イラク北部を拠点として一時はメソポタミア全域を支配していた「鉄の帝国」。最初に鉄器を大量生産して軍事に充てたことからそのように呼ばれる。(※ヒッタイトの頃はまだ青銅器の使用のほうが多い)

新アッシリアは紀元前1000年頃から前609年あたりまでの時代を指すが、晩期には王名表でも誰が即位してたかはっきりしないくらいグダグダの状態になっており、その後は新バビロニアにとって代わられる。メソポタミア南部まで支配出来ていたのは約2世紀の間のみ。

neo-ass.jpg

今まで、アッシリアの急激な衰退と崩壊の原因については定説がなかった。アッシリアは武力に優れた国で、戦争でどこかの国に負けたわけではないと考えられていたからだ。60年にも及ぶ長い旱魃の時代がじわじわ国力を奪っていったという今回の説が正しければ、アッシリアを倒したのは「太陽」ということになる。アッシリアの最高神アッシュルが日輪の姿で表される神だったことを考えると、実に皮肉な結末と言えよう。

Ashur_god.jpg

旱魃の証拠は、面白いことに鍾乳石の成長から計っている。雨が降る→洞窟に染み込む→鍾乳石が成長する。鍾乳石を割って調べてみると、雨の量を推定すると、新アッシリア崩壊前の約60年はほとんど雨が降っておらず、逆に帝国の拡大していた時代には雨が多く降っていた、という。雨の量=穀物が育つか否か、という話であり、古代世界においては文字通りの死活問題。遠征するにもごはんがないとムリ。

なお、この「雨が少ない」という異常気象は、天水農業、つまり自然に降る雨で穀物を育てている地域では大問題だが、元々雨が少なくて水路などを完備して灌漑農法を行っている地域では、比較的、影響が少ないのではないかと考えられている。そう、バビロニアは歴史的に灌漑農法なのだ。
ちなみに天水農業は人手がかからずインフラ投資も無くていいが、灌漑農法は水路のメンテなどで人手がかかるうえにインフラ投資も必要になる。

雨に頼ったアッシリアは雨が降りさえすれば有利だが、雨に頼らず人工水路で頑張っていたバビロニアは雨が降らない時代のほうが強い。もしかしたらメソポタミアの覇権争いは、国家間の農業のスタイルの違いが関係していたのかもしれない。というお話。


***
おまけ

最近こんな研究もあった。
低緯度オーロラ現象と思われる記録が、地学的な知見からも証明されたというもの。新アッシリアの晩期には異常気象が相次いでいたのかもしれない。

地学×天文学×考古学。アッシリアの天文観察日誌、最古のオーロラ様現象の記録と判明する
https://55096962.seesaa.net/article/201910article_22.html

この記事へのトラックバック