ロゼッタ・ストーンに書かれた「反乱」の犠牲者か。兵士の骨に秘められたプトレマイオス朝の歴史
ロゼッタ・ストーンといえば、多くの人は古代エジプト語の解読に貢献した多言語石碑として記憶していると思う。しかしその内容は、プトレマイオス5世の時代、弱体化した王権をなんとか盛り立て、王の権威をギリシャ人移民、土着エジプト人両方に広く宣伝しようとした、プロパガンダ石碑である。
その石碑の冒頭に出てくる、ナイル下流の都市で起きた大規模な反乱の犠牲者かもしれない、傷ついた兵士の骨が出土した、という。
Archaeologists tie ancient bones to a revolt chronicled on the Rosetta Stone
https://www.sciencenews.org/article/archaeologists-tie-ancient-bones-egypt-warrior-revolt-rosetta-stone-chronicle
前提として、プトレマイオス王朝は外来のギリシャ系の王家である。ペルシャ支配→アレクサンドロス王による解放→後継者争い→アレクサンドロスの家臣の一人プトレマイオスがエジプト周辺を領地として奪取し王となる、という流れ。
しかし元々支配基盤は盤石ではないため、ギリシャ系移民と土着のエジプト人との折り合いに苦労し、さらに王家内部での権力争いにも腐心することになる。
プトレマイオス5世は、そんな中、幼くして即位し、国内の反乱をなんとかおさめるところから治世をスタートする。即位は前205年頃、ロゼッタ・ストーンが建てられたのが前196年だ。
参考:
プトレマイオス5世
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/farao_ptr_05.htm
ロゼッタ・ストーン
http://www.moonover.jp/bekkan/hiero/index.htm
さて今回の骨が見つかった場所は、古代の都市Thmouis(ティマイス)。この街では実際に街が焼き払われ、住民が犠牲となった形跡がある。兵士の骨は戦闘による多くの外傷を受けており、埋葬されることなく床に打ち捨てられていた、という。上下の誘うから見つかっているコインや壺から、紀元前180年よりは古く、紀元前205年よりは新しい。つまり時代的にプレトマイオス5世の治世、かつロゼッタ・ストーンが建てられた時期にちょうど重なる。

兵士は土着のエジプト人側に属していたため、おそらく鎮圧された反乱軍側だった。
つまり王の軍は反乱軍ごと街を焼き払い、反逆者たちを打ち捨てて去っていったのだ。
ロゼッタ・ストーンの冒頭では、栄光ある王が民に害なす反逆者たちを追い払い、秩序を取り戻したことが述べられ、続いて神殿の税などを軽減すると誇らしげに書かれている。しかしそれは王家側からのプロパガンダであり、後半は王権維持に必要な権威を与えてくれる聖職者へのごますりでもある。
その時代に生きた名もなき人々の生きざまは、権力者の記録だけ追っていては見えてこない、歴史の生々しさを語ってくれる。考古学の面白いところだと、シミジミ思う。
***
プトレマイオス朝は公用語がギリシャ語なんで、古代エジプトの歴史の中でプトレマイオス朝以降はギリシャが専門の人が研究してることが多い。逆にエジプト学者の人はあまり手を出していない印象。というか普通に古代エジプト本を読むとものすごくサラっとしか書かれていない…。
とりあえず一冊、踏み込んだ系の本を紹介してみる。
***
プトレマイオス王国と東地中海世界: ヘレニズム王権とディオニュシズム
その石碑の冒頭に出てくる、ナイル下流の都市で起きた大規模な反乱の犠牲者かもしれない、傷ついた兵士の骨が出土した、という。
Archaeologists tie ancient bones to a revolt chronicled on the Rosetta Stone
https://www.sciencenews.org/article/archaeologists-tie-ancient-bones-egypt-warrior-revolt-rosetta-stone-chronicle
前提として、プトレマイオス王朝は外来のギリシャ系の王家である。ペルシャ支配→アレクサンドロス王による解放→後継者争い→アレクサンドロスの家臣の一人プトレマイオスがエジプト周辺を領地として奪取し王となる、という流れ。
しかし元々支配基盤は盤石ではないため、ギリシャ系移民と土着のエジプト人との折り合いに苦労し、さらに王家内部での権力争いにも腐心することになる。
プトレマイオス5世は、そんな中、幼くして即位し、国内の反乱をなんとかおさめるところから治世をスタートする。即位は前205年頃、ロゼッタ・ストーンが建てられたのが前196年だ。
参考:
プトレマイオス5世
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/farao_ptr_05.htm
ロゼッタ・ストーン
http://www.moonover.jp/bekkan/hiero/index.htm
さて今回の骨が見つかった場所は、古代の都市Thmouis(ティマイス)。この街では実際に街が焼き払われ、住民が犠牲となった形跡がある。兵士の骨は戦闘による多くの外傷を受けており、埋葬されることなく床に打ち捨てられていた、という。上下の誘うから見つかっているコインや壺から、紀元前180年よりは古く、紀元前205年よりは新しい。つまり時代的にプレトマイオス5世の治世、かつロゼッタ・ストーンが建てられた時期にちょうど重なる。
兵士は土着のエジプト人側に属していたため、おそらく鎮圧された反乱軍側だった。
つまり王の軍は反乱軍ごと街を焼き払い、反逆者たちを打ち捨てて去っていったのだ。
ロゼッタ・ストーンの冒頭では、栄光ある王が民に害なす反逆者たちを追い払い、秩序を取り戻したことが述べられ、続いて神殿の税などを軽減すると誇らしげに書かれている。しかしそれは王家側からのプロパガンダであり、後半は王権維持に必要な権威を与えてくれる聖職者へのごますりでもある。
その時代に生きた名もなき人々の生きざまは、権力者の記録だけ追っていては見えてこない、歴史の生々しさを語ってくれる。考古学の面白いところだと、シミジミ思う。
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プトレマイオス朝は公用語がギリシャ語なんで、古代エジプトの歴史の中でプトレマイオス朝以降はギリシャが専門の人が研究してることが多い。逆にエジプト学者の人はあまり手を出していない印象。というか普通に古代エジプト本を読むとものすごくサラっとしか書かれていない…。
とりあえず一冊、踏み込んだ系の本を紹介してみる。
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プトレマイオス王国と東地中海世界: ヘレニズム王権とディオニュシズム