天空の国チベット ~チベットのお寺の見どころ

チベットの冬は、巡礼シーズンである。

農業や放牧で生計をたてている人が多いため、冬の仕事のない時期にお寺巡りをする。この季節は中国人の公務員は冬休みで低地に帰っているし、寒すぎて中国人観光客はほぼ来ないので、街にはチベット人が多い。マニ車を回しながらお堂の周りを廻ったり、ひたすら五体投地していたりする人々のダイナミックな信仰を見ることが出来る。さらに晴れれば透き通るような深い紺碧の空も見える。気候的には過酷だがオススメのシーズンだ。

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チベットの寺の見どころは、「寺がみんなすっげぇ山の上にある」ということだと思う。
ラサ周辺でいえば、ベースとなる街の標高が3650m~3700mくらい、そこから標高を上げた山の中に寺があるので、普通に4,000mくらいのところに寺があることになる。日本にこの高さの場所はない。まずラサで高度順応してからでないと周辺のお寺巡りが出来ない、というのは、そういうこと。なお寺はどこも階段だらけなので、4,000mで階段を登れるだけの肺活量や脚力も必要となる。

周囲はひたすら岩山。冬季は草も生えないので山に一切に緑がない。木はラサ周辺ではノルブリンカのあたりと、人工的に植えた街路樹くらいしか見ていない。

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チベットといえば「鳥葬」で、死後は鳥に体を食わせる葬儀を行う。
その鳥葬の山は、チベットでよく知られている日本人僧侶の河口慧海の霊塔が建てられているセラ寺の裏山になるという。ここには常に鳥が待っている。人間到る処青山あり、というが、チベットには青山つまり墓地はない。全てを鳥に食べさせて(体を寄付して)いくからだ。動物に対しても施しものをすることが善行とされるチベット仏教の中で、死して体を鳥に与えることは最後にして最大の善行とされている。

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日本ではお釈迦様が人気だが、チベット仏教ではいつか遠い未来に訪れる弥勒菩薩が人気だそうで、各寺には弥勒が大々的に祀られている。輪廻転生の概念は日本にもあるが、チベット仏教のそれはさらに厳しく(?)、自分の今の人生は前世の行いによって全て決まっているので、今生での努力はあまり意味がない、とされるらしい。そのためチベット人は来世の幸せのために寺を巡り、功徳を積もうとするという。

お察しの通り、この概念を突き詰めていくと今の生活をよりよくしようという方向には向いていかない。向上心がないと中国人に批判されるゆえんである。稼いだお金もすべてお寺につぎ込んでしまう。ただし現代の若いチベット人の中には、お金を稼いだら来世のためではなく子供たちの教育のために使うべきだと考えている人もいるらしい。信仰の篤さは、どう足掻いても変えようのない過酷な自然環境に耐えて生きる上では有益だったのかもしれないが、今はすべて信仰で解決する時代ではなくなってきているのも事実である。

また、寺の中は撮影禁止なので写真がないが、寺のあちこちに古い武具が掲示されているのが面白かった。
「何かを絶対やめる!」と誓った時には、その「やめる」ものを寺に納めて仏様に誓うのがしきたりらしく、収められている武具は、かつて周辺の遊牧民たちが部族間の戦争をやめると誓った時に収めたものなのだそうだ。

チベット人の中でも言語や文化に大きな違いがあることは既にふれたが、もともとチベット族は複数の部族からなる、広域に散らばって暮らす人々の集合体だ。それを吐蕃王国として一つにまとめるためには、思想を統一して部族内の戦争を止めさせないといけない。仏教の教えはその需要にうまく応えることが出来た。
つまりかつての吐蕃における仏教は、ローマにおけるキリスト教と同じように、多民族を一つにまとめて国をつくるための宗教ツールとして権力者に使われていたのだ。これはなるほどと思った。そもそもチベットって今でこそ平和的なイメージだけど、北チベットなんかはほぼモンゴルに近い、荒くれ遊牧民の地域だから、武器を捨てさせるのに宗教の威光を借りなきゃならなかったというのはしっくりくる。

また、現世ではなく来世のために祈らせる、というのも、現世で何かいいことがあるのなら「祈ったけど戦争に負けたじゃん!!」のようなクレームになりやすいが、来世のことは誰にも分からないので、ご利益がないことによる信仰離れは起きないのだ。実に巧いシステムになっている。



また、冬ならではの光景も見ることが出来た。
こちらの、ツェタンにある「立体マンダラ」の寺。平地で見ているぶんには普通の色鮮やかなチベット仏教の寺、という感じなのだが…

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近くの山に登って見下ろすと、おお! これは! となる。冬で全く色彩の無い世界に、色が浮かび上がって見えるのだ。
寺をとりまく丸い白い壁が宇宙。その中に建つ塔が各世界を意味しているという。建物で表現される色の宇宙。トタン屋根がなかった時代には、荒涼とした色のない冬の世界に寺だけが色をもって浮かび上がって見えたことだろう。「色即是空 空即是色」。

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ちなみにここの山にはタルチョ(お経の書かれた五色の布)がたくさん結び付けられている。
結びに行くためには、軽く岩山登山をすることになる…。

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しかしそこから見下ろす風景は絶景。
この日は風が強くて、目の前で黄砂が生まれているのを見ることが出来た。背景の山々は6,000m~の高峰だが、登る人もいないので特に名前はないらしい。よくこんなところに人が住み着いたものだと感心してしまう。鮮やかな色合いも、来世への期待も、祈りも、きっとこの場所だからこそ生まれて根付いた文化なのだ。

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ラサを離れてチベットの地方都市のほうに行くと、中国人街は姿を消し、中国人の姿も消えていく。しかしそのかわり、各町に入る際に検問があり、行先やツアーガイドがいるか、荷物の中身は問題ないかなど厳しくチェックされる。高速道路沿いには鬱陶しいくらい共産党的スローガンが立ち並ぶ。

しかし、その向こうに広がる荒涼とした大地の広がりは、時間の流れさえよく分からなくなるほどに、…人間の営みを小さく見せる。あまりにも雄大な景色と、そこにまばらに点在するヤク牛と、
ここに人が住み続ける限り、ここで育まれた文化も続いていくのだろうと感じさせる風景がそこにあった。

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つづく。

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