スーフィー教団の基礎を分かりやすく。という本
スーフィー教団というと、白いスカートみたいなのを着た人がひたすらぐるぐる回転してる姿をイメージする人が多いかもしれない。イスラームの中でも神秘主義、と言われることもある。しかしそれはごく一部の話であり、実際のスーフィー教団は幅広い。ちなみに回転するのはスーフィー教団の中でもメヴレヴィー教団の人で、他の教団では回転しない。また実情も、「神秘主義」とは言い難く、この本に出てくる「民衆のイスラーム」という表現はある程度、妥当なものだと思われる。

スーフィー教団―民衆イスラームの伝統と再生 (イスラームを知る) - 高橋 圭
紹介されているのは、スーフィズムが隆盛を誇ったエジプトでの事例だ。
ぐるぐる回転するメヴレヴィー教団が目立つせいでトルコが本拠地のように思われることもあるが、発祥地はイラクで、イスラーム世界に様々な流派が存在する。
その根本的な思想は、ざっくり言うとこういうこと。
「イスラームの教えを守るのに、コーランばっかり読んで机上のお勉強だけでいいの? 神の本質に近付くべく心の修行しなきゃダメじゃない?」
そう、だから修行の一環とその表現として「ぐるぐる回る」とか「火の上を歩く」とか「剣を呑む」とかの大道芸みたいな手法が現れるんである。精神修行の果てに神との合一を果たし、成し遂げた人を聖人と呼ぶというやり方は、ちょっとインド仏教っぽい感じだ。
しかし、スーフィズムにはいくつかの問題点があった。
修行によって高みに達した人を聖者と呼ぶ、そこまではまぁいいとして、特別な存在として崇拝することが、神は唯一のものであるとする原則に反すると見なされるようになった。キリスト教では聖母マリア崇拝や各地の聖人崇拝が多神教のようだと非難されることもあったの同じことだ。
また、「火の上を歩く」といった修行結果のお披露目が、大道芸のように大衆の娯楽として扱われてしまうようになっていった。
民衆からすれば分かりやすく、純粋に「すげー!」という感じだったのかもしれないが、19世紀以降は批判が強まり、次第に追いやられていくことになる。エジプトの場合は、西洋社会からのゲテモノ扱いが大きかった。スーフィー教団=神秘主義というイメージも、エジプトを植民地化した西洋からのイメージの押し付けの部分が大きいと思われる。
また、スーフィズムの教義の中には外来の思想があったり、各時代の導師たちが作り出した習慣があったりと、マジメにイスラームの未来とか何が原典からして正しいのかとかを考えているエリート層からすると許せない部分もあったという。
こうしたザックリとした流れを、発祥となる9世紀から現代まで流してくれている(主にエジプトの事例として)本で、長い歴史をコンパクトにまとめているために若干内容が薄いのだが、初心者にはいい本だと思う。
ちなみにエジプトではスーフィーの聖者の誕生祭(マウリド)は今でも結構行われている。エジプトにおいては、スーフィズムは単なる宗教の一派ではなく、伝統であり、社会のシステムの一部でもあった、という指摘は重要だと思う。

スーフィー教団―民衆イスラームの伝統と再生 (イスラームを知る) - 高橋 圭
紹介されているのは、スーフィズムが隆盛を誇ったエジプトでの事例だ。
ぐるぐる回転するメヴレヴィー教団が目立つせいでトルコが本拠地のように思われることもあるが、発祥地はイラクで、イスラーム世界に様々な流派が存在する。
その根本的な思想は、ざっくり言うとこういうこと。
「イスラームの教えを守るのに、コーランばっかり読んで机上のお勉強だけでいいの? 神の本質に近付くべく心の修行しなきゃダメじゃない?」
そう、だから修行の一環とその表現として「ぐるぐる回る」とか「火の上を歩く」とか「剣を呑む」とかの大道芸みたいな手法が現れるんである。精神修行の果てに神との合一を果たし、成し遂げた人を聖人と呼ぶというやり方は、ちょっとインド仏教っぽい感じだ。
しかし、スーフィズムにはいくつかの問題点があった。
修行によって高みに達した人を聖者と呼ぶ、そこまではまぁいいとして、特別な存在として崇拝することが、神は唯一のものであるとする原則に反すると見なされるようになった。キリスト教では聖母マリア崇拝や各地の聖人崇拝が多神教のようだと非難されることもあったの同じことだ。
また、「火の上を歩く」といった修行結果のお披露目が、大道芸のように大衆の娯楽として扱われてしまうようになっていった。
民衆からすれば分かりやすく、純粋に「すげー!」という感じだったのかもしれないが、19世紀以降は批判が強まり、次第に追いやられていくことになる。エジプトの場合は、西洋社会からのゲテモノ扱いが大きかった。スーフィー教団=神秘主義というイメージも、エジプトを植民地化した西洋からのイメージの押し付けの部分が大きいと思われる。
また、スーフィズムの教義の中には外来の思想があったり、各時代の導師たちが作り出した習慣があったりと、マジメにイスラームの未来とか何が原典からして正しいのかとかを考えているエリート層からすると許せない部分もあったという。
こうしたザックリとした流れを、発祥となる9世紀から現代まで流してくれている(主にエジプトの事例として)本で、長い歴史をコンパクトにまとめているために若干内容が薄いのだが、初心者にはいい本だと思う。
ちなみにエジプトではスーフィーの聖者の誕生祭(マウリド)は今でも結構行われている。エジプトにおいては、スーフィズムは単なる宗教の一派ではなく、伝統であり、社会のシステムの一部でもあった、という指摘は重要だと思う。