エンキ神の故郷ディルムンは何所にあったのか。「未知の古代文明ディルムン」を読んでみた

メソポタミアの碑文や、メソポタミアの神話に出てくる「ディルムン」が現代でいうとバーレーンであることは、今ではほぼ定説となっている話である。しかし、ほんの40年前、それはまだ「新説」であった。本の始まりは1953年。それから歳月をかけて発掘が行われ、この邦訳本が出たのは1970年のことである。その時点では、まだ紀元前3,000年のウルの文書に初めて登場する土地名「ディルムン」は、どこにあるか分からない、「おそらくペルシャ湾のどこかだろう」くらいの存在に過ぎなかった。

未知の古代文明ディルムン―アラビア湾にエデンの園を求めて (1975年) - ジョフレー・ビビー, 矢島 文夫, 二見 史郎
未知の古代文明ディルムン―アラビア湾にエデンの園を求めて (1975年) - ジョフレー・ビビー, 矢島 文夫, 二見 史郎

この本は、ディルムン=バーレーン説の発端となる発掘を行った人による、その顛末の記録である。学術的な本というよりは、「こういうことを考えて、ここを掘ってみたらこんなものが見つかった」といった羅列になっている。単に発掘成果を知るのであれば、この本が出た時点から40年分の研究が蓄積された最近の本を読めばいい。しかしこの本でなければ読めないことがある。

それは、未知の文明を発見した場合、どのようにしてその文明を評価するか というプロセスだ。


発端となる疑問は、バーレーンに多数ある古墳群を築いたのが何者か、であった。それは当初、アラビア半島からやって来た人々の墓であり、島に人が住み始めたのはごく最近なのだと思われていた。古墳の多くは盗掘されており、ほとんど遺物が無い。遺物が出て来ても、初めて見るものでは時代も判らない。少なくとも最近のものではなさそうだな、ということだけ判る。そこで、墓から出て来たものと同じような遺物が島のどこかに埋まっていないか探すことになる。

ディルムンに関する最近の本を読むと、「バールバール文明」という言葉が出てくるが、それはディルムンがここにあると確証を得るに至る最初の切っ掛けとなった遺跡の一つがバールバールだからで、その場所を最初に掘った時のこともこの本に書かれている。著者はバールバールで神殿らしきものを発見する。そして、レナード・ウーリーがメソポミアのウルの遺跡で発見したような牛の頭部を模した遺物を発見する。この発見により、遺跡の年代にだいたい見当がつく。特徴的な陶器も見つかる。未知なる文化の発見だ。著者は「バルバル文化」と呼ぶようになる。しかし、この文化の担い手が何者であるかはまだ分からない。

遺跡を発掘した際に、その遺跡の年代を決めるには、近隣の遺跡を調べて、相対的に判断するのが有効だ。著者たちは隣のカタールに飛び、さらにアラビア半島にも踏み入って、バーレーンの対岸に類似を求める。そして段階を踏んで、「古墳を築いた人々は土着の人々だった」、「他のどこにもない形式の土器を作るオリジナルの文化を持つ人々だった」と結論づけていくのである。

既によく知られている文明や、研究されている地域であれば、「このタイプの土器はこの文化に属する」、とか、「このタイプの土器が出てくるのはxx年からxx年の〇〇文化」などと編年が作られている。しかし、未知の文化に触れた場合、編年表は自分で作らなければならない。行ってみれば、モノサシを作る作業から始まるのである。そして、そのモノサシにつけるべき名前も最初はまだ見えてこない。

発掘が進むにつれ、スタンプ型の印象が見つかり、メソポタミアやインダス文明との繋がりが見え始める。そして、メソポタミアの文書に語られる「ディルムン」と、その近くに存在したもう一つの文化圏「マガン」の存在が、おぼろげながらに浮き上がってくるのである。

Image1.jpg

Image2.jpg

それにしても、今では定説扱いされている話ですら、定説となったのはたった数十年前なのか…という感じがする。40年前には、ディルムンもマガンも、古代世界の地図には存在しなかったのだ。(そして100問前にはヒッタイトすら存在していなかった) インダス文明もここ数十年で研究が進んでかなり書き換えられているし、少し前の世代が知ってる知識は、今とは全然違うんだろうな…。




それと、ディルムンとギルガメシュ叙事詩について、著者が面白い説を出していた。

ギルガメシュが目指したウトナピシュティムのいる場所はディルムンで、彼が水に潜って探した「若返りの草」とはバーレーンで取れていた真珠のことではないか、というのだ。ギルガメシュが潜る場所は深い海のようで、深淵(アプスー)と呼ばれる。メソポタミアの神話では、ディルムンに住むとされた水の神エンキの住処にはアプスーがあることになっているので、確かにそこは一致する。しかし「草」と書かれているものが「実は真珠」というのはどうだろうか…。足に石を括り付けて海に潜るやり方が真珠とりと同じだというのだが、別に真珠とりでなくても多分、海に深く潜る場合はみんな同じことをするだろう。ギルやんが探しにいったものは、真珠というより海藻のイメージだと思う。最近の本でもこの説は見たことが無いので、定着しなかったのではないかなと思う。

ただ、バーレーンからは蛇と真珠の儀礼的な埋葬が見つかっているそうなので、もしかしたら、どこかイメージがリンクしていた可能性はあるかもしれない。いずれにしても、ギルガメシュの目指した場所がバーレーンだった説まではアリかもしれない。行き帰りに船使っている理由もそれで説明がつくし、フンババ退治で向かったのがウルから北方向、若返りの草を探して向かったのが南方向となり、方向的にも丁度よさそうだ。

Image3.jpg



*****
ディルムンについての最近の面白い本はこれ。
タイトルにディルムンとついていないのでわかりづらいが。今回の本を読んだあとにもう一度読み返してみると面白そう。

メソポタミアとインダスのあいだ ──知られざる海洋の古代文明 (筑摩選書) - 後藤健
メソポタミアとインダスのあいだ ──知られざる海洋の古代文明 (筑摩選書) - 後藤健

インダス文明はこのへんとかオススメ。
知識の更新が出来る。

インダス文明の謎: 古代文明神話を見直す (学術選書) - 長田 俊樹
インダス文明の謎: 古代文明神話を見直す (学術選書) - 長田 俊樹

この記事へのトラックバック