読み終わるとタイトルがとても重い。「絶滅動物は甦らせるべきか?」

なんかオススメコーナーに置いてあったから読むぞー(テッテレー)みたいな感じでパサっと開いたら、うん、あの…内容重かったよね…。

この本では「ディ・エクステンション(逆絶滅)」という言葉が多く使われている。これは種の復活や回復といった概念を包括する言葉である。本の構成としては、よくある、ジャーナリストが書いてる「種を復活させるという試みを知ったので、ちょっと関係者に取材に行ってくるよ!」的なものなのだが、取材に行った各種関係者のもとで明かされていく「現実」がとてもヘビーなのである。

絶滅動物は甦らせるべきか? - ブリット・レイ, 高取 芳彦
絶滅動物は甦らせるべきか? - ブリット・レイ, 高取 芳彦

本の中では、既に絶滅してしまった動物を蘇らせる手法がいくつか紹介されている。

たとえば、標本や化石からDNAを取り出して復元する。現存する生きた個体から精子や卵子を取り出して近縁の種に代理母をさせる。など。
しかしどう頑張っても、出来上がる生物は元のものにはならない。たとえDNAが100%同じだったとしても、育てるのが別の生き物(たとえば代理母の種)なら、同じ振る舞いはしなくなるだろう。

また現存する数少ない個体から取り出した精子や卵子から復活させても、遺伝的に近すぎる集団しか出来ず、自力で生殖出来なくなってしまう可能性が高い。絶滅動物を復活させることは、「再絶滅」させることも意味している。

これは、実際に復活させなくても、復活の試みをしている時点から発生している。
かつてブカルドという種のクローンを作るため、学者たちは数多くの失敗を積みかさねた。胚の着床を試みた回数200回、妊娠成功が7頭、出産にこぎつけたのが1頭。その1頭も10分で死亡し、ブカルドは人の手で二度目の絶滅を迎えた。死んでしまった胚や、妊娠したが流産してしまった「命」の数まで数えれば、一頭のクローンの前には数多の屍が積み重なっている。気が滅入る話だが、これが現実だ。これを何度も繰り返し、何度も「絶滅」させることを、果たして受け入れられるのかどうか。

(この件については、日本語記事もある)
絶滅した動物種で初のクローン作成
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/900/


決してロマンだけでは語れない、生命に対する責任や倫理といった問題も絡む話だということが分かる。

 だから、そもそも「なぜ絶滅動物を蘇せるのか」という「なぜ」の部分が問われるのだ。

絶滅したお気に入りの種族に対するロマンチックな気持ちだけが動機なら、やらないほうがいい。


そもそも絶滅してしまった動物に注意を向け、いまから絶滅しようとしている種のことを考えないのはどうなの? とか、復活させたところで自力で生き延びられない種を、人間がさいごまで面倒見きれるの? とか、問題は沢山ある。気候が変わってしまったために死に絶えたマンモスを現代に蘇らせても、生きていけるかどうか分からない。家畜を襲うのが問題で射殺されて消えたニホンオオカミを復活させたところで、また絶滅するだけである。リョコウバトは自然界で一体どういう役割を担っていて、復活させることで何がどうなるのかうまく説明がつけられない。

種の多様性は賛美されがちだが、「自然界を多種多様にしておくことだけで満足してはならない」のだ。



本のスタンスとしては中立だが、これを読み終わったあとだと、クリアすべき問題が大きすぎて実際、絶滅動物の復活など無理なのでは? という気がするなあ。時は戻せないのだ。ならば我々は先へ進むしかない。そうすれば、いまの環境に適応した、新たな種が生まれてくるだろう。我々は失われた種ではなく、これから生まれようとしている種のほうに、そして新たな種を生み出すべき今を生きている生命に、目を向けるべきなのではないかと思うのだが。

この記事へのトラックバック