古代エジプトの庭園と水汲み事情 ~貴人の庭はとんでもなく人手がかかるという話

古代エジプトの庭園といえば、壁画などにもよく描かれているし、墓所に作られたものなどは花壇の実物も見つかっているのでイメージしやすい。果樹や花が植えこまれ、魚の泳ぐ庭があり、沙漠の国ではひときわ華やかで美しい。

が、このお庭じつはめちゃくちゃ維持に手間がかかっている。
水汲み水やりが死ぬほど大変なんである。

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ナイルは季節ごとに増水する。浸水するところに庭は作れないので必然的に、陸の奥の方に作ることになる。
そうすると川から遠いので、水汲んで運んでくる距離も長くなる。

たとえばルクソール神殿の中庭や、ハトシェプスト女王の葬祭殿の庭を思い描いてもらいたい。あそこも、かつては庭園だった。
とすれば、川からせっせと毎日、水を運んでいたはずなのだ。

直線距離で2kmくらい。重たい水をロバに運ばせたにしても、途中まで水路を作っていたとしても、まぁ…キツいよね。

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なお、中王国時代までは手でくんでた水も、新王国時代からはシャドーフというつるべが開発されるので、多少楽になる。
現代でも農村部では使われるシンプルな仕組みであり、これでいったん水路に水を入れて流す、という方法が仕えた。
しかしそれでも、スプリンクラーなどはないので、水路から水を撒くところは人手が必要となる。

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で、これ、一体どんくらいの人数が必要なんだろうなぁと前からぼんやり思ってて、せいぜい数十人もいれば余裕っしょー、とか思ってたんだけど、ひょんなところで資料見つけちゃったんですよね…。

"ラムセス3世治下では、テーベにある神殿付属の庭を維持するだけでも、八千人もの奴隷が駆り出されたのである。"
(「花と庭園の文化事典」八坂書房)


※実際には「奴隷」は古代エジプトにはいないので、労働者と読み替えるといい

この数字がどこまで正しいのかというのもあるが、八千人という予想とは二桁も違う数字に少し考えこんでしまった。
さすがに一日八千人はないだろうが、しかし、のべ人数としては在り得る数字だと思うのだ。川から水をくみ上げるのに十人が三交代で一日三十人。水は上へ上がれないため、溜池から溜池へリレーしていくとして、三段ほど上がるのに九十人。そこから中庭へ水を運ぶのにロバ1頭に水桶2つずつぶら下げて十人同時に動くとして、朝夕二回の水やりで二十人。実際に木々に撒いていく人が二十人。こんなものでも、予備人員を入れて百五十人は必要という計算になる。

比較的、川から近い場所にあるテーベの神殿でもこんなものだから、川から遠い場所に邸宅を構える王族や貴族、葬祭殿などには、もっと人が必要だった可能性がある。だとすると、古代エジプトの街は、毎日ひたすら水だけを運び続ける労働者が大量に存在したことになる。


水道の無かった時代、水源から遠く離れた庭園は、とんでもない贅沢品だったのだ…。
水運び労働者なんてマンガにも小説にも出てくることは無いと思うけど、少女マンガのエジプトものでめっちゃ花咲いてる王宮とか出て来た時は、少しだけ思い出してください…そのお庭に毎日、水を運び続けている下働きの人たちがいるからこそ、今日も花は咲くのだと…。

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