古代エジプトの殉死の習慣についての情報とりまとめ。

殉死、殉葬の例は、世界各地で見かけられる。
王が死んだ時に家臣や奴隷などを殺して一緒に墓に入れるという習慣だ。かつては日本でも行われていたという。
えらい人が亡くなった時に人を殺して埋める理由ははっきりしないが、家臣や奴隷の場合は、死後も世話をさせるためという理由が考えられる。または女性ばかりの時は、前の王様のハーレムや扶養家族を一掃したいという理由かもしれない。いずれにしても、世界各地で行われていたからには、人間の本質的な部分で何かあったのだろう。(たとえば「最も価値のある財産は人間」という概念とか、「死後の世界」という意識の発生とか)


古代エジプトは、第1王朝の終わりまでは殉死と埋葬がおこなわれていた。
埋葬されているのは家臣たちである。

いちばん最初の事例はホル・アハで36人。
ここからスタートして、順番に

ジェル王 318人
ジェト王 174人
メルネイト女王 40人くらい
デン王 136人
アネジブ王 64人
セメルケト王 67人
カー王 26人

12.PNG
↑こういう感じの墓で、周りの部屋に殉死した人たちを入れていく構造


デン王の墓と一緒に見つかっている家臣たちの人骨からは、首を絞められて殺されたらしい形跡が見つかっているようで、実際には人骨が見つかっていないか、発掘当時の詳細な記録が残っていない墓についても、おそらく王の死と連動して暴力的に殺された人々だろうとされている。まあなんていうか…数多すぎるっていうか…この数の家臣を殺したら政府の運営成り立たなくなるんでは…。

この習慣が何故始まったのか分からず、何で終わったのかもよく分からない。
が、この時代は墓に珍しい動物を入れるってこともやってたので、生き物であっても、持ち物すべてあの世に持っていく! っていう感覚だったのかもしれない。
確かなのは、第二王朝に入るとこの習慣は無くなるということだ。つまりこのあたりの時代に価値観の大きな変化があったということだ。
古代エジプトらしい文化の大半は、実は第一~第三王朝の間で成立してしまう。何が起きてたんだろうと興味は尽きない。


なお、殉死の習慣がなくなった代わりにシャブティ像が使われるようになった、という説を時々見かけるが、この説には根拠がない。
何故かというと殉死が無くなるのは第一王朝の末なのに、シャブティ像が使われ始めるのがそれから千年くらい経ってからのことだからだ。
これは日本の埴輪でも同じことで、人型ハニワが現れるのは五世紀半ばからで、殉死の習慣があったとすれば3世紀くらいと考えられているので、数百年の間が空くことになるため、現在では「人の代わりに埴輪を埋めるようになった」というのは後世の伝承だという説が主流になっている。


以前調べた内容とか…

シャブティ像と殉死の習慣/古代エジプトにおけるシャブティ像の位置づけとは
https://55096962.seesaa.net/article/201405article_23.html

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