飼育馬の起源地、アナトリア説も否定されさらに分からなくなる
【ここまでの研究の流れをおおまかに】
*自分が追えてる分だけなので、抜けているものはあるかも
(1)ボタイ遺跡、デレイフカ遺跡から馬の骨が沢山出土。飼育馬の最古の例として有力視される
(2)デレイフカ遺跡の骨の年代に誤りがあったことが判明、実はスキタイ時代だった →説として消滅
(3)ボタイ遺跡の前3,000年のものは有力視されるが結論出ず
(4)2010年頃からDNAを使った分析方法が考案される
各地の遺跡から出た馬の骨の分析から、地域ごとにかなり遺伝差があり「実は起源地は一つではないのでは」という説が出る
(5)しかし雄の遺伝子はわりと均一。このことから、雄の種馬が各地に拡散して、地元の雌馬を孕ませて家畜として殖やされたのではという説が出る
(6)各地の馬に体色の差があることから、家畜化されたあとに好みの色を作り出す計画交配が行われた可能性が示唆される
↓ ↓ ↓
今回の研究「最も多様性があるのは黒海沿岸あたり」「アナトリアの馬は遺伝的に均一なので他所から種馬連れて来ている可能性がある」
Domestic Horses Probably Did Not Originate In Anatolia
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2020/09/domestic-horses-probably-did-not.html
元論文
Ancient DNA shows domestic horses were introduced in the southern Caucasus and Anatolia during the Bronze Age
https://advances.sciencemag.org/content/6/38/eabb0030
前回調べた時の記事
野生馬、実は絶滅していた!というニュース→元ソースの本題は「馬飼育の歴史が想定と違う」
https://55096962.seesaa.net/article/201803article_2.html
今回の研究では、黒海沿岸で見つかっている馬は遺伝的な多様性が多く、毛色のバリエーションも色々なのに対し、アナトリアのものは多様性が少なく、毛色のバリエーションも一種類しかないため、どこか別の場所で飼育化された馬を連れてきて地元の馬と交配して増やしていったのではないか、という結論になっている。これは遺伝子のどの部分が馬の毛の色に関わるか、などの研究が進んできた成果なのだが、何とも恐ろしいというか、そこまで判る時代になったのか、と…。

アナトリアの馬は、紀元前3,000年くらいにどこかから連れてきたものが急速に広まっていったように見える、とのことで、起源地は別の場所に求められる。
ちなみに二年前に出た論文がこれなのだが…。これが早くも否定されたってことだね…。
Equid Exploitation and Horse Domestication in Ancient Anatolia
https://archaeology.sites.unc.edu/home/rla/research/equid-exploitation-and-horse-domestication-in-ancient-anatolia-benjamin-arbuckle/
残る候補地として、隣接する黒海沿岸、あるいはコーカサスが挙げられているが、黒海沿岸だと印欧語族の起源地論争、コーカサスだとすると農耕の発展・開始と絡んでくる可能性もある。具体的に言うと、印欧語族が最初に飼いならしてウマと一緒にあちこち移住していった説、農耕と同時に始まった家畜化のカテゴリーに馬も加えられ、農耕技術と同時に広まっていった説になるかもしれない、ということ。
うーんしかし、数年ごとに新しい論文が出てどんどんひっくり返っていくので、今のところ馬の起源地さっぱり分からんし、一般向けの「最新研究の概要」もすさまじい勢いで陳腐化していくなぁって感じです。
*****
数年前の最新研究の概要でよければこちら
章末から主要論文は辿れる。

ユーラシアの大草原を掘る―草原考古学への道標 (アジア遊学 238) - 草原考古研究会
最初のほうにある「馬の家畜化起源論の現在」という章を参照。
*自分が追えてる分だけなので、抜けているものはあるかも
(1)ボタイ遺跡、デレイフカ遺跡から馬の骨が沢山出土。飼育馬の最古の例として有力視される
(2)デレイフカ遺跡の骨の年代に誤りがあったことが判明、実はスキタイ時代だった →説として消滅
(3)ボタイ遺跡の前3,000年のものは有力視されるが結論出ず
(4)2010年頃からDNAを使った分析方法が考案される
各地の遺跡から出た馬の骨の分析から、地域ごとにかなり遺伝差があり「実は起源地は一つではないのでは」という説が出る
(5)しかし雄の遺伝子はわりと均一。このことから、雄の種馬が各地に拡散して、地元の雌馬を孕ませて家畜として殖やされたのではという説が出る
(6)各地の馬に体色の差があることから、家畜化されたあとに好みの色を作り出す計画交配が行われた可能性が示唆される
↓ ↓ ↓
今回の研究「最も多様性があるのは黒海沿岸あたり」「アナトリアの馬は遺伝的に均一なので他所から種馬連れて来ている可能性がある」
Domestic Horses Probably Did Not Originate In Anatolia
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2020/09/domestic-horses-probably-did-not.html
元論文
Ancient DNA shows domestic horses were introduced in the southern Caucasus and Anatolia during the Bronze Age
https://advances.sciencemag.org/content/6/38/eabb0030
前回調べた時の記事
野生馬、実は絶滅していた!というニュース→元ソースの本題は「馬飼育の歴史が想定と違う」
https://55096962.seesaa.net/article/201803article_2.html
今回の研究では、黒海沿岸で見つかっている馬は遺伝的な多様性が多く、毛色のバリエーションも色々なのに対し、アナトリアのものは多様性が少なく、毛色のバリエーションも一種類しかないため、どこか別の場所で飼育化された馬を連れてきて地元の馬と交配して増やしていったのではないか、という結論になっている。これは遺伝子のどの部分が馬の毛の色に関わるか、などの研究が進んできた成果なのだが、何とも恐ろしいというか、そこまで判る時代になったのか、と…。

アナトリアの馬は、紀元前3,000年くらいにどこかから連れてきたものが急速に広まっていったように見える、とのことで、起源地は別の場所に求められる。
ちなみに二年前に出た論文がこれなのだが…。これが早くも否定されたってことだね…。
Equid Exploitation and Horse Domestication in Ancient Anatolia
https://archaeology.sites.unc.edu/home/rla/research/equid-exploitation-and-horse-domestication-in-ancient-anatolia-benjamin-arbuckle/
残る候補地として、隣接する黒海沿岸、あるいはコーカサスが挙げられているが、黒海沿岸だと印欧語族の起源地論争、コーカサスだとすると農耕の発展・開始と絡んでくる可能性もある。具体的に言うと、印欧語族が最初に飼いならしてウマと一緒にあちこち移住していった説、農耕と同時に始まった家畜化のカテゴリーに馬も加えられ、農耕技術と同時に広まっていった説になるかもしれない、ということ。
うーんしかし、数年ごとに新しい論文が出てどんどんひっくり返っていくので、今のところ馬の起源地さっぱり分からんし、一般向けの「最新研究の概要」もすさまじい勢いで陳腐化していくなぁって感じです。
*****
数年前の最新研究の概要でよければこちら
章末から主要論文は辿れる。

ユーラシアの大草原を掘る―草原考古学への道標 (アジア遊学 238) - 草原考古研究会
最初のほうにある「馬の家畜化起源論の現在」という章を参照。