古代エジプトの戦争と「捕虜の右手」

古代エジプトの戦争では、捕虜の手を切り取るという野蛮な習慣があった。
これはラメセス3世の時代の壁画に描かれた、手だけを積み上げた山。その数を書記が記録している。捕虜の手の数をもって戦功を数え、兵士たちに報奨金を出していたというのだ。

bas-relief.jpg

この習慣がいつから始まったものかは不明だが、最古の、そしておそらく現時点でも唯一だろう実際の発掘例に、第15王朝(ヒクソス王朝)の首都、アヴァリスの王宮から見つかった右手だけの埋葬というものがある。手はすべて右手で、かなり大きく、軍人の男性のものだったのではと言われている。これは第15王朝の中でも最も勢いのあったキアン王の時代のもので、この時代は第15王朝が一時的に、上流のエジプト人王朝の首都テーベまで制圧している。とすると、この右手はテーベを守っていた第16王朝の将軍とかのものなのでは…。強敵を倒した記念とゲン担ぎに王宮に埋めたのでは…。ううっ、やったほうにもやられたほうにも知り合いがいそうで辛いぞ…。

Severed Hands Discovered in Ancient Egypt Palace
https://www.livescience.com/22267-severed-hands-ancient-egypt-palace.html

hands.PNG

この風習はエジプト的なもので、ヒクソスの故郷だったカナアン地方には無いという。
ヒクソス王朝は外来系の王が立っていた王朝ではあるが、官僚などはほとんど土着のエジプト人だったようなので、おそらく手を切り取る指示を出したのはエジプト人のえらい人だったのではないかと思う。

色んなドラマが見えそうで、とても想像力をかきたてられる「右手」なのであった。

*****
おまけ資料

ヒクソスは武力ではなく婚姻でエジプトを支配したか、ミイラの調査から判明したこと
https://55096962.seesaa.net/article/201904article_9.html

ヒクソス人が突然攻め入ってきてあっという間にナイルデルタを支配しました! とか、戦車の力と戦術でエジプト軍を圧倒しました! とかいう説は、もう古いです。じわじわ移住してきて、婚姻関係を結びながらエジプトに馴染んでいった、が現在の説。

この記事へのトラックバック