楔型文字とギリシャ文字が一体化した資料「グレコ・バビロニアカ」
楔形文字の中でシュメル語とアッカド語が共存している、とか、アッカド語とヒッタイト語が同時に書かれいてる、とかの例はよく見かけるのだが、ギリシャ語書いてるのがあるというのは知らなかったので、ほほーと思いながら見ていた。いや、てか、よく粘土板にギリシャ語書きましたね書記の人。曲線の部分とか書きづらかっただろうな…
※大きい写真とかは大英博物館サイトで見られる
https://www.britishmuseum.org/collection/object/W_Sp-II-315
※概要
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/9781444338386.wbeah01077
ざっくり言うと、バビロンで発見された20枚ほどの、楔形文字とギリシャ語が併用されている粘土板。裏面にギリシャ語に翻訳した内容が記載してある、という体裁だ。
神官有識者サークル最後の発刊物である。
紀元前3世紀ごろから作られ始め、紀元後1世紀、または3世紀頃までのものがあるとされる。(時代は研究者によって多少違う) しかし、少なくとも紀元前後あたりまでのものがあることは確定しているので、セレウコス朝やパルティアの時代にはシュメール・アッカドの言葉がまだ読めたことを裏付けている。キリスト教が誕生しようとしていた時代、バビロンの神官サークルはまだ現役だったのだ。
しかしギリシャ語は、粘土板の上ではだいぶ無理やり書いたように見える…。
ここらへんから、なんとなく楔形文字が衰退していった理由と経緯の想像がつく。
・筆記具の違いから、他の言語と共存するのが難しかった
・ほかの言語を粘土板に書くことはなんとか出来ても、楔形文字を紙に書くことは出来なかった
・大事な知識をギリシャ語に翻訳していけば、粘土板のほうは破棄できる
・そして、いつかの段階で書かれなくなった
宗教文書などは重要ではない。その時々しか使わない税収管理の履歴や裁判記録、手紙なども必要はない。書き写して残しておくべきは、医療や天文学、土地台帳などの重要な文書だけだ。実際、それらはのちのイスラームの世界まで受け継がれていく。たぶん、何百年もかけてやっくりと、楔型文字とギリシャ文字を併用しながら翻訳が進み、古い筆記媒体は処分されていったのだ。
同じ内容を二つの文字で書ける場合、どちらがより利便性があるのか。紙のほうが保管スペースは少なく済むし、書き直しも簡単。そして死語よりは今使われている文字のほうがいい。
時代の狭間に生まれた遺物から、文字と筆記具の歴史を思ってみた。