意外と知られていない「ナスカの地上絵」の最近の事情。2016年に世界遺産としても名称変更されてますよー
世界遺産として知られる「ナスカの地上絵」は、ちょっと前までの正式名称は「ナスカとフマナ平原の地上絵」だった。しかし最近では隣接する地域で多数の地上絵が見つかっていて、2016年に名称変更されて「ナスカとパルパの地上絵」になっている。
…というところから話始めないと多分、知らない人はほんとに知らないんだなって判った中の人ですこんにちは。
オタクすぐ自分の知ってることが一般常識だと思い込むからな(自己紹介
パルパはナスカ台地のすぐ北側にある地域なので、地上絵の地理的な範囲が広がったということ。
また、パルパにあるのはより古い時代の地上絵ので、地上絵の描かれていた時代の範囲も広がったということ。
最近の発見を踏まえての名称変更である。
ナスカに描かれた、飛行機からみられような巨大でデザイン的にも洗練されて見えるものは、ナスカ台地から人がいなくなる前に描かれた最終段階のものになる。パルパにあるのはもうちょい古い時代のものなので、ザっと描いた感じで線も荒い。より古い時代の、劣化の激しいものでもドローン飛ばして見つけられるようになったのが現代。近年に古いものの発見が相次いだことにより、段階的に発展していったことが見えるようになってきていて、古い時代のものまで世界遺産に入るようになったのだ。
ちなみに、新規の地上絵が多数発見されるきっかけになった一つが、2014年のグリーンピースによる地上絵の棄損事件だった。この時に集まった寄付金を使って最初の調査が行われ、パルパに大量の地上絵が見つかった。
さらに、これら考古学的な調査を可能にした要因の一つには、ペルーの治安の向上も挙げられる。
かつてペルーは極左テロの跋扈する国だったのだが、日系のフジモリ大統領の時代にテロリストの撲滅に成功して治安が良くなったために、ナスカ近隣の町の無いヘンピなところまで調査が入れるようになったのだ。
治安は大事。そもそもの大前提。
極左組織が跋扈していた時代は1980年~2000年頃で、この時代はほとんど地上絵の調査など出来ていなかったため、ナスカの地上絵は「神秘」「ミステリー」のままでいられた。しかし今はもはやそんな時代ではない。地上絵が謎だったのは別に本当に謎だったわけではないし、今もまだ何も分かっていないと思っている人は、おそらく数十年前の知識で止まっている。そろそろ前に進んで欲しい。
さてこの地上絵だが、「なぜ」描かれたのか、という部分ついてはまだはっきりとした答えはない。
しかし「どのように」描いたのかは既にある程度わかっており、再現実験も行われている。個人でも巨大な地上絵は作れる。いまだに「どのように描かれたのか分からない」と書いているサイトや本は情報が数十年前で止まっている…。
描き方の動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=q6RogWJ3MSc
実際にこの方法で描いてみた動画もある
https://www.youtube.com/watch?v=I7s7k8bcq8k
以上だ。
ただし、何でわざわざこんなの描いたの? というところは分かっていない。しかし考えてみてもらいたい。現代の高架下や廃墟の壁にスプレーで落書きされた巨大絵、あれが何のために描かれたものか理由なんてつけられるだろうか。ていうかそんな大仰な理由なんて必要だろうか。考古学者は何でもかんでも宗教的な深い意味を求めるが、実際は「なんか描いてみたかっただけ」みたいなノリかもしれない。人間だもの。そういうのよくある。
「何でわざわざ」の部分は、多分それほど重要ではない。パルパの地上絵が見つかって、最初は小規模でユルい感じの絵を描いていたことが判ってきた今となっては、どうしてナスカ文化の時代になるとあんなにデザインチックな絵に変化したのかのほうが気になる。
大事なことは、あれらの地上絵が我々と同じ人間の手によるものであること、突然現れたものではなく少しずつ進化しながら何百年にも渡って描かれ続けてきた経緯を知ることだと思う。
あと、間違いやすいのだが、「ナスカとパルパの地上絵」の「ナスカ」「パルパ」は地域名である。
ナスカ文化という言葉はあるが、パルパ文化という言葉はない。
ナスカ(地域名) イカ県ナスカ郡
ナスカ文化 ※ナスカはナスカ郡の都市名
パルパ(地域名) イカ県パルパ郡
パラカス文化 ※パラカスは北のピスコ郡の街名

それぞれ文化の中心に近い現代の町の名前を文化名に充てたのだが、パラカス文化の地上絵はちょっと離れたパルパに描かれていた…ということ。ちなみにもう少し後世になると「イカ文化」も出て来るので混ざらないように注意だ。
ペルーの文化は地域ごとに別々に進化していくが、のちにインカ帝国がまるごと支配するようになるとようやく統一される。インカは日本でいうところの大和朝廷みたいなもので、朝廷が現れるまでは日本の地域ごとに文化差が大きかった、みたいな話である。
このへんまとめた分かりやすい本出してくれよって思うんだけど、なかなか出ないんですよね…。
観光ガイドがいちばんまとまってるっていう現状はどうかと思うんですよ出してくださいよ専門の人、と言い続けてはや何年も経つ。
出 し て
下 さ い(圧
…というところから話始めないと多分、知らない人はほんとに知らないんだなって判った中の人ですこんにちは。
オタクすぐ自分の知ってることが一般常識だと思い込むからな(自己紹介
パルパはナスカ台地のすぐ北側にある地域なので、地上絵の地理的な範囲が広がったということ。
また、パルパにあるのはより古い時代の地上絵ので、地上絵の描かれていた時代の範囲も広がったということ。
最近の発見を踏まえての名称変更である。
ナスカに描かれた、飛行機からみられような巨大でデザイン的にも洗練されて見えるものは、ナスカ台地から人がいなくなる前に描かれた最終段階のものになる。パルパにあるのはもうちょい古い時代のものなので、ザっと描いた感じで線も荒い。より古い時代の、劣化の激しいものでもドローン飛ばして見つけられるようになったのが現代。近年に古いものの発見が相次いだことにより、段階的に発展していったことが見えるようになってきていて、古い時代のものまで世界遺産に入るようになったのだ。
ちなみに、新規の地上絵が多数発見されるきっかけになった一つが、2014年のグリーンピースによる地上絵の棄損事件だった。この時に集まった寄付金を使って最初の調査が行われ、パルパに大量の地上絵が見つかった。
さらに、これら考古学的な調査を可能にした要因の一つには、ペルーの治安の向上も挙げられる。
かつてペルーは極左テロの跋扈する国だったのだが、日系のフジモリ大統領の時代にテロリストの撲滅に成功して治安が良くなったために、ナスカ近隣の町の無いヘンピなところまで調査が入れるようになったのだ。
治安は大事。そもそもの大前提。
極左組織が跋扈していた時代は1980年~2000年頃で、この時代はほとんど地上絵の調査など出来ていなかったため、ナスカの地上絵は「神秘」「ミステリー」のままでいられた。しかし今はもはやそんな時代ではない。地上絵が謎だったのは別に本当に謎だったわけではないし、今もまだ何も分かっていないと思っている人は、おそらく数十年前の知識で止まっている。そろそろ前に進んで欲しい。
さてこの地上絵だが、「なぜ」描かれたのか、という部分ついてはまだはっきりとした答えはない。
しかし「どのように」描いたのかは既にある程度わかっており、再現実験も行われている。個人でも巨大な地上絵は作れる。いまだに「どのように描かれたのか分からない」と書いているサイトや本は情報が数十年前で止まっている…。
描き方の動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=q6RogWJ3MSc
実際にこの方法で描いてみた動画もある
https://www.youtube.com/watch?v=I7s7k8bcq8k
以上だ。
ただし、何でわざわざこんなの描いたの? というところは分かっていない。しかし考えてみてもらいたい。現代の高架下や廃墟の壁にスプレーで落書きされた巨大絵、あれが何のために描かれたものか理由なんてつけられるだろうか。ていうかそんな大仰な理由なんて必要だろうか。考古学者は何でもかんでも宗教的な深い意味を求めるが、実際は「なんか描いてみたかっただけ」みたいなノリかもしれない。人間だもの。そういうのよくある。
「何でわざわざ」の部分は、多分それほど重要ではない。パルパの地上絵が見つかって、最初は小規模でユルい感じの絵を描いていたことが判ってきた今となっては、どうしてナスカ文化の時代になるとあんなにデザインチックな絵に変化したのかのほうが気になる。
大事なことは、あれらの地上絵が我々と同じ人間の手によるものであること、突然現れたものではなく少しずつ進化しながら何百年にも渡って描かれ続けてきた経緯を知ることだと思う。
あと、間違いやすいのだが、「ナスカとパルパの地上絵」の「ナスカ」「パルパ」は地域名である。
ナスカ文化という言葉はあるが、パルパ文化という言葉はない。
ナスカ(地域名) イカ県ナスカ郡
ナスカ文化 ※ナスカはナスカ郡の都市名
パルパ(地域名) イカ県パルパ郡
パラカス文化 ※パラカスは北のピスコ郡の街名
それぞれ文化の中心に近い現代の町の名前を文化名に充てたのだが、パラカス文化の地上絵はちょっと離れたパルパに描かれていた…ということ。ちなみにもう少し後世になると「イカ文化」も出て来るので混ざらないように注意だ。
ペルーの文化は地域ごとに別々に進化していくが、のちにインカ帝国がまるごと支配するようになるとようやく統一される。インカは日本でいうところの大和朝廷みたいなもので、朝廷が現れるまでは日本の地域ごとに文化差が大きかった、みたいな話である。
このへんまとめた分かりやすい本出してくれよって思うんだけど、なかなか出ないんですよね…。
観光ガイドがいちばんまとまってるっていう現状はどうかと思うんですよ出してくださいよ専門の人、と言い続けてはや何年も経つ。
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下 さ い(圧