縄文土器の中には大量のコクゾウムシ(害虫)が練り込まれていた。その意味とは…?
縄文時代、縄文人が既に利用可能な植物を人工的に育成していたことは、最近では常識になりつつある。特にクリやドングリ、ウルシなどを居住地の近くにまとめて栽培していた証拠は豊富に見つかっており、これは農耕のはしりと言って良い。縄文時代は狩猟採集、農耕は弥生時代から、というのはもはや古い。そして農耕につきものの害虫も、縄文時代から人の近くに沢山棲息していたことが判って来ている。
その中でも特に多いのがコクゾウムシで、「穀」の字がついているが食べるものはコメや麦に限らない。栗も、そしておそらくドングリも食べていた。
その証拠として最近見つかっているのが、縄文土器の中に練り込まれたコクゾウムシの存在である。以前は表面に痕を残しているものしか知られていなかったが、X線で見ることによって中に練り込まれているものも見えるようになってきた。
以前北海道で見つかった器からはなんと500匹もの痕跡が見つかっており、作った人も作った人だしね数えた学者さんもよく数えたよ…って感じの数になっている。
縄文土器にムシ500匹 栗の化身?豊穣願い練り込みか
https://www.asahi.com/articles/ASLDB366DLDBTLZU001.html

そして最近、九州で発見された土器からも、250匹という膨大な鍵のコクゾウムシが、かなりの高密度で練り込まれているのが発見された。
つまり日本の北と南の端っこで、同じようなことをやってた人がいたわけだ。
縄文土器にコクゾウムシ多量に混入、熊本大学が九州初発見
https://univ-journal.jp/60303/
X-Ray Imaging Of A Beetle's World In 3600-Year-Old Pottery From Kyushu, Japan
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2020/11/x-ray-imaging-of-beetles-world-in-3600.html

※今回の遺跡はNo.1の場所にある。前回見つかった北海道の館崎遺跡がNo.5の場所。
これについて発見者の先生は、「クリから虫が湧いてくるのを見て、縄文人は虫をクリの化身と考えたのでは」といった説を唱え、豊穣を祈願して時に練り込んだものと考えているようだ。しかし、この説はかなり微妙である。何でかというと、食料を食べてしまう害虫を豊穣の化身と見なすのはかなり無理があるからだ。大事にしまっといた食べ物に湧いた虫に神秘性を感じるだろうか…? 祀れば食べ物が帰って来ると思う…? そんなわけはない。
そもそもこの説には根拠がないし、もしそんな複雑な思想が北海道から九州まで日本全国に広がっていたとしたら、大和朝廷もない時代に「どういうわけか」、全国に共通された宗教的思考があまねく広がっていた事態になってしまう。それはとても不自然だ。(ていうか縄文時代は、中央政権がなく人口密度も低いために、地域ごとに文化が違うというのが前提のはず…。特に西日本と東日本では気候影響もあって大きく異なる)
それよりは、大事な食べ物をないがしろにされた腹いせから、手近にあった粘土で邪魔な虫をぷちぷち集めたあとにそのままコンガリ焼き上げて土器にしちゃったほうがありそうだと思うんだ。それなら複雑な思想は要らない。そして何百匹も集めた理由も説明がつく。
大量に湧いててどうしようもなかったからだ…。
大事な農作物を食べて台無しにしてしまう虫に何を願うことがあるだろう。そもそも縄文人は、ドングリやクリを保存する際に水につけていた痕跡がある。これは中についている虫を殺して保管するためと考えられている。水漬けしないと保管している間に虫に食い散らかされるのを知っていたとすれば、余計にコクゾウムシにポジティブなイメージを持つことは難しい。
↓保管状況(出典元/さらにわかった! 縄文人の植物利用)

古代エジプト人は、フンコロガシは糞から湧いてくるものと考えていたが、フンコロガシを糞の化身と見なしたことはない。糞のほうを太陽に見立てて、太陽を転がす姿で神話に取り込んだ。
中世までのヨーロッパ人は、ハエは肉から自然に沸いてくるものと思っていたが、ハエを肉の化身と考えたりはしていない。ポジティブな意味を与えていない。
そして日本においても、コクゾウムシが神秘的な意味を持って解釈された証拠は何もない。神話に出て来るわけでもないし。古来より我が国で豊穣と結びつけられてきた昆虫は、トンボのような益虫だったはずだ。
もし、これらの器に意味を持たせるならば、コクゾウムシが豊穣の化身だったのではなく、コクゾウムシという害虫を練り込んで焼き上げた怒気を使うことによって「厄除け」しようとした呪術的な思想のほうが在り得そうな気がする。そしてもっと単純に考えるならば、現代人がゴキブリを粘着質のホイホイで捕まえるように、小さくてつかみづらいコクゾウムシを粘土でぺたぺた捕獲していって、その粘土を再利用しただけなのだと思う。
考古学者、なぜか縄文時代を妙にドラマチックなストーリー仕立てで語りたがる人が多いなぁと思って、もっとシンプルにいこうぜ? とか、特に根拠もなく複雑な思想を想定するのただの小説じゃない? とか、思わずに居られない。
#なお、縄文時代に酒があったかどうかについては
#この件以上に戦争になる話なので
#ここでは控えさせていただきたく…
その中でも特に多いのがコクゾウムシで、「穀」の字がついているが食べるものはコメや麦に限らない。栗も、そしておそらくドングリも食べていた。
その証拠として最近見つかっているのが、縄文土器の中に練り込まれたコクゾウムシの存在である。以前は表面に痕を残しているものしか知られていなかったが、X線で見ることによって中に練り込まれているものも見えるようになってきた。
以前北海道で見つかった器からはなんと500匹もの痕跡が見つかっており、作った人も作った人だしね数えた学者さんもよく数えたよ…って感じの数になっている。
縄文土器にムシ500匹 栗の化身?豊穣願い練り込みか
https://www.asahi.com/articles/ASLDB366DLDBTLZU001.html

そして最近、九州で発見された土器からも、250匹という膨大な鍵のコクゾウムシが、かなりの高密度で練り込まれているのが発見された。
つまり日本の北と南の端っこで、同じようなことをやってた人がいたわけだ。
縄文土器にコクゾウムシ多量に混入、熊本大学が九州初発見
https://univ-journal.jp/60303/
X-Ray Imaging Of A Beetle's World In 3600-Year-Old Pottery From Kyushu, Japan
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2020/11/x-ray-imaging-of-beetles-world-in-3600.html

※今回の遺跡はNo.1の場所にある。前回見つかった北海道の館崎遺跡がNo.5の場所。
これについて発見者の先生は、「クリから虫が湧いてくるのを見て、縄文人は虫をクリの化身と考えたのでは」といった説を唱え、豊穣を祈願して時に練り込んだものと考えているようだ。しかし、この説はかなり微妙である。何でかというと、食料を食べてしまう害虫を豊穣の化身と見なすのはかなり無理があるからだ。大事にしまっといた食べ物に湧いた虫に神秘性を感じるだろうか…? 祀れば食べ物が帰って来ると思う…? そんなわけはない。
そもそもこの説には根拠がないし、もしそんな複雑な思想が北海道から九州まで日本全国に広がっていたとしたら、大和朝廷もない時代に「どういうわけか」、全国に共通された宗教的思考があまねく広がっていた事態になってしまう。それはとても不自然だ。(ていうか縄文時代は、中央政権がなく人口密度も低いために、地域ごとに文化が違うというのが前提のはず…。特に西日本と東日本では気候影響もあって大きく異なる)
それよりは、大事な食べ物をないがしろにされた腹いせから、手近にあった粘土で邪魔な虫をぷちぷち集めたあとにそのままコンガリ焼き上げて土器にしちゃったほうがありそうだと思うんだ。それなら複雑な思想は要らない。そして何百匹も集めた理由も説明がつく。
大量に湧いててどうしようもなかったからだ…。
大事な農作物を食べて台無しにしてしまう虫に何を願うことがあるだろう。そもそも縄文人は、ドングリやクリを保存する際に水につけていた痕跡がある。これは中についている虫を殺して保管するためと考えられている。水漬けしないと保管している間に虫に食い散らかされるのを知っていたとすれば、余計にコクゾウムシにポジティブなイメージを持つことは難しい。
↓保管状況(出典元/さらにわかった! 縄文人の植物利用)

古代エジプト人は、フンコロガシは糞から湧いてくるものと考えていたが、フンコロガシを糞の化身と見なしたことはない。糞のほうを太陽に見立てて、太陽を転がす姿で神話に取り込んだ。
中世までのヨーロッパ人は、ハエは肉から自然に沸いてくるものと思っていたが、ハエを肉の化身と考えたりはしていない。ポジティブな意味を与えていない。
そして日本においても、コクゾウムシが神秘的な意味を持って解釈された証拠は何もない。神話に出て来るわけでもないし。古来より我が国で豊穣と結びつけられてきた昆虫は、トンボのような益虫だったはずだ。
もし、これらの器に意味を持たせるならば、コクゾウムシが豊穣の化身だったのではなく、コクゾウムシという害虫を練り込んで焼き上げた怒気を使うことによって「厄除け」しようとした呪術的な思想のほうが在り得そうな気がする。そしてもっと単純に考えるならば、現代人がゴキブリを粘着質のホイホイで捕まえるように、小さくてつかみづらいコクゾウムシを粘土でぺたぺた捕獲していって、その粘土を再利用しただけなのだと思う。
考古学者、なぜか縄文時代を妙にドラマチックなストーリー仕立てで語りたがる人が多いなぁと思って、もっとシンプルにいこうぜ? とか、特に根拠もなく複雑な思想を想定するのただの小説じゃない? とか、思わずに居られない。
#なお、縄文時代に酒があったかどうかについては
#この件以上に戦争になる話なので
#ここでは控えさせていただきたく…