縄文時代の人 vs クマって、どうやって戦ってたんだろうな…という話

縄文時代の人は、住居の近くにクリやドングリなど食べられる植物を集めて栽培していたことが判ってきている。
ということは、それらを食べにくるクマとも必ずどこかでカチあったはずである。

…というところから、昔から人とクマって森の境界で常に領域を争っていたんだよなぁ。と、ふと気が付いた。

kuri.jpg

*クマ目撃情報の多い登山道はクマの鉱物がたくさん落ちている


クマは基本的に肉食だが、秋の冬ごもりシーズンにはブナの実やどんぐり、栗などをたらふく食べる。その過程で枝も折りまくる。
なので山道を歩いていて木の実と枝がたくさん落ちている場所はヤバい、というのを登山者は知っている。山でそれらの木の実が凶作だと、クマは里に下りて来る。ふもとの村に食べ物があれば、それが人間の育てたものだろうと関係ない。

縄文時代には街灯も電気柵も無いのだから、夜にもなればクマが大事な食料を荒らしに来るのをなかなか防げなかっただろう。(そしてクマは火を恐れないので、焚火ではどうしようもない)

そんな時、昔の人はどうやって食料を守ったんだろう。銃は無いし、弓矢でもどうにもならないし、イノシシ罠や落とし穴ではクマのパワーに押し切られてしまうだろう。
犬を飼っていれば威嚇くらいは出来ただろうが…現代以上に、作物を育てて貯蓄して、それを森の動物から守るっていうのは大変な仕事だったと思うんだ。そして、山でどんぐりや栗が凶作の年はふもとでも凶作だった可能性があるから、人間にもとっても、冬の間の主食をかけたまさに命懸けの仕事だったのかもしれない。


しかし、なんとかして勝てたこともあったのは確実だろう。縄文時代の貝塚から、食べたあとのクマの骨が出て来ることがあるからだ。資料はこのへんとか…シカやイノシシに比べれば少ないようだが、証拠があるからにはどうにかして狩ったのだろう。マンモスですら狩って食ってたことがあるわけだし、人間…本気出せば強いのかも…。

http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kankyo/seikatsu/files/130kenjinkai201607.pdf

それから、縄文土器には熊を象ったものもある。
大事な食料を荒らしに来ることもあり、山で遭遇すれば殺されるかもしれない危険な動物でありながら、どこか神秘的なものも感じていたのだろう。たぶん、狼と同じように。

11.PNG

…ただ、調べてみた限り、熊型の土器が出て来るのは縄文時代も晩期になってからなので、縄文時代を通して熊が崇拝されたとは思われなかった。人間側の勢力が拡大して森との間の境界がはっきりしてくれば、熊の脅威が日常的でなくなって多少余裕が出来れば、ポジティブに見ることも出来ると思う。ガチで危険で、本気で生存をかけて戦わなければならない相手だったら、呑気にかわいい土器とか作ってる場合じゃないと思うし。



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現代人の中には、クマを「可哀そう」と表現する人をよく見かける。
でもそれは、無意識の思い上がりだと思う。自然界では人間のほうが圧倒的に弱者で、食べ物がバッティングした場合、単体だと力では勝てない。人間がクマの居場所を奪ったわけではなく、人間は群れの力でクマから自分たちの領域を守らなければ生きていかれない種族なのだ。ていうか鹿とかイノシシとか猿にも普通に負ける。

植物の栽培を始めた昔の人々は、現代の農家と同じく、多くの野生生物から自分たちの「住む領域」を守って暮らさなくてはならなかった。クマだけではなく他の生き物を寄せ付けないためにも苦労していたはずだ。何もしなければ育てた作物食べられる一方だから…。農業とは、他の生き物との戦いなんだ…。

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