東チベットの秘境について語る本、「天空の聖域ラルンガル」

なぜか旅行コーナーにあったのだが、著者はフィールドワーク(学問)のつもりらしい。旅とフィールドワークは別物なので、両方混ぜちゃダメだろ…とは思うが、まあそこは置いておく。これはチベット自治区の外、四川省の外れにある、ラルンガルという仏教学院を取材した記録である。旅行記として読むべきか、民俗学や歴史のジャンルで読むべきかは確かに微妙な内容。しかし、中国とチベットの関係について考える上では面白い視点が含まれていた。

天空の聖域ラルンガル ――東チベット宗教都市への旅(フィールドワーク) - 川田 進
天空の聖域ラルンガル ――東チベット宗教都市への旅(フィールドワーク) - 川田 進

ラルンガルはチベット仏教を教える学院のある場所で、学院は中国国内で正式に許可を得て設立されている、一種の「学園都市」だ。山の斜面を埋め尽くすようにして建てられた僧坊が圧倒的で、旅行ガイドなどでも紹介されているのを見ることがある。ちなみに、ラサに代表されるゲルグ派ではなく、ニンマ派である。

このラルンガルがいかにして成立し、いかに今まで維持されてきたのか、そしてこれからどうなっていくのか、というのが、本のテーマになっている。

なぜ中国政府がこの巨大な学園都市を許可しているかというと、台湾や香港、その他の外国などにいる信者からの支援を受けていること、漢人の入信者も多いこと、政府側にも関係者がいること、など、要するに人脈やコネのお陰だろうと著者は書いている。中国においては万事がそれ(+金)によるので、実際そうなんだろうと思う。

ここで重要なのは、漢人の信徒も多いということ、宗教を持たないとされる共産党内にも実はひそかなチベット仏教の信徒がいるらしいということだ。一昔前に「フリーチベット」などと気勢を上げていた人たちは、チベット人vs中国人という単純な二元構造を思い描いていたように思うが、実際はそういうわけではない。また、チベット仏教内にも宗派はある。そして転生活仏はダライ・ラマやパンチェン・ラマだけでなく、それこそ山ほどいて、実は地方ごとに人気の活仏が違っていたりする。(これは、日本国内で地域によって人気の寺や神社が違うのに事情が似ている)

中国政府のその時々の政策に触れまわされながらも「したたかに」折り合いをつけて生きぬこうとしているラルンガルの現実と、主に欧米の叫ぶ批判の空虚さと温度差が見えて来る。
もちろん中国政府に対して敵対的なチベット人もいるし、口に出さないだけで潜在的に反感を持っている人は多くいるだろう。しかし、それは単純にチベット人vs漢人ではなく、チベット仏教を信じる人たちと、宗教に規制をかけて統率を取りたい政府の対立だろうと思う。

そして、中国政府がラルンガルを"改造"しようとして多数の僧坊を壊した時、世界的な批判が巻き起こりはしたが、あまりにも老朽化した建物は建て替えなければ危険だったのも事実だろうと思う。追い出された僧侶にとっては災難だが、政府の金によって道路や電線などのインフラが次々と整備されていくのは悪いことではなかったはずだ。もっとも、その結果として現地が漢人向けにリニューアルされてしまったことや、観光地化されそうになっていることについては、今後の問題になってくるだろうが。

同じような問題はチベット自治区でも起きていて、歴史ある寺院の周囲に政府が大きな駐車場やでっかい門を建ててしまい、観光バスが次々乗りつけるようになって地元の信者が迷惑している、というような話を聞いたことがある。しかし調べてみると、その地域は貧困地区だった。観光バスがくるようになって、財政は改善されたという。良いことと悪いことはどちらもあるわけだ。



とはいえ、この本はある程度、中国政府に「配慮」した内容となっている。お察しの通り中国はそういうあれとかコレとかに敏感で、あっさり入国拒否したり、難癖つけてスパイ容疑で収監するのもお手の物である。これからも中国に行って調査をしたい著者は、あれこれぼかした表現にしているだろうし、書かなかった部分もあるだろうな…とは、行間の雰囲気から思った。

また、「関所破りはやめるように」とパックパッカーや個人旅行者に言いながら、実際は自分も過去に関所破りをしていることを告白しているので、そのへんは微妙。あと、初めてラルンガルに行ったくだりなどは、「ん?」と思うところもあったが…。まあ、中国のルールってその日ごとどころか担当者ごとに変わるからね…。

ラサのチベット教寺院がそうだったように、いつかラルンガルが外国人の観光客向けに開かれる時がくるのであれば、その時は、多分もう、昔の姿は無くなっているんだろう。


*中の人のチベット旅行の話はこのへん

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