19世紀にギザのピラミッドから発見され行方不明になっていた木片、「再」発見される

12月は自分史上最高額の残業代をゲットしました(白目)
というわけで12月にブクマだけして中身ちゃんと見てなかったやつ拾い直しということで。

クフ王の大ピラミッドの中の「女王の間」と呼ばれる部屋から19世紀末に見つかった3つの道具のうち、行方不明になっていた木製の物差しが、スコットランドのアバディーン大の保管庫から見つかったよ! というニュースが、去年末に流れていた。なんとシガレットケースに入って忘れられていたそうな。

Lost artifact from Great Pyramid was just found in a cigar tin in Scotland
https://www.livescience.com/missing-great-pyramid-relic-found.html
nws.PNG

↑こちらがそのシガレットケース。エジプトの昔の国旗を模したような模様だったので気づいた、だそうだが、この木片が発見されたのは1872年なので赤地に三日月だった時代じゃないかと思うんだ。似てるっちゃ似てるけどそのまんまではないね。

それはさておき、この木片がどうしてスコットランドに辿り着くことになったのかという話である。
アバディーン大学が公開している動画を見てみよう。
https://www.youtube.com/watch?v=-xVSoNGD5Ds&feature=emb_title

この木片は、イギリス人で建築技師だったウェインマン・ディクソン Waynman Dixon という人物が、スコッランドの天文学者チャールズ・ピアッツィ・スミスCharles Piazzi Smyth から依頼されて、1872年にピラミッドの調査をした時に見つかったものの一つだという。他の二つ、青銅製の硬い石で出来た丸いボール状の道具は大英博物館にあり、今も図録などで「ピラミッド建設の道具」としてしょっちゅう見かける。

py04.PNG

py05.PNG

py06.PNG

この時代はエジプトで大きな発見が相次ぐ黄金時代の入り口に当たる。逆に言うと、色んなものがぽこぽこ見つかっては各地の博物館に送られているので、実は行方不明になった品も多い時代である…。

さて、木片をアバディーン大学に寄贈したのは、エジプトで活動していたスコットランド人ジェームズ・グラントという医師の娘さんだそうだ。娘さんは、父親が亡くなってかなり経ったあとの1946年、木片をアバディーン大学の付属博物館に寄贈した。そして、そのまま忘れ去られてしまっていたのだという。

py02.PNG

※参考 James Grant(1840-1896)に関する記録
https://www.abdn.ac.uk/museums/collections/egyptian-antiquities-451.php
エジプト王宮で医師を務め「ベイ」の称号を持っていた。アバディーン出身。エジプト学にも貢献したとして知られているらしい

…いや、よく棄てなかったなこれ?!
タバコ箱に入った謎のバラバラ木片…。娘さんは来歴を聞かされていたからこそ博物館に寄贈したんだろうし、博物館も貴重なものだと思ってとっといたはいいものの、当時の技術では今のような科学分析もできず持て余してそのままになっちゃったんだろうな…。

py01.PNG

py08.PNG

元はものさしの形状だったらしいんだけど、今残っているのは黒ずんだバラバラの木片のみ。
たぶん持ちだす途中で壊れてしまって、価値が無いと見做されてディクソンが手放した、とかではないかと思う。もしくはグラント自身が持ち帰る途中で脆い木材を壊してしまって、これじゃ寄贈出来ないや…って隠しといたのかも。


で、この木片なのだが、面白いことに、放射性炭素年代測定をすると「紀元前3341~3094年」と、ずいぶん古い年代が出てしまったらしい。
ピラミッドを作っていたのは紀元前2500年あたりなので、500年も古い年代が出てしまっている。放射性炭素年代測定は古い時代になるほど誤差が出てしまうものだが、500年というのは果たして許容範囲なのかどうか。

考えられるのは、、単純に年代測定の結果が間違えている、もしくは保存状態が悪いなどで正確な値が出てないというのが一つ。
別な可能性としては、本当にこの木材は古いものを使いまわしていた説だ。

この木片は杉材なので、レバノンあたりからの輸入品になる。
紀元前3000年頃は初期王朝の開始時期と重なる。当時の有力者の墓からラピスラズリ(アフガニスタン産)が発見されているなど近隣文化圏との広い物品の流通が存在したことは証明されている。そして木材は、基本的に丸太の形で輸入される。

エジプトでは木材は貴重なものなので、まず家具など大きなものが作られ、家具が壊れたあとは木片をより小さなもの、たとえば筆箱や木の櫛などに作り変え、ひたすら再利用していくことが一般的だった。この木片は元は物差しということなので、500年間使いまわされ、転用され続けた最後の姿という可能性も無くはない。

しかし、もしこの可能性を考えるのであれば、古代エジプトの遺跡や遺物の年代は、木片からでは測定できないという現実を受け入れなければならない。たとえば、ある墓から木片が出て来たとして、その木片の年代は墓の年代よりずっと古いものが出る可能性がある、ということになってしまうので…。



しかしそれにしても、よく出て来たなあこれ。
なんていうか、「遺物に呼ばれる」みたいな運命を感じなくもない。

この記事へのトラックバック