古代エジプトのミイラづくりマニュアルが再構成される。紀元前1500年のミイラづくりに関わる文書の一端が明らかに
最近流れていた「ミイラづくりミニュアルを発見」というニュース。
このパピルス自体は以前から見つかっていて、ルーブルとコペンハーゲンに分かれて収蔵されている。コペンハーゲン大の学者さんがそのパピルスを再解釈して、内容からミイラづくりの手順を構成した、というものだ。パピルスはいわゆる「医療パピルス」の一種で、薬剤に関する知識を記載したもの。そこに、ミイラづくりに使う薬剤や手順についても記載が混じっていた、ということらしい。写真を見ると6mの長さのあるものが途中で切れてけっこう破損しているので、復元も大変だったんじゃないかと思う。
だからこれは、パピルス自体の新発見ではないし、ミイラづくりに関するマニュアルというわけでもない。
どちらかというと薬剤師向け簡易調剤事典、といったところ。防腐剤のレシピなども書かれているそうだ。
Ancient Egyptian manual reveals new details about mummification
https://www.eurekalert.org/pub_releases/2021-02/uoc--aem022621.php
なお前提知識となるが、古代エジプトのミイラづくり技術は、時代ごとに進化・変遷していく。
完成に至るのは新王国時代の初め頃。それ以前のミイラが残っていないのは、古いからとか、墓荒らしにあったから、とかだけではなく、単純に「ミイラづくり技術が未熟だったので腐ってしまった」というのもある。
古王国時代の例だとジェセル王のピラミッドからは王または王妃のものと思われる骨のカケラが出ているが、保存状態が悪く、発見後に写真だけ残して廃棄されてしまった。
ついでに、中王国時代の残っているミイラはこんな感じである。参考までに。
もしもクフ王のミイラが無事だったら: そのミイラは、ほぼ確実に我々の知る姿ではない、という話。
https://55096962.seesaa.net/article/201610article_11.html
そんな中、紀元前1500年というのは、我々の知る「古代エジプトのミイラ」という形が作れるだけの技術がようやく出そろう頃の時代に近い。
つまり今回見つかった記述は、ミイラづくりが確立された初期の頃の、貴重な情報であると言える。
おそらく詳細情報もそのうち出て来ると思うのだが、記事にあるのは「顔の処置」に関する部分。イラストの、顔に赤い布を載せているのがそれだ。
なぜ赤い布? と思われるかもしれないが、実はミイラに赤い布の覆いを使うのは、中王国時代からすでに事例が存在する。以下はメトロポリタン美術館が所蔵するミイラの覆いに使われた鮮やかな色の布。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/564932
こちらがトリノ・エジプト博物館が所蔵する末期王朝時代のミイラ。
これらの赤い布はの染色には、セイヨウアカネや紅花といった地元の植物が使われていたらしい。
トリノのエジプト博物館所蔵のほうで赤い布の繊維を分析した結果がこちら。
https://www.mdpi.com/1420-3049/24/20/3761/htm
また、写真はないが新王国時代だと、トトメス4世のミイラに赤い布が使われていたことが知られている。
古代エジプトの概念では赤は沙漠の色、不吉な色とされることが多いが、血の色でもあるところから、生命力の色という概念もあったのかもしれない。
さて今回発見されたマニュアルの中には、ミイラづくりにかかる70日間を、どのようなスケジュールで区切って動いていたか、という部分も書かれていたらしい。
ざっくりと、前半の35日は、遺体の乾燥。
4日目に内臓を取り出し、この時に眼球も取り出す。
後半の35日は梱包処理。
ただし実際には68日目には処置が終わり、残りの2日は納棺作業。
顔に赤い布を被せて防腐処理を施し、形を整えるといった作業はこの後半部分で行われる。
この70日の作業は、さらに4日ごとに1区切りとして清めの儀式を行うことになっている。現代の感覚で言うと防虫剤の取り換えみたいな感じの防腐剤ローテーションだったようだ。これが 4×17回繰り返され、最後の2日が仕上げ。
当たり前だが、ミイラづくりは 齧りに来るネズミやゴキブリ、卵産みつけにくる腐肉性の虫との戦いである。
アルコール溶液も防虫剤もゴキブリホイホイや小バエ取りも無い時代、死者の処置が続く間、欠かすことなく防腐剤を作り、塗り続け、或いはふりかけ続ける作業をずっと続ける葬儀屋さんのお仕事、いかに大変だったか…。夏場とかガチ辛いよこれ…。しかも防腐剤や抗菌剤ってだいたい植物から作ってるから、まず薬草園作るところからだよ…。
顔の部分はミイラづくりで最も注意を払われる部分だし、鼻や瞼など腐敗しやすく欠けやすい柔らかい部分もあったので、故人の顔立ちを残すために特別に別の布でくるんで処置をする必要があったのだと思う。
このパピルスからは、ミイラづくりにかけた情熱と、古代人の苦労を垣間見ることが出来る。
そこまで手をかけたからこそ、古代エジプトのミイラは数千年後の今も美しく残されているのだと思う。まさに手間暇かけただけのことはあったのである。
このパピルス自体は以前から見つかっていて、ルーブルとコペンハーゲンに分かれて収蔵されている。コペンハーゲン大の学者さんがそのパピルスを再解釈して、内容からミイラづくりの手順を構成した、というものだ。パピルスはいわゆる「医療パピルス」の一種で、薬剤に関する知識を記載したもの。そこに、ミイラづくりに使う薬剤や手順についても記載が混じっていた、ということらしい。写真を見ると6mの長さのあるものが途中で切れてけっこう破損しているので、復元も大変だったんじゃないかと思う。
だからこれは、パピルス自体の新発見ではないし、ミイラづくりに関するマニュアルというわけでもない。
どちらかというと薬剤師向け簡易調剤事典、といったところ。防腐剤のレシピなども書かれているそうだ。
Ancient Egyptian manual reveals new details about mummification
https://www.eurekalert.org/pub_releases/2021-02/uoc--aem022621.php
なお前提知識となるが、古代エジプトのミイラづくり技術は、時代ごとに進化・変遷していく。
完成に至るのは新王国時代の初め頃。それ以前のミイラが残っていないのは、古いからとか、墓荒らしにあったから、とかだけではなく、単純に「ミイラづくり技術が未熟だったので腐ってしまった」というのもある。
古王国時代の例だとジェセル王のピラミッドからは王または王妃のものと思われる骨のカケラが出ているが、保存状態が悪く、発見後に写真だけ残して廃棄されてしまった。
ついでに、中王国時代の残っているミイラはこんな感じである。参考までに。
もしもクフ王のミイラが無事だったら: そのミイラは、ほぼ確実に我々の知る姿ではない、という話。
https://55096962.seesaa.net/article/201610article_11.html
そんな中、紀元前1500年というのは、我々の知る「古代エジプトのミイラ」という形が作れるだけの技術がようやく出そろう頃の時代に近い。
つまり今回見つかった記述は、ミイラづくりが確立された初期の頃の、貴重な情報であると言える。
おそらく詳細情報もそのうち出て来ると思うのだが、記事にあるのは「顔の処置」に関する部分。イラストの、顔に赤い布を載せているのがそれだ。
なぜ赤い布? と思われるかもしれないが、実はミイラに赤い布の覆いを使うのは、中王国時代からすでに事例が存在する。以下はメトロポリタン美術館が所蔵するミイラの覆いに使われた鮮やかな色の布。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/564932
こちらがトリノ・エジプト博物館が所蔵する末期王朝時代のミイラ。
これらの赤い布はの染色には、セイヨウアカネや紅花といった地元の植物が使われていたらしい。
トリノのエジプト博物館所蔵のほうで赤い布の繊維を分析した結果がこちら。
https://www.mdpi.com/1420-3049/24/20/3761/htm
また、写真はないが新王国時代だと、トトメス4世のミイラに赤い布が使われていたことが知られている。
古代エジプトの概念では赤は沙漠の色、不吉な色とされることが多いが、血の色でもあるところから、生命力の色という概念もあったのかもしれない。
さて今回発見されたマニュアルの中には、ミイラづくりにかかる70日間を、どのようなスケジュールで区切って動いていたか、という部分も書かれていたらしい。
ざっくりと、前半の35日は、遺体の乾燥。
4日目に内臓を取り出し、この時に眼球も取り出す。
後半の35日は梱包処理。
ただし実際には68日目には処置が終わり、残りの2日は納棺作業。
顔に赤い布を被せて防腐処理を施し、形を整えるといった作業はこの後半部分で行われる。
この70日の作業は、さらに4日ごとに1区切りとして清めの儀式を行うことになっている。現代の感覚で言うと防虫剤の取り換えみたいな感じの防腐剤ローテーションだったようだ。これが 4×17回繰り返され、最後の2日が仕上げ。
当たり前だが、ミイラづくりは 齧りに来るネズミやゴキブリ、卵産みつけにくる腐肉性の虫との戦いである。
アルコール溶液も防虫剤もゴキブリホイホイや小バエ取りも無い時代、死者の処置が続く間、欠かすことなく防腐剤を作り、塗り続け、或いはふりかけ続ける作業をずっと続ける葬儀屋さんのお仕事、いかに大変だったか…。夏場とかガチ辛いよこれ…。しかも防腐剤や抗菌剤ってだいたい植物から作ってるから、まず薬草園作るところからだよ…。
顔の部分はミイラづくりで最も注意を払われる部分だし、鼻や瞼など腐敗しやすく欠けやすい柔らかい部分もあったので、故人の顔立ちを残すために特別に別の布でくるんで処置をする必要があったのだと思う。
このパピルスからは、ミイラづくりにかけた情熱と、古代人の苦労を垣間見ることが出来る。
そこまで手をかけたからこそ、古代エジプトのミイラは数千年後の今も美しく残されているのだと思う。まさに手間暇かけただけのことはあったのである。