「見せてやろう…本物の文化盗用というやつを」南米先住民コミュニティの苦労と先住民の文化遺産とは

つい最近、ルイ・ヴィトンが日本の数珠入れと自社デザインが似ていると難癖をつけたが、「市松模様って日本じゃ伝統的で一般的な柄だから特許権とか無いよ?」という至極当たり前のツッコミによって特許侵害なしと判定されたというニュースがあった。

ルイ・ヴィトンが市松模様数珠入れに権利行使するも、特許庁は侵害否定の判定
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20210614-00242941/

たぶん、とりあえず警告してみた的なノリなのだと思うが、そもそものルイ・ヴィトンの「ダミエ柄」が日本の市松模様をモチーフに考案されたものだという歴史があることを考えると、(何のギャグですかむしろ日本のほうがオリジナルなんですが…?)みたいなツッコミをせざるを得ない。ていうか自社の模様の元ネタが何だったのか忘れちゃったんだとするとわりとヤバいような気も。


と、この程度の話であれば「LVもアホやな」とツッコんで、いつものように5chとかまとめサイトとかゆーちゅーばーとかが小遣い稼ぎのネタにして終わる感じなのだが、もっと深刻な例もある。

あまり声を上げることの出来ない、多くが貧困層に属する南米先住民の先祖代々の意匠を、ヨーロッパのデザイン会社が自社オリジナルのものとして利益を得てしまっている、というような話である。

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(出典元は「古代アメリカの比較文明論」京都大学学術出版会)


ここに出てくる例だと、古着を買い集めて再利用→自社製品として売る、もしくは現地で織物を買い付ける→加工して売る、といった流れだが、そもそも、その織物に使われている模様がその地方やコミュニティで独自のものであり、よそで加工して販売されることを想定していない、というのが問題になる。

たとえば日本で、着物の元になる反物がとても安かったとして、外国から来た人たちがそれを大量に買付けて持って帰り、自社のオリジナルブランドとしてタオルやバッグを作って売りさばいたらどうか、という話だ。その反物の模様が持つ伝統や意味は気にせずに、単なるオリエンタルな柄としか見ず、おめでたい鶴と亀の模様がクッションになってたり、菊の紋章がコースターにされたりするような感じ。それが、製造元には無許可で、何の利益も還元されないとしたら。


まあ場合によってはモメるだろうな、というかモメるのは確実だと思う。
つい最近、こんなケースがあったからだ。

着物の帯を想起させる生地の上を歩かせる演出が炎上 「ヴァレンティノ」が謝罪
https://www.wwdjapan.com/articles/1200161

本来は着るものである着物の帯をハイヒールでふんづけて歩くという、何がしたかったのかよくわからないパフォーマンスが炎上したのだが、多くの日本人は不快に感じたようだった。実際、私も、なんでわざわざ綺麗な帯を地面に置いて踏まなければならないのか分からず、「汚れちゃうじゃん…もったいない」みたいな感想は抱いた。

要するに、こういうのが日常茶飯事的に行われているからこそ、カウンターとしての文化盗用警察も先鋭化していくわけである。


これは単に 先住民 vs デリカシーのない西洋人 ではなく、貧困層 vs 富裕層 でもない。
同じ国の中でも民族やコミュニティの違いによって、大きな問題となっているケースがあるからだ。

グアテマラ:特許によるマヤ織物の保護を
https://newsphere.jp/culture/20181011-4/

2011年のミス・ユニバースで代表者が着たグァテマラ先住民の民族衣装が、実は男性用の模様だった、というのである。
本来は年長の男性が儀式で着るものを、勝手にアレンジして若い女性が着てコンテストに出たとして炎上。その後、先住民の模様を知的財産として扱えないかという議論になったが、今も法律には穴があるようで、勝手に商品化されて「お土産」として売られてしまったりするのは止められないらしい。


ただ、他人が使うことを全て「盗用」だと断罪し、使えるのは大もとのコミュニティだけ、と規定してしまうと、その文化はいずれ死ぬ。
今や世界は開かれており、よほどの純血主義でもなければ人も文化も混じり合う宿命にある。
そして、どれだけ文化を「保護」しようとしても、博物館に閉じ込めて飾っておくのでない限り、変化は止められないからだ。

盗用と叫ばれたくない企業はすでに対策をしている。現地人を雇って紙の上での社長にしておけばいいのだ。
先住民であるその人が先住民の模様を利用して商売をしているなら、誰も文句は言えない。…実際は、外国企業が製品を利用して利益を得ているのであっても、だ。


ゲームやアニメに対して文化盗用だと声高に叫ぶ運動は滑稽に思えるが、現実には、実際に被害者のいる深刻な「文化盗用」もある。そして、それはちょっと不愉快とかいうレベルではなく、アイデンティティの強奪だったり、貧困層からの搾取だったり、先住民という存在をブランド化して輸出用の資源にしてしまうというような、かなりえげつない現象なのだ。

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