古代エジプトの銅輸入ルートの変化についての覚書き
面白そうな論文見つけたのでちょっとメモ。
古代エジプト、第三中間期の時代に銅の輸入元が変化していた、という話。
時代ごとに使っている銅の産地が異なるため、成分が違ってくる。また、国の勢力が衰えてシナイ半島の銅鉱山を利用出来なくなると、国内の鉱山から安価な銅を仕入れることができなくなり、高価な外国産の銅を輸入しなくてはならなくなるため質が落ちる。
Pharaoh’s copper: The provenance of copper in bronze artifacts from post-imperial Egypt at the end of the second millennium BCE
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S2352409X21002376?via%3Dihub
The Crisis Era In Ancient Egypt Led To A Change In The Sources Of Copper
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/06/the-crisis-era-in-ancient-egypt-led-to.html
分析されているのは、プスセンネス1世(第22王朝/紀元前9世紀)の時代の銅製の小像。
この像はそれまでの時代とは銅の成分が変化しており、シナイ半島とアラビア砂漠の境界に位置するワディ・フェイナン(Wadi Fainan)やティムナ渓谷(Timna valley)の鉱山から銅を輸入していたと考えられている。
*参考―エジプトの資源マップ
―「古代エジプト 都市文明の誕生」/古谷野 晃/古今書院 より
―「地図で読む世界の歴史 古代エジプト」/ビル・マンリー/河井出書房 より
国の勢力が強かった新王国時代、エジプトは、シナイ、ヌビア、シリア・パレスティナやキプロスといった周辺の資源に自由にアクセス出来ていた。しかし、第22王朝の頃にはそれらの供給地にはアクセス出来なくなっていたらしい。供給元が限られていたということは、使える資源の量も豊富とは言い難かったのだろうと推測できる。また、支配権はあっても国外地域で距離もあるので、輸送もコストがかさんだと思われる。
また、第三中間も末の紀元前8世紀になるとさらに入手地域が変化していて、おそらくワディ・フェイナンやティムナ渓谷の資源にもアクセス出来なくなっていたと考えられる。エーゲ海やアラビア半島の南部などが候補地として挙げられている。
各時代のファラオたちの、資源アクセスに関する苦労がしのばれる。
なお参考までに、ワディ・フェイナンに近いヒルバト・アッナハスという場所にもエジプトの銅鉱山があった。
https://55096962.seesaa.net/article/202006article_16.html
エジプトの勢力がここから一時撤退したあと、エドム人など現地勢力が台頭してくるという流れがあるので、紀元前8世紀にここの銅が使えなくなったというのはエジプトの勢力が衰退してここを押さえられなくなったことを意味していると思う。エジプトとしては、さらに遠方から頑張って資源を運んでくるしかない、なかなか大変な時代だったんだな…。
これじゃアッシリアに勝てない…。
資源が足りないから…。
使える資源と戦力がリンクするのは、古代のみならず現代でもそう。こういうところからも、国力の隆盛と衰退が読み取れるんだなと思うと面白い。
古代エジプト、第三中間期の時代に銅の輸入元が変化していた、という話。
時代ごとに使っている銅の産地が異なるため、成分が違ってくる。また、国の勢力が衰えてシナイ半島の銅鉱山を利用出来なくなると、国内の鉱山から安価な銅を仕入れることができなくなり、高価な外国産の銅を輸入しなくてはならなくなるため質が落ちる。
Pharaoh’s copper: The provenance of copper in bronze artifacts from post-imperial Egypt at the end of the second millennium BCE
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S2352409X21002376?via%3Dihub
The Crisis Era In Ancient Egypt Led To A Change In The Sources Of Copper
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/06/the-crisis-era-in-ancient-egypt-led-to.html
分析されているのは、プスセンネス1世(第22王朝/紀元前9世紀)の時代の銅製の小像。
この像はそれまでの時代とは銅の成分が変化しており、シナイ半島とアラビア砂漠の境界に位置するワディ・フェイナン(Wadi Fainan)やティムナ渓谷(Timna valley)の鉱山から銅を輸入していたと考えられている。
*参考―エジプトの資源マップ
―「古代エジプト 都市文明の誕生」/古谷野 晃/古今書院 より
―「地図で読む世界の歴史 古代エジプト」/ビル・マンリー/河井出書房 より
国の勢力が強かった新王国時代、エジプトは、シナイ、ヌビア、シリア・パレスティナやキプロスといった周辺の資源に自由にアクセス出来ていた。しかし、第22王朝の頃にはそれらの供給地にはアクセス出来なくなっていたらしい。供給元が限られていたということは、使える資源の量も豊富とは言い難かったのだろうと推測できる。また、支配権はあっても国外地域で距離もあるので、輸送もコストがかさんだと思われる。
また、第三中間も末の紀元前8世紀になるとさらに入手地域が変化していて、おそらくワディ・フェイナンやティムナ渓谷の資源にもアクセス出来なくなっていたと考えられる。エーゲ海やアラビア半島の南部などが候補地として挙げられている。
各時代のファラオたちの、資源アクセスに関する苦労がしのばれる。
なお参考までに、ワディ・フェイナンに近いヒルバト・アッナハスという場所にもエジプトの銅鉱山があった。
https://55096962.seesaa.net/article/202006article_16.html
エジプトの勢力がここから一時撤退したあと、エドム人など現地勢力が台頭してくるという流れがあるので、紀元前8世紀にここの銅が使えなくなったというのはエジプトの勢力が衰退してここを押さえられなくなったことを意味していると思う。エジプトとしては、さらに遠方から頑張って資源を運んでくるしかない、なかなか大変な時代だったんだな…。
これじゃアッシリアに勝てない…。
資源が足りないから…。
使える資源と戦力がリンクするのは、古代のみならず現代でもそう。こういうところからも、国力の隆盛と衰退が読み取れるんだなと思うと面白い。